大陸の覇者(5)

子杏が覚悟を決めるより早く翔が子杏の体を庇い、刹那、目の前の銃口がその体もろとも視界の右方へ吹っ飛んだ。状況を理解しようと思考を巡らす前に、聞きなじんだ声がした。爛華だ。

「無事か!」

子杏を庇っている翔の体は、先ほどの落馬で背中を強打している。うまく動けないの、と子杏は爛華に懇願するように言った。爛華が気遣うように翔を見やると、翔はもう自分で体を起こしており、立ち上がろうとして、倒れた。

「当たり前だ、3年も牢獄に繋がれたままだったんだそ、体中の筋肉が使い物にならないことくらい自覚しろ」

このときようやく子杏は気が付いた。そうだ、日も当たらない堅い石塀の牢獄で長く暮らしてきた翔が、なぜここまで自分を連れてこられたのだろう。自分を引く手、乗馬、ここにくるまでに、自分たちを殺そうとする敵を何人も倒してきたのだ。

「今部下を呼ぶ。先導させるから、先に逃げろ」

翔はなおも立ち上がろうとした。爛華の手を払って、その時初めて、翔は目の前の人間と意思を通じようとした。

「生高は」
「自宅だ。ここを片付けたら、俺は攬把のところに戻る」
「数は」
「敵先遣隊が千、現状我々は三百前後。村の人間を逃がす方に兵を裂いてる。向こうは張攬把の軍だ。本隊の数はおそらく……」

 それを聞くと、翔は手近な馬の手綱をとり、跨った。先ほどまで立つことすら難しかった男の身のこなしでは無い。

「子杏」

 翔が子杏の名前を呼んだ。子杏はそのことに驚いて肩を竦めた。

「ここを離れろ。お前は生きろ。必ず生きろ」

 そうして翔は馬の腹を蹴った。爛華はそれを制すべく翔の名前を呼んだが、馬上の後ろ姿は、燃え盛る民家の煙にまかれ、すぐに見えなくなってしまった。


 ***


 生高は椅子に座り、村内の諍いの音を聞いていた。
 爆音がするたびに壁が揺れた。生高の自宅兼軍議所は2階、先ほどの爆撃で窓ガラスが割れ、直接月の光が部屋を刺していた。兵士の声が聞こえる。生きる力の漲る怒声と、消えゆく命の断末魔。ようやく気付いた、村の人間の安息がことごとく踏み荒らされていく。やはり自分には、ひとつの集団を収めるほどの力はなかったのだ。初めから理解していた。だが仕方なかったのだ。

 父である先代、梁続山は武に秀でた男だった。小さな村から身を立て、やがて一代で村一つを守護するようになった。やがて村の女との間に生まれたのが生高。女は生高を生んですぐ亡くなり、上海の料亭の女将を自分の妾にした。その女との間に生まれたのが二男文秀。やがて隣村から新しく正妻を迎え、三男と四男が生まれた。妾との間にもう一人女の子。その他に、敵地から文秀が拾ってきた孤児が、兄弟に加わった。孤児は「文山(ウェンシャン)」と名付けられた。

 すぐ下の弟、文秀は文武ともに優れた人物だった。父の軍の参謀も務めた。生高もまた非凡ではなかったために同じく参謀職を奉じていたが、文秀は当家の長男である生高を立てるように、自ら進言することも無く、人知れず生高と次の作戦を話し込み、立案はあくまで生高のものであると皆に知らしめた。戦場においても現場指揮を執るのは文秀。かれは天性の才で人心を集めた。文秀の指揮に、軍の指揮は上がった。生高自身は、次の当家は文秀だと思っていた。文秀はそのつもりは無いといった。

「日本人に、その任は務まらない」

 当家の妾は日本人だった。
 そしてその文秀が拾ってきた孤児も、純粋なる日本人だった。
 その日本人に、血のつながらない末弟に、生高は右手を奪われた。
 文秀も、先代も殺された。
 齢十八の少年を相手に、先代一族は成す術もなかったのだ。



 ぎし、ぎし、と、階段を上がる靴の音が聞こえた。
 家の前を守る兵もいたはずだが、それをまた、儚くなったということか。

 さて、ここに至るものが将のクラスであってほしいものだ。少しでも話ができれば、逃げるものどもの力になることもできるのだが。

 鼻で自嘲した。文秀、貴様ならこの局面、どう乗り切る。自らの兵をこれだけ殺して、せいぜいできることが時間稼ぎ程度とは。
 張攬把は襲撃した村の人間を根こそぎ殺害するのだという。禍根を残せば、その人間が張攬把の命を狙いに来るからだ。その非情さがかの強さを形成し、一方私は、この程度の戦術しか見いだせぬ。ここで時間を稼いだとて、足の遅い女子供、老人は取って返したかの軍に皆殺しにされるだろう。せめてもの護衛に兵力を裂いた。なんと中途半端な。
 非情になりきれぬ将は、いずれ淘汰されよう。その時が来たのだ。

 靴の音が扉の前で止まった。
 生高が意を決して眼前を見据える。

 来訪者は足元もおぼつかず、壁に手をついて歩いていた。肩で深い息をしている。衣類に血液が付着しているが、右肩以外は彼のモノではないらしい。

 生高は記憶をゆっくりと底から引き揚げた。
 忘れるはずもない、だがまさか、いまここで目にするとは露程もも思わなかった。

 来訪者がゆっくりと顔を上げた。その顔が、生高を捉えた。
 
 あの日、以来だ。
 あの日、父を殺し、義理の母と弟たちを殺し、生高の右腕を奪い、
 そして、文秀を殺したあの日。

「文山」

 翔は生高の部屋に不自由な足を踏み入れた。
 割れたガラスの向こうで、いまだに砲撃は続いている。
  
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
web拍手 by FC2


| ホーム |
Page Top↑
▲ Page Top