桜花往生

kanayano版日本近代史。

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2012/09/08(Sat)

田園都市、春(5)

 やかんは飛んでこなかった。
 家の中は光り取りの窓も無かった。うちっぱなしのトタンからはクギも飛び出しているところがある。床はない。土間のような地面に、草履のまま入る。6畳ほどの広さに、壁の隙間から辛うじて光がさしていて、その奥に人影が見えた。地面に藁を敷き、その上に布団をひいて、少女の母親は横たわっていた。

 古巻に気が付いたスヨンが立ち上がろうとしたところを、後ろから母親が引き留めた。古巻はちょっと身構えて、「勝手に入ったことは謝る」と言った。母親の制止があるので、スヨンは古巻を睨み付けたまま動かなかった。
 古巻が枕元に膝をつくと、スヨンの母親は起き上がろうとした。古巻が遠慮する前に「だめだ、寝ていなければ!」というようなことを、向こうの言葉で叫んだのはスヨンだった。おそらく母親は「かまわない」ということを口にしたのだろう。スヨンもそれ以上は強く言わず、その空気を察した古巻は母親に手を貸してやった。これだけでも、本人が無理をしているだろうことは古巻にも見て取れた。

「きょうは、もがみ先生は、いらっしゃらないのですね」

娘よりもたどたどしい日本語で、母親は古巻に笑いかけた。

「いえ、そこまでは来ているんですけれど。ちょっと手を離せないからと今日は名代を言使いました」
「では、あなたがこまきさんですね」
「はあ、どうも」

見ず知らずの人間に名前を呼ばれると、何か気恥ずかしい。無意識に視線を逸らしたのだが「なに照れてんだよ」とスヨンにくぎを刺された。

「うちにはゆうしゅうな家政婦さんがいるのだと、先生はいっていましたよ」
「家政婦……」
「そうだ、スヨン、そこのものを」

 この家に唯一ある家具は小さな三段の箪笥で、母親はそこを指差した。するとスヨンはかっと気持ちを上気させて、「필요는 없다 (必要は無い)!!」と叫んだ。

「どうしてそんなことするんだよ!こいつらが勝手にやっていることだろう!?これは明日、オモニに薬を買ってくるお金なんだ!」

「いつもいただいているお薬のお代、本当はもっとお支払しなければならないものなのよ。それを最上先生のご厚意でこれだけにしてもらっているの。その上、お食事まで用意していただいて。きちんとお礼をしなければいけないわ」

「いやだ、これはアボジが送ってくれた最後のお金なんだ!なんで日本人に差し出さなくちゃいけないんだ!」

「聞き分けなさい、スヨン!」

 びくりと身体をすくませたスヨンは、言い返すこともなく母親を見詰めていた。古巻は、言葉は分からなかったがなんとなく内容の見当はついた。二人のやり取りを黙って眺めていたが、やがてスヨンは、何事かを言い残して外に飛び出していった。やれやれと思う間に、母親がごほごほと咳き込みだした。

「大丈夫ですか」
「こまきさん、あそこに、お金が入っていますから、どうか、とってください。本当は、わたしが直接、おわたしするけど、今は、あそこまで」
「薬の代金か何かですか。先生にはそのようなこと申し付かっていません。本人が来たときにでも話をしてください」

 母親の言葉は胸の奥からこみ上げてくる咳によって何度も遮られた。母親の背中をさすりながら、古巻はそんなふうなことを言った。部屋のすみに水かめがあったので柄杓を取り、ふたを開けた。おそらく、共同井戸からスヨンが今朝運んできたのだろう、かめの容量の半分ほどの水が水面を打っていた。
 豚汁はスヨンに叩き落されたが、薬の方は紙包装で、少し土を払えばまだ使用できそうだった。用法を確認し、柄杓で水を運んで母親の口に含ませてやった。少しすると、大分落ち着いてきた。そこで改めて引き出しの金を進められたが、古巻は丁重に辞退した。かわりに、さきほどこぼした豚汁の代わりを持ってくるからと、その場を辞去しようとした。

「わたしはいいです。スヨンにあげてください」

 自分はもう長くありませんから、と母親は言った。

「そんなこというものではありませんよ。たぶんまだありますから少し待っていてください」
「いいえ、ここへはもう来ないでください。もがみ先生にもそう伝えてください」
「はあ、しかし」
「薬、ありがとう」

 カムサハムニダ、と言って母親は手を合わせた。古巻も軽く頭を下げた。顔を上げると、母親の足元に洗濯前の衣類が溜まっているのが目についた。大量の血液で汚染されていた。
 古巻の視線に気が付いたらしい母親は、古巻の推論を肯定するように一つ頷いて、「出て行ってください。これ以上、わたしをくるしめないでください」と力なく呟いた。古巻は、自分に絡みつく感情を断ち切るようにしてその場を後にした。足元には、ぶちまけられた豚汁が広がったままだ。

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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。


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