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「めらんこりあ」(8)


 士官学校の同期の多くは、任官と時を同じくして結婚し、家族を持った。
 もし自分もそのような人生を送っていたら、このくらいの子供がいてもおかしくない。
 実家を勘当同然で出てきた耕三郎に、親戚の付き合いはほとんどない。結婚を勧めてくれた上官や先輩の話も断り、30歳手前の現在も独り身のままである。
 「家」を顧みることもないと思えば、誰かと家族を持つ必要を感じなかった。同じ時間を過ごす女がいたこともあるが、耕三郎から将来の話をすることはなく、そのまま立ち消えることばかりだった。
 耕三郎が団子を食べ終わるまで、由枝は大人しく横に座っていた。だいぶ日も傾いてきた。母親と離れ、この子も心細かろう。

「あっ」

 由枝が声を上げた。走り出したその先に、母親がいた。その足にしっかりと抱きついて、わんわんと泣いた。母親も娘をあやすように、背中に手を触れた。
 母親は耕三郎を見止めると、淑やかに頭を下げた。二十前後だろうか、色白で細身の小柄な女だ。耕三郎も会釈を返した。
 由枝の手を引いて、母親は耕三郎に歩み寄った。

「この子がお世話になりました。東京に不慣れなもので、地理もわからず、途方に暮れておりました」
「『ともえさん』は見つかりましたか」

 あら、と母親は小首をかしげて、「残念ながら」と苦笑した。

「よろしければ、お礼をさせていただけませんか?」

 驚いたのは耕三郎だった。
 篠はにっこりと笑い、耕三郎の手を引いた。





 連れてこられたのは、長屋街の一角にある、篠の自宅だった。
 夕暮れ時、仕事帰りの男たちの姿も見える。篠と由枝に連れられ、その自宅の玄関の敷居をまたいだ。家の中はきれいに片付いてる。
 居間に、男物の外套がかけられていた。予想していなかったわけではないが、ここで一応、くぎを刺す。

「あの、ご亭主がおかえりになっては、いろいろと面倒でしょう。私はこれで」
「そのことならお気になさらないでくださいな。主人が帰るのは、明朝ですから」

 とはいえ、主の居ぬ間に若い男が家に上がりこんだということになれば、厄介であろう。篠の細い手を振り払うこともできず、ここまでついてきてしまったが、ふと我に返ると、今後のいろいろな問題が脳裏を巡った。自分が間男か。なるほど、これは己の人生において新しい展開だ。悪いがそういうことは御免蒙りたい。
 そういう耕三郎の心を知ってか知らずか、篠は居間の座布団をすすめ、耕三郎をそこに座らせた。由枝も耕三郎の隣に並んだ。そうして篠も耕三郎に向き合って座ると、例の穏やかな笑顔でこう言った。

「どうぞ、お脱ぎになって」
「え?」

 と、耕三郎は思わず出た自分の間抜けな声を聴いた。何を言っているのだ、亭主の留守に男を連れ込み、しかも子供のいる前でなんてことだ。目の前の、なんとも貞淑な女性が自分に何を期待しているのかなどと、下世話な考えが耕三郎の脳内に巡った。

「どうされました?早く、お脱ぎになってください」
「いや、そんなこと言われても」
「由枝、手伝って差し上げなさい」

 と、由枝は元気に立ち上がると、耕三郎のシャツに手をかけた。振り払うこともできないのでこどもの胴を抱き上げると由枝はきゃっきゃと笑い声をあげた。そのまま膝へ卸すと、「冷たい」と言った。

「替えをご用意いたしました。お風邪を召しますよ。どうぞお着換えくださいませ」

 耕三郎はそこでようやく思い出した。昼間、喫茶店で紅茶を浴びせられ、シャツに染みが付いている。
 篠はにっこりと笑い、アイロンの利いたシャツを耕三郎の前に差し出し、由枝を引き取ってお茶を下げた。部屋を辞去している間に、着替えろということらしい。
 これは、彼女の旦那のものだろうか。耕三郎は背丈はあるが細身である。着られないことはないが、通した右腕の手首が隠れない。
 あの親子の好意でもあるし、断るわけにもいかない。

「あら、少し小さかったでしょうか?」
「あ、いえ…」

 耕三郎は適当に笑ってごまかそうとしたが、先方には仏頂面のぎこちない男の顔のゆがみが見えただけであったのではないだろうか。情けなくなって思わず目をつぶり、息を吸って目を開ければ、目の前には耕三郎を覗き込んでいる由枝の顔。篠は席を立った後だった。洗濯場にでも行ったのだろうか。

 
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