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田園都市、春(14)

***


 それから、古巻も中学の新学期が始まり、教室での新しい顔ぶれと来年の進学・就職を視野に入れた今年一年の行事、授業内容に関するオリエンテーリングをこなしながらあわただしい一週間をすごし、気が付けばまた土曜日を迎えた。日頃、最上家では古巻が朝いちばんに起きだして台所に立つのが常であったのだが、千鶴が来てからは彼女が先だって台所の拭き掃除などをこなすようになっている。料理などはやはり危なっかしくて任せることができず、なれば古巻よりも早く起きてきて何かできないかと、彼女なりに考えた結果らしかった。当初は床が水浸しになることも多かったが、最近では千鶴も要領を得てきたらしく、古巻が起きてくることには一通り拭き作業は終わっているという状態にまでなった。

 朝食の用意なども、古巻は千鶴に指示をしながら行う。古巻がまな板や鍋に向かい、千鶴が配膳を行う役回りだ。同時に3人分の昼飯の準備なども行うが、それでも古巻が一人で準備していたころの、2/3の時間で終了する。桜花が起き掛けの気怠さを引っ提げて茶の間に顔を出すころには、3人分の食膳が並び、古巻は主人よりも先に今朝の朝刊を広げているし、千鶴はお茶の用意などしている。今朝はそれがずいぶん顕著に整い、朝の挨拶そこそこに大きなあくびを終えた桜花が一言、

「いつからここは若い夫婦の住まいになったのでしょう」

と言って、姑たる自分の振る舞いや如何などと宣ったところで、千鶴が赤面したまま硬直した。古巻には黙殺され、早々に着席する旨のみ告げられた。

 庭には小さな桜の木が一本だけ植わっている。古巻が十歳のときに桜花がどこからかもらってきたもので、もともとは田町の住居に植わっていたものであったが、主人の引越にも付き合ってもらった。身長がなく、こじんまりと咲く。その小さな花つぼみが、先日から開花を始めていた。上野や飛鳥山に比べるべくもないが、花びらの一枚二枚と舞い散るさまを眺めながら、休日の気忙しさのない朝飯を取るのも悪くない。家の主人が歌人として「桜花」を名乗っているので、それに肖ったのかと聞いたことがあるが、とくに意味は無いと一蹴された。そうしてそのとき十歳の古巻の印象に残ったのは、今しがた植えたばかりの小さな苗木を見下ろして、己の心の中に何かを強く戒めているような強い視線を向けていたことだった。その胸中を打ち明けてもらえるには、自分はまだ未熟なのだと古巻は思った。
 庭の桜を、桜花が愛でたのを見たことがない。千鶴が庭の桜に気が付き、その風雅を称えたが、案の定桜花の反応はその桜そのものからうまく身をかわして返答したため、古巻が適当にフォローを入れた。そうして改めて、古巻は「そろそろその理由をお聞かせ願いたい」という猜疑の目を桜花に向けるのだけど、その視線を黙殺して白米を口に運んでいる。

「今日は10時から出版社の編集の方と歌集についての打ち合わせでしたね。午後は同人『のはら』の集まりが駒込で。終了予定の18時にはお迎えに上がりますから、駒込までお送りした後にお時間をいただいてもよろしいですか」
「スヨンのところにいくのですか」
「ええ、そのつもりです」
「今日は、歌の読み合わせなどもありますので、古巻さんには口述筆記をお願いしたいのですが」
「ミヨンさんの様子も気になるので、今日は辞退願いたいんですが」
「古巻さん」

 千鶴がふと箸を止めた。桜花は古巻と向き直って改めて自分に同行してほしい旨を告げた。

「はあ、では、先生にはご足労ですが、駒込の集会が終わりましたら上野に寄ってもよろしいですか」
「スヨンに会うためなのでしたら、必要ありません」
「なんでそんなこと言うんですか。だったら明日にでも行ってきます。本当なら、今からでも様子を見に行きたいくらいなんです。先生だって、ミヨンさんの容体が芳しくないことくらい承知しているでしょう!」
「あそこにはもう、スヨンはいません」
「は?」

 3日ほど前より、バラック街でスヨンの姿を見なくなったと桜花は言った。
 今、スヨンを知る桜花の歌仲間らが彼女の行方を捜しているところだという。

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2012/12/08(土)
4、田園都市、春

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