桜花往生

kanayano版日本近代史。

2012/09/27(Thu)

田園都市、春(10)

食事が終わった後は千鶴とともに炊事場に立った。皿を二枚割られたところで、彼女には今日のところは自分の仕事を見ているようにと申し付けて、炊事場の片付けを終え、庭の菜園からかぶを抜いてきて漬け込んだ。今晩の仕込みだ。
 続いて廊下に雑巾をかけ、洗濯ものを片づけ、朝の一件のまま放置していた桜花の書斎を整理した。雑多と広がっているように見えるが、桜花なりにどこに何があるのか把握しているらしく、勝手に整頓したりすると面倒なことになったりする。作業スペースと通路を確保し、資料の位置をあまり変えない様に本を寄せた。それによってできた通路の乾拭きをした。

 昼前に、家を出た。古巻は4人分の握り飯と大根の漬物を持参した。
 目的地は、例のスヨンの住むバラック街である。おいていくわけにもいかないので、本人の承諾を得て連れだった。千鶴は古巻の一歩後ろを控えてあるいている。

 どうにも表情が暗い。自分の不出来を責めているのかもしれない。古巻としてはたいして問題にはしていないのであるが、彼女を諌める自分の言葉にも非があるのかもしれない、と自省してみる。

 汽車を乗り継いで、上野駅で降りた。平日の昼ではあるが、公園近くの横丁は多くの人で賑わっていた。
 活発な店頭でのやり取りや観光客の往来が珍しいのか、千鶴は伏せていた顔を上げて、遠慮がちにそれらを眺めているようだった。古巻がそれに気が付いて「少し見ていきますか」というのだけど「いいえ、とんでもありません!」と反射的に返されてしまう。まだ警戒されているのか、そうでなければ、本人のこの気の張りつめようは正直痛々しい。自分に対してそこまで引け目を感じる必要もないと思うのだけど、そういえばまだ千鶴と顔を合わせて半日しか経っていないのだ。いらぬ気を使うより、もう少し慣れてもらった方が下手に刺激せず双方にとっていいのかもしれない。

「ええと、これから知り合いを訪ねるんですが、彼女はどうやら労咳のようで、あまり人と会いたがりません。おれはこの握り飯を届けてくるので、外で待っていていただけますか」

 歩みを進めつつ、とりあえず古巻は要件を伝えた。

「労咳……」
「ああ、ここです」

 家とも小屋ともつかない粗末な建物だ。バラック街の中でも、この一角は人通りが少ない。
 古巻にとって意外だったのは、朝鮮人たちが住むバラックの大通りでも、千鶴が大した動揺を見せなかったことだった。先ほどの横丁は物珍しさがあったように思えたが、明らかに空気の違うこの一角は、もしかしたら千鶴には酷ではないかと古巻は考えていた。古巻に対する遠慮はここにきても変わらないが、世間に対する認識や度胸はあるのかもしれない。
 
 千鶴をここにとどめて、小屋に入ろうとしたところで、中から酷い咳き込みが響いてきた。それを案じるように、少女の母を呼ぶ声がする。スヨンだろう。古巻は藁の仕切をひらいた。そこには大量に喀血しているミヨンと、母の背を支えながら声をかけ続けるスヨンの姿があった。

「おい、大丈夫か」
「おまえ昨日の……!何で」
「その話はあとだ。ミヨンさんの咳が止まらない、とりあえず水を飲ませよう。代えの服と、布団はあるか」
「う、うん」

 古巻はスヨンからミヨンの身体を預かり、喉に詰まっている血塊を取り除こうとした。すると、後ろからその手を止められた。ひんやりとした細い手だった。驚いて後ろを向けば、そこにいたのは千鶴だった。

「血液に直接触れてはいけません。たらいを用意してもらってください。水は飲み水ではなく、環境を清潔にするために桶に水と、雑巾を。こちらの小屋の窓はすべて開けて、古巻さんは、どこからか氷をいただいてきていただけますか」

 先ほどまでのとおり、発する言葉そのものに力はないのであるが、淀みなく適切に単語を発する千鶴に、古巻は素直に「わかった」と返事をした。昨日豚汁を一緒に作った女が路地を歩いていたので、そこで氷を用意してもらうことになった。言づけて小屋に戻ると、千鶴は着物をの袖をたすき掛けて右腕でミヨンの汚れた身体を支え、血塊をたらいに吐き出させていた。人間の体のつくりにのっとった、効率的な方法なのだと素人目の古巻にも分かった。
 スヨンも支持された通り桶に水と手ぬぐいを用意しており、千鶴のそばで不安げに母親を見つめていた。ミヨンは落ち着いては来たものの、意識も朦朧とした中で、たまに思い出したように大きな溜めを必要とするような咳をした。たらいには黒い血塊が広がっていたが、それ以上吐血することはなかった。古巻が勝手に一息つくと、千鶴はミヨンの様子をみつつ、彼女の身体をゆっくりと布団に横たえていた。ミヨンの汚れた上掛けを取り、寝間着の腰ひもを外し始めたので古巻はどうしようか一瞬判断が遅れてしまったのだが、

「あんたちょっと外に出てなさいよ!」

とスヨンによって小屋の外に追い出されてしまった。今は力になれることはないなあと思いつつ、小屋の前に腰を下ろしてぼんやりと虚空を眺めている。

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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。