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「こつる」の太夫(11)


 ***


 月の明るい中庭である。

 座敷の奥では男女の談笑が聴こえている。先ほどから厠に立ったのであろうこの店の客人たちが、拓真の背中を通り過ぎていく以外、この空間は静寂である。士官学校の軍服の上着は脱いでいるので、客人たちも特段、拓真に興味を示さずに厠へ向かい、何事もなく座敷に戻っていく。拓真の方も渡り廊下の縁側に腰を下ろして、ぼんやりと中庭の池に落ちた月影が揺れるのを眺めている。

 兄・輝也の背中を追って、この料亭に来た。小さな門構えをくぐると、輝也を出迎えた何人かの女将がいて、輝也を先導した。拓真もその後ろを追った。拓真はその女を注意深く観察してみたが、どうやらその女たちは、輝也のいう「別につつましくない関係の女」ではなさそうだった。そう、判断できた頃に、輝也がくるりとふりかえり、お前はここで待つように、と言った。もとよりその約束なので、拓真はこくんと一つ頷いて、歩む足を止め、兄の背中を見送った。

 兄は随分奥に行ってしまったようで、様子をうかがうことはできない。別の部屋を覗くのも無粋なので、その場でどうしようかと思案に暮れていたら、輝也に使わされたらしい女が、待機用の小さな部屋を用意してくれた。しばらくはそこに収まっていたのだけど、やはり特段することもないので襖をあけた。すると小さな中庭の水面に写った月からぴょんと鯉が飛び上がり、拓真は思わず身を乗り出してしまった。暗闇の中、水の中を泳ぐ魚をみる機会は少ない。鯉が水面をなぞるたびに、水面の月が揺れた。そうして暗い水面と四角く縁どられた中庭の夜空を交互に眺めていたら、いつの間にか夜も更けていたようである。

 拓真としては、ただ兄の見ている世界を垣間見てみたい好奇心だった。
 輝也の恋路を邪魔しようだとか、自分も遊郭遊びをしたいという気持ちは毛頭ない。拓真のクラスのませた連中のはなしで、新橋あたりの年上の女中と云々という話を聴くことがある。拓真の興味深く聞いている。しかしそれは男女の事柄というよりも、自分の知らない世界に対する好奇心であると言っていい。いろんなものが見え始め、触れる世界のすべてが不思議。知らぬものなら知り得たい。それが拓真の心内の最たるところである。

 兄は、たくさんのせかいを知っているのだ、と拓真は思っている。
 拓真の知りえた見識のほとんどが、輝也の由来によるものだ。ものごとの成り立ち、善悪、歴史、時間、その多くを、輝也の価値観から吸収したものであると、拓真は自覚している。記憶があいまいなころから輝也は拓真に世話を焼いてくれていたのに、最近は学校があるといえ随分顔を合わせる時間が少なくなった。いや、もしかしたら、自分から兄に語りかける機会が減ったからなのかもしれない。もう、ただ兄に付き従うだけではいけないのだ。自ら兄に学ぶ姿勢を見せなければ。

 そんな気持ち半分ずつ。しかし拓真はどこか心に冷たいものを感じ始めている。
 輝也はどこに行ったのだろう。何をしているのだろう。
 確かに必要以上に踏み入ってはいけないのだろうけれど、自分は、本当はかれに歓迎されてはいないのではないだろうか。
 ううん、でも、おれは輝也のことが知りたいんだ。
 輝也が見ているものを見たいんだ。
 輝也に認めてもらえるまで、おれはここで待つんだ。

 心の中の「冷たいもの」に抗うように、拓真はそう、自分に言い聞かせる。
 根拠のない孤独。目の前の水面の月影から、ぽちゃんと鯉がはねた。


「寂しそうな眼をしているわ」


 女の声。拓真は振り返った。
 廊下を渡ってくるのは、芸者見習いの若い女のようだった。長い髪を結い上げておらず、左右の耳の下にお下げをこしらえている。肌は、白い。いつぞや、山城眞子が買ってきた西洋人形のようだ、と拓真は思った。

「桜花」
「先に行って吉岡さんに伝えて頂戴。わたくしは、生理痛で遅れます」

 付き添いの女は、緑子の適当な言い訳に特段感情を上下させることもなく、静かにその場を去った。人気の無い廊下には、拓真と緑子が残った。
 拓真は、異国人の血の混じった人間を見るのは初めてであったから、緑子から目を離せなかった。自分の理解しがたいものが目の前に現れて、それをかれのなかで解釈するには、拓真の好奇心はあまりに大きすぎたのだ。

「あら、わたしがそんなに珍しいかしら」

 緑子が拓真の傍らに膝をつき、その顔を覗き込んで微笑んだ。拓真はどぎまぎしながら頷いた。

「お人形みたい」
「褒めてくださるのかしら。嬉しいわ。わたしは宿禰緑子。親しい人はリコと呼ぶの。あなたにもそう呼んでほしいわ」
「おれは、リコ、と、親しいの?」
「ええそうよ。いま、わたしがそう決めたのよ。あなた、とっても綺麗な目をしてる。あなた自身、とても綺麗なのね。わたしはあなたと友達になりたいわ」

 そういうと緑子は拓真の手を取り、拓真の顔の近いところで、ゆっくりと顔を上げた。

「あなた、お名前は?」
「おれは兄についてきただけで、正式な客ではありません」
「兄?」

 拓真は、緑子の手を離した。その場を立ち去ろうとする。

「待って」

 緑子は、拓真の背を呼び止めた。

「あなたが『拓真』ね」

 拓真は、反射的に振り返った。しかし、自分がこの場にいるべきではないと自覚はしているので、やはりその場を去ろうとする。その後ろ手を、緑子がとった。拓真は振り払おうとしたが、緑子は案外強い力で握りしめている。
 拓真は、去ろうとする意志を諦め、緑子に振り返った。
 初めてまともにその顔を見た。日本人のものではない、銀色の目が、拓真の顔を見詰めていた。

「驚いたわ。そして理解した。あの二人が、揃いも揃って懸想するワケね」

 緑子の言葉が何を示しているのかわからず、返答に窮している拓真の前襟を強引に自分に引き寄せて、緑子は拓真に唇を重ねた。驚いた拓真が身を引こうとするのを許さずに、それをたっぷりと味わって、そうしてようやく、その身を離した。

「友達になりましょう、拓真。また、わたしに会いに来てくださる?」

 目を合わせたまま一方的にそう結論付けて、緑子はやがて微笑む。拓真は相変わらず返答に窮して、ただ緑子の銀色の瞳から目を逸らせずにいるのである。

「教えてあげるわ。あなたの兄上様のこと。そして貴方自身のこと。わたしならあなたに、あたらしい世界を見せてあげられるわ」

 そういって、緑子は拓真の横をすり抜けた。
 ああ、とても楽しいものを見つけたと、心中に呟き、興奮する。

 緑子はまだ理解していない。
 ただいつものように、つまらない人生にほんの少しだけのイレギュラーを見つけたのだと、そう思っている。

 
 ぽちゃんと鯉が水面に跳ねた。
 拓真の方も、一体何が起きたのか、緑子との出来事を経験として処理できずに感情が混線している。


***

 
 緑子と拓真はこの夜、出会った。

 「こつる」の舞台が、幕を開ける。


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2012/05/28(月)
3、吉岡輝也の憂鬱

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