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大陸の覇者(1)

 堅い混疑土の冷たさも、いつしか感じることも無くなった。

 湿気の多い半地下の牢屋は、四面が混疑土に守られ、正面が鉄格子となっている。水分が滴り落ち、鼡や蟑螂が翔の食べ残しに群がっていた。夏は湿気の相乗効果で蒸し熱く、冬は混疑土の冷たさに加え、唯一外につながる格子窓から雪が入ってきた。東北の地の雪は水分を含んで重く、溶けても水分が冷気で固まり、氷を張った。その氷が、さらに空間の温度の熱を奪った。何度目の冬になるのか、その雪を冷気をはらんだ混疑土さえ、翔には何の感触も何の感情も与えることはできない。

 伊藤翔は、村の罪人として捕らわれていた。
 翔は、この村の指導者を殺した。その妻を、子どもを殺した。そうして翔自身の、大切な人も殺した。おのれの所業に気が付いたときには、翔の周りには見知った人間の亡骸がいくつも転がっていて、それを翔自身がやったのだと聞かされたのは、ここにこうして繋がれる直前のことだった。自分は何もしていない、覚えていないと牢獄から叫んでいたのもはじめのうちで、相手にされないとわかっていても叫び続けていたのだが、いつしか声が出なくなり、いつしか体を動かすこともできなくなり、いつしか何が起こっているのかを考えることもできなくなり、いつしか何も見えなくなり、聞こえなくなった。眠りにおちようとすると、自分が手にかけた女が、翔の体にすがりついてきた。翔は恐ろしくなってその幻影を払いのけようとした。女の名前も思い出すことはできなかった。女を振り払えば、なんにんもの男に取り囲まれた。それを振り払うと、ようく見知った顔がこちらを見つめている。やはり名前を思い出すことはできない。意識の中で翔は狂乱し、何事からも逃げ出そうとし、やがて暗い闇におち、現実に戻り、そうしてまたなにがしの亡霊に取りつかれた。こうして、まともに寝ることもできず、獄中生活の3年目を迎えようとしていた。


***


「なぜあれを生かしておくのです」

 梁当家が翔の手に掛かったあと、村の統率を引き継いだのは前当家の長男、生高であった。彼自身も、翔の叛乱によって右手を喪失している。かつて、父親たる前当家の名参謀として、生高と肩を並べてきたのは次妻の長男、文秀。容貌や言動から冷徹とみられがちな生高と、有能であり人間性も豊かな文秀はよきパートナーでもあった。しかし、文秀は翔の剣によって命を落とした。本来なら翔を庇った筈のかれが、翔本人のかかることとなってしまったのだ。
 その問いはもう何度も聞いた、と生高は思った。そのたびに今は無い右手が疼くような気もするし、父を、母を、そして兄弟を殺されたあの情景を思い出して、収めたはずの憎しみが蘇りそうになる。そうして、それを止められなかったのはおのれの非力だと思考を注入してなんとか感情を抑制し、そうして義弟、文秀のことを思い出す。技能に優れ、頭の回転もはやく、そして誰にでも好かれたあの男こそ、当家の正統なる後継となるべき男であったと生高は思う。後継となれない理由が、正妻の子でないことなど、この村のための何の不利益になろう。その愛すべき義弟が自らの身を挺して訴えたのだ。「文山を殺さないでくれ」と。

「攬把」

と、生高は呼ばれている。攬把とはその地方の馬賊集団を束ねるものの総称で、各地の当家を傘下に置いている。生高の父であり、村の長であった梁続山は「当家」、つまり生高は父亡き後、各地の馬賊集団を隷属させ、大陸の一地方政権を担うに匹敵する武力を保持している。
 現在のこの集落は、前当家が統括したあの村ではない。あのあと、当家不在を察知した周辺の勢力が村に攻め込み、指導者のいない松河村はほぼ壊滅に近い形となった。残った住民は生高の回復を待って勢力を立て直し、居場所を探すべく放浪して、ようやくこの場所にたどり着いた。北京市街のやや南側に位置し、市街地まで早馬で半日。四方は深い森に囲われていて、軍事守備にも有益な土地であった。この地を拠点に据え、生高は村の若い連中を再編成し、村の守備隊としての軍事力を持とうとした。その点は父と同じ思想だった。しかし時代は、大陸の中央集権が倒れ、各地で有力者が覇を競うために勢力を伸ばしており、例外なく生高の村も、侵攻の憂き目にあった。そのたびに撃退を繰り返したが、やがて後手に回るより先手を打った方が損害も少なくて済むと判断し、戦闘で下した馬賊を吸収しながら、騎馬隊の規模を拡大していった。前当家死去からわずか3年足らずで、生高は北京郊外の馬賊をその幕下に収めたのだ。
 しかし、最近になって脅威が目の前に現れた。東北王、張作霖。一馬賊の棟梁から成り上がったこの小柄で色白の青年が、今や袁世凱さえも凌ぎ落とす勢いで、長城の外の勢力をまとめあげている。各地の集落を接収した後は、その生活基盤たるインフラを最低限整備しつつ、住民の好感を買っていることも勢力拡大の一因であるだろう。いまの中央政権に、そんな余裕はない。張攬把は長城を超え、大陸を制そうとしている。中央の袁世凱の北洋新軍をはじめ、各地の地方政権と干戈を交えることになるだろう。そうすれば村人の重税は免れないし、村の若い労働力まで奪われてしまう。生高は村を総べる長として、張の幕下に下るわけにはいかないと考えている。自分の持ちうる力とは、最低限この村を危険にさらさない程度保持できていればいい、と。

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