桜花往生

kanayano版日本近代史。

2012/10/02(Tue)

田園都市、春(11)

 そのうちに頼んでおいた氷が来たので玄関先の古巻が受け取った。
 持ってきた本人は、そそくさとその場を去って行った。この一角には立ち入りたくないということらしい。同じ朝鮮人街でも、ここは病に侵された末期の人間の住むところ。そういう汚れの意識なのだろう。満足に生きることもままならぬ今、同胞とはいえ他人に手を貸す余裕などないのかもしれない。
 それはそれで悲惨なコミュニティの現状だ、と古巻は思った。同時に同情もした。同情は立派な侮蔑だ、とも思った。

 古巻は、スヨンの家の入口をくぐった。
 汚れた衣類と寝具を交換し、ミヨンは所在無く寝息を立てていた。先ほどのような咳き込みもなく落ち着いていた。
 それをいまだ緊張感を持った目で見詰めている千鶴。そんな千鶴と、落ち着いた母親の顔を観ながら、ホッとした顔をしたり、また気を張り詰めたような表情をしているのがスヨンだった。
 氷を持ってきた旨を伝えると、千鶴からそれを適度に砕く様にと指示があり、それらをゴム袋にいれて入口を縛った。市販されている氷枕のゴムではなかった。スヨンは町の工場で拾ってきたものだと言った。
 できた簡易型氷枕をミヨンの後頸にあてがい、そこで千鶴もようやく小さく安堵したようだった。大きく息をつかないところが、千鶴らしい。ぴょんとスヨンが千鶴の首に抱きついて「ありがとう」と言った。何度も言った。

「もうだめかと思ったの、でも、誰に助けを求めたらいいかわかんなくて」

 ここに来た当初は、母親の容体について近所にも声をかけたことがあるのかもしれない。しかしこの様子では、住民からもこの母娘がよく思われていないだろうことは明白だった。

「ひとりでお母様のお世話をしていたのね。よく、頑張りましたね」

 千鶴は呼ぶ名前を見つけられずに躊躇った。

「スヨンだよ。漢字だと、『秀英』って書くの。お姉ちゃんは?」
「朝倉千鶴です」

 古巻はおや、と思った。聞いたことのある氏名(うじな)だった。

「千鶴おねえちゃん、ねえ、どうしたら母さんの病気を治してあげられるかな。やっぱり、いいお薬が必要?ならさ、あたしすっごく働くよ。大丈夫、母さん一人くらいあたしが養っていける。ねえ、どんなお薬が必要かな」

 千鶴は首を振った。そしてスヨンに優しく語りかけた。

「必要ありません。高いお薬よりも必要なことがあるの」
「必要なこと?なあに、教えて、あたしなんでもするよ」

 スヨンは身を乗り出してそう言った。

「まずは、窓を開けること。いつも新鮮な空気を、この部屋に入れてあげてください。次に、お母様の身の回りは、常に清潔に保つことです。お布団はもちろんですが、可能であれば来ているものも一日に一回は交換してあげて。人間は寝ているときにたくさん汗をかくものだから、身体を拭いてあげることも大切なのです。そのときに、皮膚に異常がないか確かめてあげてくださいね。長く寝たきりでいると、床ずれが起きていることがあります。ここから細菌が入ると、患者さんにもっと苦しい思いをさせてしまうことになります」

「う、うん、わかった。でも、そんなのでいいの…?」

 特別な医療行為や薬を一切使用しない千鶴の指示に、スヨンは拍子抜けしたような声で聞き返した。千鶴はやはり優しく微笑んで、目で一つ、頷いた。

「お食事は、どうしていますか」
「おにぎりをもらってくるんだ。それを母さんに食べさせてる」
「1日3回?」
「2回。朝と夜。昼は、仕事くれるとこ探してあたし家を離れているから」
「あなたはちゃんと食べているのですか」

 スヨンはまるで咎めごとを指摘された子供のように、千鶴の顔を見た。

「でも、母さんは病気だから、いっぱい食べて、体力付けなくちゃいけなくて」
「スヨン、わたしと約束してください。まず、病人を看護するとき、看護する側の健康は絶対条件です。あなたが倒れたりしたら、お母様ともども命が尽きてしまいます」
「でも……」

 千鶴は、後ろで黙って二人のやり取りを見ていた古巻に視線を投げた。
 古巻はそれに頷いて見せた。

「それと、お母様のお食事は、おにぎりのままではなくて、それを湯に溶いて、柔らかくしてあげてください。食べ物のかさも増すし、本人も呑み込みやすいはずです」

 そういって、千鶴はスヨンの肩に手を置いた。

「毎日これをこなすのは、大変なことです。でもスヨンならきっとできますね」
「もちろんだよ。ありがと、千鶴ねえちゃん。あたし、がんばる!」

 ぱっと千鶴に抱きつくスヨンは、やはり年相応の少女だった。こんな笑顔もできるのだな、と古巻は思った。やはり同性の方が気を許しやすいのかもしれない。

「それにしても、お前役に立たないな!ここに何しに来たんだよ」

 千鶴に身体を預けたままで、顔だけ古巻に向けて古巻に毒づいた。前言撤回。やっぱりかわいくはない。

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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。