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田園都市、春(6)

 古巻が中央の広場へ戻ると、桜花は調理道具の片づけに入っているようだった。
 先ほどの事情を話すと、特段驚いた様子もなく「そうですか」といい、たすき掛けをとり、結わえていた紐と洗っていない鍋を古巻に押し付けた。

「おれの話きいてましたか、あの母親は自分が労咳だって知ってて、先生に来るなって言ったんですよ」
「ええ分かっていますよ。それでは、この場はお願いしますね」

 あの顔は絶対に分かっていない。
 引き留めはしたが、古巻は追いかけることはしなかった。桜花は、一度言い出したら譲らないことを古巻は良く知っている。


 ***


 調理道具の片付けが終わる頃、桜花は戻ってきた。
 片付けは、住民の女たちが手伝ってくれた。言葉は分からなかったが、彼女たちはにこにこと始終笑顔だった。桜花が帰ってくるのを見ると、今度はこどもたちが帳面のようなものを持って駆け寄ってきた。桜花はここで日本語を教えているようだった。

 日が暮れるころ、桜花に教えを乞うていたこどもたちと数人の大人たちと分かれた。こどもたちは元気に手を振っていた。桜花はそれに機嫌よく応えていた。
 古巻の荷物は、桜花の数冊の本と矢立のみである。大根だの米袋を抱えていた先ほどより、ずいぶんと気楽になった。あれだけの大荷物を抱えて国鉄に乗るのは、正直気恥ずかしかった。しかし家の僅かしかない食糧を思い出し、それであと三日過ごさねばならぬことを思うと、また気が重くなってきた。あれだけ食糧を買い込んだなら、少しくらい家の分を取り分けてくれてもよかったのではないのか。
 当の家の主は夕日に向かってううんと背伸びをしていた。本人にとっては、今日もとても充実していたのだろう。古巻の中には、さまざまな疑念疑問がうっ積しているというのに。

「ああ今日もたくさん働きました。今晩の御夕食はなんでしょうか」
「めざしです。一人一本。だれかさんがさっき食材全部使っちゃうから」
「わたしは、めざし好きですよ?」
「三日ほど続きますけど」

 精一杯の皮肉を込めているのだけれど、桜花は聞いているのかいないのか、精神的にダメージを与えられているとは思えない。古巻は一つ溜息をついて、その背中を追っている。桜花と、さっきのバラック街の住民との関係のこと。スヨンと、その母親のこと。聞きたいことは山ほどあるが、今聞いたところではぐらかされるのだろう。この人と一緒に住むようになって、10年になる。この人が、古巻に対してどんな人間なのかを知っていても、この人自身のことを古巻は何も知らない。知りたいと考えたこともなかった。父親の愛人。母親の敵。そして、祖母の名を語る当代桜花。そのすべてが好意とはかけ離れたところから始まっている。この、得体のしれない歌人について何かを知りたいと思ったのは、これが初めてかもしれなかった。彼女が、なぜ朝鮮人と関わろうとするのか。なぜ、かれらを援助しようとするのか。なぜ、今日は自分を同伴したのか。
 
 電車を乗り継ぎ、最寄で降りた。ここ調布へは、2年ほど前に田町から越してきた。「田畑を眺めて暮らしたい」と、桜花が引っ越しを決めたのだ。先だって線路も開通していたため、東京市内へのアクセスも悪くない。市街地ほど建物が密集しておらず、いくぶんか時間も穏やかに流れているような気がする。が、この調布から目黒にかけて、大規模な開削と分譲が始まっていた。郊外に居住地を作り、東京市の人口密集を解消しようと、関西から技師が呼ばれているという話だ。新聞にも連日、今日はどこ、昨日はどこと、この近辺に線路敷設の認可が出たと報じられている。欧米にならい、ここ東京の郊外にも「田園都市」が形成されようとしていた。
 よって、桜花と古巻がここに移住してきたころよりも、人の数が増えた。電車を降りて、プラットフォームに人波ができるようになり、古巻もそれを肌で感じるようになった。とくに、中学に通う朝のラッシュは、低血圧の古巻には相当辛い。電車の中で安息の通学時間を過ごしていた日々が懐かしい。今は席に座ることもできず、電車のドアが開くとそこに人波が流し込まれ、ビンの蓋のように車内に押し込まれる。無言のサラリーマンたちが、えも知れぬ空気を形成している。自分も将来こんなふうになるのだろうかと思い、ならぬためにはどうしたらいいだろうかと考える。自分は気楽に文筆屋にでもなりたいと思うが、桜花を見ているとそう気楽に自分の中に籠ってもいられなそうで、思考はだいたい振出しに戻る。
 気楽ではない。むしろ、桜花は何かを背負い込むようにして仕事をこなしているように見えることがある。創作稼業は、本来自分の中に溢れることばの泉を、人の目に触れるよう形にする作業だ。それは良作を作り出すという意味で自分に負荷を与えることはあるのであろうが、心の深部では、創作そのものを厭ってはいない。好きだからその道をすすんでいけるのであって、それが他人の目に留まることがあるのだ。だが、桜花は自分を常に窮地に追い込むことによって作品を生み出しているような気がする。自らが幸せであることを是とせず、苦境の中から一筋の細い糸を手繰るようにして作品を紡ぐ。普段古巻や、周囲の人に見せる顔はあっけらかんとしていても、自分の心の中では、決して自分を認めぬようなそんな「不幸」を抱え込み、自らの許しを請うようにつらい立場に自分の精神を追い込んでいく。古巻にはそれが、自分への罪滅ぼしでもしているのかと思うことがある。父親との関係。母への悔恨。そしてその二人の息子を預かることで、償いきれぬ罪科を背負い続けていくのだという桜花の呵責。自分自身が、桜花の罪悪感を煽る存在なのだとしたら、それはとても辛辣だ、と思った。そして自分をかつての愛人に預けた父の無神経さを思い、それを承諾した桜花の軽薄さを思い、しかしそれはおそらく、そんな単純な話ではなかったのだと思い至れるような年齢に古巻は至っている。結局思考の落としどころを失って、今晩の夕飯のめざしを楽しみにしている当の本人の小さな背中を眺めながら、強制的にそれまでの思考を排除した。
 
 そんなことより、今日の夕飯だ。このままでは本当にめざし一本になってしまう。

 自宅の門まで来ると、ふと桜花の足が止まった。ぼんやりと考え事をしていた古巻は、それにぶつかりそうになった。


「どうしたんです」


 状況を把握しきれていない古巻が声をかけるより早く、桜花が動いた。植え込みのあたりに、女が倒れている。


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2012/09/14(金)
4、田園都市、春

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