奇人二人(5)


***


 北条古月は、海軍省への挨拶の後、帰宅の途上であった。
 
 戦争が、おこるかもしれない。
 これは商人にとっては、好機である。

 古月は、豆腐屋の奉公から、その製造、貯蔵、運搬を整理して会社を立ち上げた。今では日本の主要な港、あと大陸にもいくつか航路を開き、各地で買い付けも行う流通卸問屋としての地位を確立しつつある。
 とはいえども、三菱、古川というような古参の財閥は政財軍に顔も聞くし、なによりもその知名度と財力をもって国内外の主要なモノの流れを支配している。この構造に一石を投じる機会となったのが先の戦争であった。軍需物資需要の激増に伴う鉄鋼業の拡大、炭鉱、銅山の開発、そしてそれらを運ぶ流通制度の改革、大国清との戦争に向けて、日本という国が一斉に動き出したのだった。古月もその流れに乗った。会社の軌道をのせ、自分は国内外を飛び回り、要人とのつながりを作ろうとした。日清戦争にも従軍した。従軍記者の一団に紛れる形で戦争に参加して、戦地における物資輸送の問題や需要を見極め、そしてあわよくば高級軍人とお近づきになりたいという理由だった。そうして当時見聞きした非常時のノウハウを、近い将来に必要となるような戦争が起こるかもしれない。そんなわけで古月は、知り合いの海軍省の士官に顔を出しに来たのだ。古月、齢27。ひとあたりのよい士官ではあったが、三菱に比べれば生れたばかりの赤ん坊のような古月の会社へ、軍事物資は任せられぬという態度だった。まだ数度、足を運んだだけである。三菱ほども大きくない古月の会社は、その小回りの良さを売りものにできる。もしかしたら敵側に回るかもしれぬロシアは日本にとってはとてつもなく巨大な相手であり、それは世界でも同じ認識で、極東の小国に借款しようなどという物好きは、そう多くないに違いない。ともすれば経費は少なければ少ないほどいいわけで、そのあたりに古月は、自らの勝算を見出している。決して絶望的ではないと思っている。

 さて。
 千代田坂を上れば巨大な敷地に背筋の伸びた憲兵が二人並んでいるのが陸軍省であるが、今日は少々趣が違う。
 まず、ちらほらであるが物見がいる。
 かれらの視線の先には、門前で憲兵に何度も押し戻され、それでも敷地に入らんとする人影。
 どうやら女のようだった。

「どいてください!わたしは舎人様にお話があるのです!」
「部外者の立ち入りは認められていない!帰れ!」
「今日はこちらにいらっしゃるんでしょう!?会わせてください!これは日本の存続にかかわる重要な問題なのです!」

 物騒なことをおっしゃる、と心中呟きつつ、戦争が起こってくれた方が儲かるんやけどなあ、と思ったことも事実だった。近づくにつれて、女はまだ少女のような年頃なのだということに気が付いた。女学校を出たばかりであろうか。身なりはそれなりにこぎれいであったし、顔にはうっすらとおしろいも施してあるようであった。先日、長女を出産した古月の妻よりも若いかもしれない。小さな顔に、細い眉毛をきりりと吊り上げて、彼女はそれでも、小さな体で何度も憲兵に体当たりをして、「そこを開けて」と叫んでいる。

「お願いします、耕三郎様とお話をさせてください!」

 おや、と古月は思った。いま、この女は舎人耕三郎の名前を呼んだか。
 古月が日清戦役に従軍したとき、そこの部隊長を務めていたのが、士官学校をでたばかりのかの男であった。まったくに無愛想な男で、普通ならば、関西人の古月にはそのクソ優等生面をしている若い士官を快くは思わないのだが、あるいは自分は男でありながら男に懸想してしまったのかと思うほどに、古月のこころの中にとどまり続けている名前であった。
 歳は、幾分も変わらないであろう。大義名分を振りかざすでなく、自己顕示欲をひた隠す出なく、小さな部隊をまとめ、率いていく力に、そして状況を冷静に見極めることができるその真眼に、古月は本能で敬服してしまったのだ。
 
 軍人は好かん。せやけど、こんなやつもおったんやな。

 一言二言、言葉を交わしただけであった。
 その名前を、6年ぶりに耳にしたのだ。



 もう何度目になるのか、女は憲兵に押し返され、勢いづいてそのまま尻もちをついた。
 物見たちはひそひそと何かを話すだけで、彼女に手を差し伸べることもしない。「気の触れた女」とでも写っているのであろう。古月も、耕三郎の名前を聞かねば、ただそこを通り過ぎたのだと思う。しかし、「もしかしたら」という興味本位な直感で、女を抱え起こした。女の方は随分驚いたようだった。

「えらいすんまへんなあ。これは、わいの知り合いのなんやけど、先日、日清戦役のときの舎人はんのご活躍ぶりのお話を聞かせたよって、その武勇たるや大陸にも名を馳せたる!ゆうてわいが吹き込んださかい、寝ても醒めても耕三郎様の名前を口にするほど入れ込んでしもうて、わいがちょっと目を離したすきにこっちにまで追いかけてきよったんです。いやはや、人伝手の話だけでここまで女を惚れさせてしまう舎人大尉はんも、罪はお人やなあ。一目会うたらこれも気が収まると思いますさかい、取り次いでいただけまへんやろか」

 女が異議を申し立てようとするのを無理やり抑え込んで、へらへらとにやけ顔を作りながら古月はあくまで憲兵の下手に出た。目的のためならいくらでも話をでっちあげられるのは、商人としての性が自分に合っているからなのだと古月は思っている。

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2012/04/02(月)
1、奇人二人

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