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田園都市、春(8)

 桜花は、5年ほど前から月定例の歌会を主催している。
 雑誌「のはら」の同人や、桜花を慕う素人や学生ら20名ほどが集まって、ようするに趣味を楽しむ会である。歌会というほど改まったものでは無い。
 「のはら」同人の一人で、仙内美知女という男がいる。年のころは50代半ば、実業家であるが歌詠みが趣味で桜花と意気投合した。その仙内の家は日暮里にあって、この東京市下にあって庭があり、和洋折衷の豪邸である。その一室を、桜花の歌会のために解放してくれた。ときには小さな中庭の見える和室で、ときには短い芝生のオープンテラスで、歌会という名のお茶会は開かれた。そのお茶会の給仕をしていたのがミヨンだった。

「仙内さんは8年前に若くして奥さまをご病気で亡くしていらっしゃって、お子さんもいらっしゃらなかったから、あの広いお屋敷にほとんど一人で住んでいたのです。そしてある日、日本での仕事を探していたミヨンさんに出会った。ミヨンさんにはスヨンという娘がいたけれど、仙内さんはスヨンごと、ミヨンさんをお屋敷に引き取った。初めは、給仕として雇っているつもりだったのかもしれないけれど、仲間内では、仙内さんはおそらく、ミヨンさんと再婚するだろうと噂をしていました。ミヨンさんはご主人とスヨンの3人で日本に来たのだそうです。でも、まだスヨンが3つだった時に、新潟で出稼ぎをしていたスヨンの父親から、ぱったり連絡が来なくなった。そこでミヨンさんは日本で働き口を探していて、仙内さんと出会ったのです。
ミヨンさんは日本語はうまくなかったけれど、気が優しくて少し抜けていて、歌会のメンバーからも愛されていました。スヨンも、小さいころから母親の手伝いを良くしていました。歌会にも顔を出していたから、皆から娘のように思われていましたよ。もちろん、仙内さんもスヨンを娘のように思っていたでしょうし、実際、わたしたちからみる仙内さんとミヨンさん、そしてスヨンは本当の親子のように見えました。
スヨンは、日本語も上手でしょう。わたしたちの話にも彼女なりの考えを持って挑んでくるものだから、こちらも大人げなく、向きになって返すこともありました。そのくらい、スヨンは頭のいい子なんです」

 それゆえに、今のようにこじれてしまったのだ、と桜花は言った。

「このご時世、朝鮮の女性をもらうということに世間体もあるから籍を入れないのだろうと私たちは思っていたのです。仲間たちは、そういうことはなんともナンセンスだという連中でした。しかし、仙内さんは政財界とのお付き合いもあるようでしたから、本人が気にしなくとも、会社に影響があることを恐れたのかもしれません。そんなある日のこと、仙内さんが一人の女性を連れてきました。それはそれは美しい人で、まだお若いのに若紫の縮緬地のお着物を見事に着こなしていらしゃいました。仙内さんの娘さんくらいの年のころでしたから、ご親族の方かしらと思ったのです。すると仙内さんは『彼女と結婚することになった』というのです。わたしたちはミヨンさんと一緒になるのだとばかり思っていたのだけど、先ほどの事情もあるから、これも致し方ないのかしらと思ったものです。ミヨンさんには残念ですけれど、それでも、これからも仲良くやっていけることには変わりないと、若奥さまとのご結婚を祝福したのです」

 その若奥方が、ミヨンとスヨンの存在を認めなかった。
 彼女は、ミヨンが朝鮮人だと分かるや否や、彼女を屋敷から追い出してほしいと仙内に懇願したそうだ。父親が大の朝鮮人嫌いで、娘おその例に洩れないらしかった。家の中のことはすべてミヨンに任せているから、追い出すことはできないというと、若奥方が実家から女中を3人連れてくるから問題ないという。ならばせめて仕事の引継ぎをさせるからと仙内も食い下がったらしいが、若奥方は同じ屋根の下で寝ることはできないから外で寝せろという。仙内は仕方なく近くのホテルの一室を、ミヨン母娘に取ってやった。理由を話し、仙内としてはできる限り面倒を見てほしいという希望を伝え、同時に新しい妻がこういう状態で、今あなたたちにしてあげられることはこれが精いっぱいなのだ、と言った。

「それでも、自分を必要としてくれる仙内さんのことを、ミヨンさんは嬉しく思ったのだそうよ。だから若奥さまの連れてきた新しい女中にもきっちりと仕事を覚えてもらって、自分は身を引くつもりでいたようです。でもそれも適わなかった」

 ミヨンは体を壊した。引継ぎのためとはいえ、仙内の家に行くたびに若奥方や女中たちに彼女の人間性を否定され、存在を否定され、理由もなく毛嫌いされた。それでも、世話になった仙内への最後の奉公と言い聞かせ、彼女は体中に痣を作りながら仙内の屋敷へ通った。歌会で、顔じゅう痣だらけのミヨンの姿をみて、一同で絶句した。半月ほど前から、仙内は仕事のためにヨーロッパへ旅立ったということで姿は見えなかった。それから四日後、ミヨンはスヨンを連れて仙内の家から姿を消した。歌会の仲間内でその行方を知るものはいなかった。

「手がかりはない。でも、彼女たちが頼れる場所があるとも思えない。ずっと気に掛けておりましたら、上野でスヨンを見かけたのです。声をかけたのですが、逃げられてしまいました。追いかけて、あのバラック街にたどり着きました。そこで、痩せ衰えたミヨンさんを見つけた」

『いまさら何しに来たんだ!』

「スヨンは、裏切られたと思っているのかもしれません。父親のように思っていた仙内さんも、苦労する母親の力にはなってくれなかった。母親が人間としての尊厳さえ否定されるのは、彼女自身の能力などには一切根拠がなく、ただ母が『朝鮮人』であり、奥さまはその支配国である『日本人』であるという理由だけでこのような振る舞いが許される。彼らだけではない、この国にいる多くの朝鮮人がこのような理不尽を感じているはずです。あの子は頭のいい子ですから、バラック街で大人たちが話をしているのを耳にしたりすることで、ますます日本人への不信感を強めていったのかもしれませんね」

「なるほど、それでバラック街で炊事をすることで、ミヨンさんとスヨンのところに行く口実を作ろうとしていたんですね」

「ええ、まあ、そんなところです」

 歯切れの悪い返事だと古巻は思った。これが核心ではない様に聞こえたのだ。
 それを改めようとしたところで、桜花も古巻に何かを問いかけようとしてるところだった。同時に話し始め、同時に互いに譲った。が、古巻のほうが簡単に譲るのを諦めた。

「今日はなんでおれを連れて行ったんですか」

 普段の桜花なら、こう考えるのではないか。
 多くの日本人が被支配感情を持っている朝鮮人に関わらせるなど、後々のためによくない。桜花自身はそのようなことに頓着しないといっても、古巻の父親から息子を頼むと託されたのであって、それを危険に近づけることはできるだけ避けたい、と。

「あなたなら」

 桜花は少しだけ言葉を選ぶようにして、押し黙った。

「きっと、だいじょうぶだと思ったのです」

 その返答は、古巻の疑問を悉く解消するものでは無かったが、「さあ今日はもうおやすみなさい、夜遅くまで女性の部屋に入り浸るものではありませんよ!」とせっつかれたので、部屋を後にした。さきほどの女は、深い、静かな寝息を立てている。桜花が言うとおり、大事はなさそうだ。

 廊下に出ると、軒下から春の星が見えた。
 おおぐま座の尾は北斗七星。その向かい側のこぐま座に、北極星が見える。今は亡き人々が住まうのだと友人が言っていた。


ーーなんでだろうな、おれはおまえがそこにいるとはどうしても思えないんだ。


 心が曇ると、夜空を見上げては「友人」に話しかける。なんの科学的根拠もないが、古巻にとっては恒常的な精神の浄化作用のようなものとなっている。
 信じられるものが何もなくなる辛さを、自分は知っているかもしれないと古巻は思う。自分の感情を他人に投影して憐れむほどの相手への無礼も無いかもしれぬ。

 ぽりぽりと頭を掻いて、溜息を付く。大した方法も見つからない。 たらいをぶつけられたところがこぶになっていた。昼間のスヨンとのやり取りを思い出したらまたイラッとした。

 もう一度スヨンに会わねばなるまい、と思った。特に根拠は、無い。

 

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2012/09/20(木)
4、田園都市、春

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