桜花往生

kanayano版日本近代史。

2017/07/17(Mon)

「めらんこりあ」(4)

 

そこに背中の時計が9時を告げた。古月ははあ、と大きな息を吐くと、どっこらせと立ち上がった。
 その姿を、ふくれっ面の明恵が目で追った。

「すまんのう、今日は大事な商談があるんや。続きはまた後で」

古月はにやりと笑って見せた。その余裕が、明恵の神経を逆なでする。
だれが惚れているだと。恥を知れ。
奥歯をかみしめると、悔しさがこみ上げてきた。あの男より早く、舎人耕三郎に会わねばならない。そう心に言い聞かせ、明恵は襖戸を勢いよく開けた。


***


 ところ変わって、新橋。
 橋の欄干に腕を預け、汐留川を眺めているのは舎人耕三郎である。
 軍人はいかなる時でも軍服を着用しなければならない、洋行帰りの少佐がそう宣ったそうだが、耕三郎は意に介していない。自分はそこまで忠実な国僕だとも思っていないし、同僚に不忠義を咎められようと大した感慨はなかった。時代は、耕三郎のそんな感情を許している。

 さあて、これからどうしようか。

 自らの身の振りである。勘当同然で家を出て、しかし一端学問は納めねばと官費の士官学校へ入学した。そのまま連隊に所属し、日清の役に従軍して、陸大へ行って、そうして近衛連隊に配属となった。見事な昇進ぶりだ。はたしてそれは耕三郎の望むものであったろうか。いや、望む以前に、望みなどなかった。一般常識程度学ぶことができればよかった。それ以降のことは、特段考えたことなどなかった。

 ここにきて、改めて溜息などする。
 この組織の空気が合わない。
 戦場における緊張感の事ではない。確かに、8年前は大陸で人を殺した。正確には、人を殺す命令を出した。これは自分の役割で仕方のないことだと思っている。しかし、そのことで陸大へ推薦されたことや、若くして参謀本部に出仕したことが諸先輩方の嫉妬を買い、よく思わないものが陰口をたたいたり、そのたびに耕三郎を庇おうとしてくれる仲間たちがいじらしく、仲間の気持ちはありがたくとも、その構図に嫌気がさしていたことも確かだった。昇進を望んだわけではないのだ、と弁解したところで、帰って連中の神経を逆なでするだけだろう。なら自分がいなくなってしまえば万事解決。潮時だ。
 そうして、相談相手として浮かんだのは、かの奇人、近衛師団長白河川修だった。あの食えない顔が、耕三郎の悩みをまともに聞いてくれるだろうか。にこにこと相槌を打ちながら、さらに窮地に追い込むのではないだろうか。それ以前に、あんなのでも師団長閣下だった。自分ごときが、親しくできる相手ではない。耕三郎は再び肩を落とす。先など考えてもいなかった耕三郎が唯一明確に出した答えがある。陸軍を辞める、ということだった。

 辞めてどうしようか、そこまでの考えには至っていない。
 陸軍という内輪で、官費を糧に生きてきた自分が、ここにきて職を得ようとは虫のいい話だと思う。その気持ちがある限り、どんな職についても長くは続かないだろう。いや、そんなことを言っている場合ではないか。とにかく職を得て、自分ひとりくらい生きていけるくらいは稼がなくては。

 耕三郎の丸い背中の後ろを、さまざまな人が往来している。自分はその中の一人にも成りえぬと、耕三郎は本日3度目の溜息をついた。

 そんな自分を見つめる強烈な視線を感じ、ぞくりとした。上官だろうか。普段着のままでいる自分を見咎めて、この往来で怒鳴りつけるつもりだろうか。
 そんなことをされては困るので、一応弁解しようと、視線に向き合った。するとそこにいたのは、先日麹町の門前で取りつかれたように耕三郎の名前を叫んでいた女だった。

「将校ともあろうものが、私用であろうと、軍服を着用せず出歩くなど……!!」

 まさかこの少女からそのような罵声を浴びようとは。二人の緊張状態に気が付き始めた聴衆が、こちらを向きつつ、声を潜めてなにかを話している。これはまずい。上官に怒鳴られるよりずっとまずい。
 第2声を発しようと息をすった明恵の口を押え、半ば抱きかかえるようにしてその場を後にする。背中に好奇の視線を感じながら、とりあえず新橋駅広場までやってきた。

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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。