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「めらんこりあ」(1)


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 明恵の祖父は、40年前の維新で大きな功績を上げた人物だった。
祖父は今の帝国陸軍の創設に深く関わり、西南の役から台湾出兵、日清戦争と兵を率いた。その後は日本の国家体制が整備されていく中で、国会や官僚制度にも一家言を持っていたし、内閣総理大臣を経験した後も、軍人として現場で兵を鼓舞する、そんな人物だった。
 
 祖父の名は、山方有信という。有信には息子がなかった。だから有信の姉の息子を養子に迎えた。朝重はその兄三人からなる長女に当たる。が、3番目の兄から、明恵は年齢が十離れている。年の離れた女孫は、日々多忙に過ごす祖父にこれ以上ないほど愛された。

 祖父は文化人でもあった。和歌、漢詩をし、茶を嗜み、そのため庭も作った。また、それらのためによく書を読んだから、私邸には豊かに書があった。朝重の兄たちが手習いをしているのを真似て、明恵は3歳で孔子を諳んじて見せた。5歳で新聞を読んだ。7歳で時勢を祖父らと語った。

 が、その弁があまりに闊達ゆえに、近くの大人たちが論破されるようになると、7歳の少女の可愛げは、苛立ち以外の何物でもなくなった。世間は社会や国政に敏感な時期であった。社会主義だ国家論だと常日頃飛び回る中、情報と価値観を獲得し、己の心情としている人間は、大人といえどそう多くは無かったからだ。そういう人間に、朝重の言論は的を射たように見えた。大人たちは、苦笑いした。

 10歳を超えてもこのようなままであった。白い肌に黒い髪はつややかで、目鼻立ちもはっきりとしている明恵は口を開かねば見目麗しい令嬢なのである。が、他人にも人にも厳しい朝重自身の「正しさ」は、もはや祖父以外受け止める人間はいなくなっていた。父も母も、兄たちも、そして女学校の同級生たちも、明恵から距離を置いた。
 自分が孤立していく様子は、理解できていた。しかし、自分の言動や考えが間違っているとは思わなかったし、嘘やおべっかを使うという「処世術」など、自分には必要がないと思っていた。明恵の話を唯一真向から聞いてくれる祖父は、「お前が男だったらなあ」とよく言った。祖父の膝に乗り、新聞を一緒に読みながら軍人勅諭を教わったりした。士官学校に進む若い士官が必ず覚えなければならないこの訓辞をつくったのは自分なのだと、祖父は教えてくれた。

 祖父と同じ場所で、生きていけたら。

どんなにいいだろうと思った。私の言葉を、私の思いを。全力に全力で議論ができる、そんな場所。祖父がいる場所がそういうところなら、私もそこで働きたい、そう思った。

 男に生まれたかった。
 女は不自由だ。誰かに望まれる人間にならなければならないから。そこに自分の意思は介在しないから。

 明恵、7歳の5月だったと覚えている。
 祖父が、陸軍士官学校の教官と生徒を自宅に招いた。士官学校の若い教官が一人、砲兵課の生徒が2名と、騎兵課が1名、そして歩兵課の2年としてここに招聘されたのが、当時17歳の舎人耕三郎だった。

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