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田園都市、春(13)

 
***


雨の音が聞こえる。
靴の中に雨が侵入し、水の冷たさを直に感じている。いきなり降り出した雨を避けるような建造物も無く、ここまで走ってきたのだ。服も水を吸って重たい。膝を抱えるようにして身を縮こめているけれど、近くの農民が拵えたものであるだろう薪置きの粗末な納屋では、降ってくる雨を完全に避けることはできない。

古巻はぶるっと身を震わせた。
ここにくるまで何度も転んだ。手も顔も泥だらけである。

「母さん」

鼻をすすった。涙が溢れてきた。

「おうかさま、たくま」

今一番会いたい人たちの名前を呼んだ。数日前まではすぐ近くにいたのに、今このとき、この場所で、彼らに古巻の言葉は届かない。

母が死んだ。
竹やぶで首を吊ったのだ。

そして、それを発見したのは古巻だった。もう一週間も行方が知れぬ母を、関係者が総出で探していた。古巻は夢を見た。母が古巻の手を引く夢だった。そして自分が死んだことを、誰のせいにもしてはいけないと言った。夢の中で、母に呼ばれた気がした。
そうして幼馴染の拓真を連れて、声のする方へ走った。母はそこに、居た。
古巻の父親は、普段から留守がちでなかなか家には帰ってこなかった。母は、それだけ責任あるお仕事をしているからと言っていたけれど、帰ってきても母親に素っ気ない父がどうしても好きになれなかった。そんなある日、父は帰ってくるなり珍しく笑顔で、出かけようといった。古巻は嬉しかった。こうして家族で出かけるなどということは、これまでにないことであったからだ。

しかし、その喜びはすぐに失望に変わった。父は意気揚々と京都駅のプラットフォームに立つと、「今日は桔華が帰ってくるんや」と言った。古巻は、それが誰なのかわからなかった。姉、ゆゑは嬉しそうな顔をした。母も心底ほっとしたような顔をしていたが、古巻はその表情になにか影のようなものを感じた。それはなんの根拠もないものであったが、その幼い心がなにか嫌なものを感じたのは確かだったのだ。

滑り込んだ電車から降りてきたのは、母と歳の変わらない女だった。父親は満面の笑顔だし、姉も笑顔だった。母も、どこかほっとしたような表情をしていたが、古巻はその女に酷い嫌悪感を抱いた。しかも、古巻の尊敬する曾祖母、桜花の名前をこの女がもらうという。ますます意味が分からない。なぜこんな見ず知らずの女が、いきなり自分の世界を壊していくのだろう。父はなぜ、母ではなくこの女にだけ笑顔を見せるのだろう。古巻は、桔華に差し出された手を全力で払った。この女だけはどうしても許せなかった。絶対に許すことはできなかった。

母の葬式が終わる頃、「桔華」は京都を去った。
夏の終わり、秋の風が混じる早朝、古巻は父親に手を引かれていた。朝、いきなり叩き起こされ、何も聞かされずにここまで引っ張ってこられたのだ。父は、「桔華」に古巻を預けたいと言った。そして古巻と桔華を抱いて、泣いた。母の葬式でも一度も涙を見せなかった父が、桔華の前では泣けるのだと古巻は思った。古巻は、今度は桔華に手を引かれた。別に寂しいとは思わなかった。ただ、ずっと仲の良かった友人にさよならが言えないのはつらいと思った。

それから、「桔華」とは口を利かなかった。
彼女が桜花と呼ばれていることは知っていたけれど、古巻はそれを絶対に認めたくなかったし、この女には父親と同じくらい嫌悪感を持っていた。母がずっとつらい思いをしてきたのはこの女のせいなんだ。東京について三日ほど、出された飯にもほとんど手を付けずに強情を貫いてのち、古巻はとうとう「桔華」の東京の自宅を出た。京都の実家への道など全く分からなかった。また、草履もはかずに来た。途中で雨が降ってきた。小振りのうちは我慢していたが、やがて本降りになってくると、とうとう前に進めなくなり、ようやくみつけた納屋でひとり、ぼんやりと懐かしい人たちの名前を思い出していた。

やがて日が暮れた。
人通りも少ないらしいこの界隈は、雨のせいもあってか、古巻が雨宿りを始めてから通りかかるものもいなかった。古巻は冷え切った身体を抱えて、ぶるぶると震えていた。母が居なくなってしまった。大切な友人とも離れてしまった。尊敬する祖母には、「彼女を桜花として認めなさい」と言われている。なにもかもが古巻の心のままにならず、ぐしゃぐしゃに握りつぶされているような気持ちだった。せめて会いたい。桜花様や、拓真に会いたい。そんな気持ちで家を出てきたのに、どうやらそれも適いそうにない。古巻はとうとう泣き出してしまった。どうしてだれもぼくを見てくれないのだろう。ぼくはいらない子なのかな。母もいない。父もいない。祖母にも、友人にも会うこともできない。あいつを認めたくない。もういやだ。こんなのもう、全部いやだ――。

 ふわりとあらわれた人影は、古巻もよく知るものだと思った。
 桜花様だ。この世で一番尊敬している祖母が、いまここに、たいへんな思いをしている古巻を助けに来てくれたのだと思った。古巻は顔を上げた。そうして、どろどろの顔と着物のまま「祖母」に抱きついて、大声で泣いた。わんわんと泣いた。「祖母」はただ黙って古巻の頭を抱いていた。泣きつかれた古巻は、やがて意識が朦朧としてきた。そうしてやっと気が付いた。この女は祖母ではなかった。あの女だった。あの女の中に、古巻ははじめて祖母を見た。彼女の着物も、雨と泥でぐしゃぐしゃだった。ああそうか、少しならこの人を信じられるかもしれない、古巻はこのとき、初めてそう思った。

 古巻は、桔華の背中に背負われていた。
 静かな夜だった。雨は上がった。うとうとしながら、背中から伝わる彼女の体温を感じていた。

「ねえ古巻さん、わたしは、あなたに認められてこそ、本当の桜花になるのかもしれません」

 だから決して、古巻は彼女を桜花とは呼ばない。
 彼女が本当に桜花たる器なのかを、見極めねばならぬのだ。

 それがいま、おれがここに在る意義なのだ。

 だから知らねばならぬと思う。京都に戻ってくるまでの10年に、彼女が一体何をしたのか。何を見てきたのか。


*****


 古巻は寝所に身体を起こした。
 あの時の夢を見るのは久しぶりだった。

 時計は、夜半過ぎを示していた。思えばこの10年、桜花は決して、自らの過去を晒すことはなかったように思える。今なぜこうしてスヨンの母娘に関わろうとするのか。もしかしたら、それはいままで触れることができなかった桜花の過去に何か関係があるのかもしれない。

 
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2012/10/28(日)
4、田園都市、春

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