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田園都市、春(11)

 そのうちに頼んでおいた氷が来たので玄関先の古巻が受け取った。
 持ってきた本人は、そそくさとその場を去って行った。この一角には立ち入りたくないということらしい。同じ朝鮮人街でも、ここは病に侵された末期の人間の住むところ。そういう汚れの意識なのだろう。満足に生きることもままならぬ今、同胞とはいえ他人に手を貸す余裕などないのかもしれない。
 それはそれで悲惨なコミュニティの現状だ、と古巻は思った。同時に同情もした。同情は立派な侮蔑だ、とも思った。

 古巻は、スヨンの家の入口をくぐった。
 汚れた衣類と寝具を交換し、ミヨンは所在無く寝息を立てていた。先ほどのような咳き込みもなく落ち着いていた。
 それをいまだ緊張感を持った目で見詰めている千鶴。そんな千鶴と、落ち着いた母親の顔を観ながら、ホッとした顔をしたり、また気を張り詰めたような表情をしているのがスヨンだった。
 氷を持ってきた旨を伝えると、千鶴からそれを適度に砕く様にと指示があり、それらをゴム袋にいれて入口を縛った。市販されている氷枕のゴムではなかった。スヨンは町の工場で拾ってきたものだと言った。
 できた簡易型氷枕をミヨンの後頸にあてがい、そこで千鶴もようやく小さく安堵したようだった。大きく息をつかないところが、千鶴らしい。ぴょんとスヨンが千鶴の首に抱きついて「ありがとう」と言った。何度も言った。

「もうだめかと思ったの、でも、誰に助けを求めたらいいかわかんなくて」

 ここに来た当初は、母親の容体について近所にも声をかけたことがあるのかもしれない。しかしこの様子では、住民からもこの母娘がよく思われていないだろうことは明白だった。

「ひとりでお母様のお世話をしていたのね。よく、頑張りましたね」

 千鶴は呼ぶ名前を見つけられずに躊躇った。

「スヨンだよ。漢字だと、『秀英』って書くの。お姉ちゃんは?」
「朝倉千鶴です」

 古巻はおや、と思った。聞いたことのある氏名(うじな)だった。

「千鶴おねえちゃん、ねえ、どうしたら母さんの病気を治してあげられるかな。やっぱり、いいお薬が必要?ならさ、あたしすっごく働くよ。大丈夫、母さん一人くらいあたしが養っていける。ねえ、どんなお薬が必要かな」

 千鶴は首を振った。そしてスヨンに優しく語りかけた。

「必要ありません。高いお薬よりも必要なことがあるの」
「必要なこと?なあに、教えて、あたしなんでもするよ」

 スヨンは身を乗り出してそう言った。

「まずは、窓を開けること。いつも新鮮な空気を、この部屋に入れてあげてください。次に、お母様の身の回りは、常に清潔に保つことです。お布団はもちろんですが、可能であれば来ているものも一日に一回は交換してあげて。人間は寝ているときにたくさん汗をかくものだから、身体を拭いてあげることも大切なのです。そのときに、皮膚に異常がないか確かめてあげてくださいね。長く寝たきりでいると、床ずれが起きていることがあります。ここから細菌が入ると、患者さんにもっと苦しい思いをさせてしまうことになります」

「う、うん、わかった。でも、そんなのでいいの…?」

 特別な医療行為や薬を一切使用しない千鶴の指示に、スヨンは拍子抜けしたような声で聞き返した。千鶴はやはり優しく微笑んで、目で一つ、頷いた。

「お食事は、どうしていますか」
「おにぎりをもらってくるんだ。それを母さんに食べさせてる」
「1日3回?」
「2回。朝と夜。昼は、仕事くれるとこ探してあたし家を離れているから」
「あなたはちゃんと食べているのですか」

 スヨンはまるで咎めごとを指摘された子供のように、千鶴の顔を見た。

「でも、母さんは病気だから、いっぱい食べて、体力付けなくちゃいけなくて」
「スヨン、わたしと約束してください。まず、病人を看護するとき、看護する側の健康は絶対条件です。あなたが倒れたりしたら、お母様ともども命が尽きてしまいます」
「でも……」

 千鶴は、後ろで黙って二人のやり取りを見ていた古巻に視線を投げた。
 古巻はそれに頷いて見せた。

「それと、お母様のお食事は、おにぎりのままではなくて、それを湯に溶いて、柔らかくしてあげてください。食べ物のかさも増すし、本人も呑み込みやすいはずです」

 そういって、千鶴はスヨンの肩に手を置いた。

「毎日これをこなすのは、大変なことです。でもスヨンならきっとできますね」
「もちろんだよ。ありがと、千鶴ねえちゃん。あたし、がんばる!」

 ぱっと千鶴に抱きつくスヨンは、やはり年相応の少女だった。こんな笑顔もできるのだな、と古巻は思った。やはり同性の方が気を許しやすいのかもしれない。

「それにしても、お前役に立たないな!ここに何しに来たんだよ」

 千鶴に身体を預けたままで、顔だけ古巻に向けて古巻に毒づいた。前言撤回。やっぱりかわいくはない。

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2012/10/02(火)
4、田園都市、春

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