桜花往生

kanayano版日本近代史。

2019/01/03(Thu)

「めらんこりあ」(9)


 飛びかかってきた明恵の体重をまともに受けて、耕三郎は後方に倒れ、地面にしたたかに後頭部をぶつけた。一方の明恵はそんなことを意に介さず、耕三郎の上半身にまたがり、真上から叫んでいる。

「見損なったぞ、亭主の居ぬ間に、人妻と密会か!?つくづく呆れた男だ!!」
「いや、だから、あんたは俺に何を期待してるんだ――」

 耕三郎の意見が聞こえているのか否か、明恵はヒステリックに何事かを訴え続けていた。それを見ていた由江は、何を勘違いしたのか楽しげに笑いはじめ、耕三郎にまたがる巴の背中に抱きついた。それに驚いた明恵が体を震わせ、のけぞった。

「はい、そこまでです」

 その場を収めたのは、先ほどからにこにこと様子を見ていた篠だった。明恵の腰に組み付いたままの由江を引き取り、明恵を耕三郎から降ろした。
 篠は耕三郎の上半身を起こしてやると、後頭部を思いやり、声をかけた。ぶつけた直後なのでまだ鈍い痛みはあったが、大事は無いようだ。耕三郎はそのとおり伝えた。
 明恵が、途端に表情を引きつらせた。

「篠さん、まさか本当に……?」
「そんなわけないでしょう。お財布も持たずにお出かけになられたあなたを探していたのです」

 話す語気は優しいのに、篠の言葉には有無を言わさない力がある。まだ感情が収まらないらしい明恵の目を見て、言った。

「おかえりなさい。『耕三郎様』は見つかりましたか?」

 そう微笑んだ篠の両手は、しっかりと耕三郎を捉えていた。


***


 その後、篠から簡潔な状況説明があり、耕三郎の間男容疑は晴らされた。先ほど明恵から紅茶を浴びたシャツは篠が預かるからと言い、耕三郎には少々身丈が短い、篠の亭主のシャツを付けたままその場は解散となった。

「あとで、お届けに参りますから」

 ということなので、耕三郎は1人住まいの長屋の場所も篠に伝えた。

「良いのですか」
「何が」
「あなたは、篠さんの旦那が誰なのかご存じないようですね」

 時刻は夜九時を過ぎている。篠の自宅を辞去した耕三郎の後ろを、明恵が続いている。

「あの、まだ何か」
「私の話は終わっておりませんから」
「どこまでついてくるつもりです」
「御国の大事を、女子供に聞かせるものではありません。あなたの家で、本題に入りましょう」

 耕三郎はくるりと振り返った。明恵は少し驚いた様子で歩みを止め、耕三郎を見上げた。

「いい加減にしてくれ。あんたが今の国政を憂いていることは分かったよ。だけどおれはただの軍人で、その前に、ただのいち国民であって、何の力もないよ。あんたみたいに国事を憂い、語り合い、意気揚々、同士の盃を交わしたがる連中はごまんといるから、よかったらそちらを紹介しよう。今日のところは、お引き取りを」

 ……などといったところで、今までの経緯を見ていれば、こんなことで引き下がる娘ではない。さて、長期戦を覚悟しようか。夜はまだ始まったばかりだ――。

「本当に、そう、思っているのですか」

 耕三郎の意に反し、明恵は先ほどまでの気の強さを感じさせないような、小さな声でそう、言った。

「自分にはそんな力が無いって、あなたはそんな風に思っているのですか」

 その通りだ、と言おうとして、耕三郎ははっと言葉を飲み込んだ。明恵はふい、と視線を外すと、くるりと後ろを向いた。
 思ったよりも小さな背中だ、と今更気が付いた。さっきまで自分にかみついていた時には感じなかった静かさに、耕三郎の心情がざわついた。

「送るから、今日は帰りなさい」
「結構です。一人で帰れます」
「夜道を女性が一人で歩くなんて」
「女だからって何。男だとか女だとか、いったいそんなになにが違うっていうんです!!」

 明恵はそう吐き捨て、今来た道を走りだし、街燈を抜けるとその姿が見えなくなった。
 耕三郎はあわ立った感情を処理しきれないまま、その背中をしばらく見送った。何が正解だったのか。その日はついに、耕三郎は結論に至ることができなかった。
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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。