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「こつる」の太夫(8)


 ***


 兵舎は起床、着替え、朝食から掃除、授業開始に至るまでまったく隙がない。
 日曜の夜は、輝也が帰宿すると既に雄一郎は就寝していたため、先日の真相を聴き出せずにいるのだ。

 昼食後の僅かな自由時間、輝也はようやく雄一郎に接触した。


「先日のことだが」


 周囲がひそひそとこちらに注意を向けているのが分かった。先日の「決闘」以来、確かにクラスの空気は幾分か真面になったのかもしれないが、それにしても視線が痛い。とりあえず、輝也は雄一郎の背中を押して講堂を出た。

 昇降のための階段の横。気持ちではあるが、人目を憚ることもない。


「なぜあそこにいた。久坂に何か言われたのか」

「何の話ですか」

「ここにきてとぼけるのか?お前が、あの料亭にいたのはなぜだ」


 雄一郎はあからさまに不機嫌な顔をして、そのまま輝也の横を通り抜けようとした。輝也はそれを体で遮った。


「話すことは何もありません」

「久坂には関わるな。お前にとっていいことは何もないぞ」

「同期の誼でひとつ忠言をしましょう。上官を呼び捨てにすることは許されませんよ。態度を改めなさい」

「もう一度言う。お前が何を思ってあそこにいたのかは知らぬが、金輪際久坂には関わるな。いいな」

「あなたが久坂大佐のなんなのか詮索をするつもりはありませんが、私は、かれの指示に従うだけです。あなたも、乞われてあそこにいたのでしょう。ならば、互いに互いの仕事をするまでです。私も、あなたには何も問いませんから」


 そうしてもう一度通り過ぎよとする雄一郎を、輝也は力いっぱい壁に押し付けた。
 雄一郎はそうして初めて少し驚いたようなそぶりを見せて、そしてやがていつもの不機嫌な目を輝也に向けた。


「こっちを向け。話を聞け。久坂に何を言われたのかは知らぬが、お前があれに従わねばならぬような状況なら、俺が何とかする。だからお前はあそこから身を引いてくれ。頼む。これはお前のためというより、俺の――」


 そこまで言って、言葉が続かなかった。
 実の姉を目の前に、拓真のことをなんと言えばよいのだろう。


「あなたの?」


 雄一郎が初めて問い返してきた。輝也は目を逸らし、雄一郎から離れた。雄一郎は静かに輝也を見詰めている。


「こないだの続きだが」


 輝也は顔を上げずに言った。


「お前は人を殺せるんだな」

「命とあらば」

「『若冲鳳凰』は、山城さんから預かったのか」

 
 初めて、雄一郎の感情が大きく上下したのが分かった。ある程度想起はしていたが、どうやら確信を付いたらしかった。

 あの体術も、武道も、おそらくその剣術も、幕末戊辰を佐幕派の女武士として名を馳せたあの山城眞子に仕込まれたものなのだろう。男にも勝る知略。振る舞い。その多くが、彼女に起因する。


「……何を知っているんです」


 『若冲鳳凰』は、先日、雄一郎が手にしていた日本刀の俗名である。
 刀身そのものは、業物ではないという。ただ、戦国期作の長刀で、江戸300年を通じ剣士たちの手を経るごとにその刀身は冴えわたり、切った人間の血を吸って、歯が仄かに紅く輝くのだという。
 無銘ではあるが、佩裏には鳳凰図が刻み込まれており、その豪快さ、壮麗さからいつしかその「名刀」は、江戸期の高名な絵師伊藤若冲の名前を冠するようになったのだという。多くは実用刀として使用されたということだが、芸術品としてもその道に通じるものならば一度は目にしたい逸品なのだそうだ。 

 その『若冲鳳凰』は幕末にいたり、後、白河川修の妻になる女が手にしたのだという。
 彼女が死んでから、山城眞子が所有するようになった。そう、白河川修から聞いた。


「おれは何も知らない。だからお前にこうして聞いている」

「禅問答をするつもりはない。あなた、まさか」


 そういったところで、予鈴の喇叭が鳴った。学徒たちが教室に向かい始める。
 輝也と雄一郎は、互いに疑念の晴れない感情を視線で交えながら、やがて教室に向かった。

 

 それから一週間、大した話もしないまま、また土曜の夜が来て、「こつる」で雄一郎と顔を合わせた。
 輝也は、緑子に歌舞を仕込み始める。
 雄一郎は緑子のお目付けを言いつかっているらしく、二人のやり取りの場末で、『若冲鳳凰』を携え、静かに控えている。

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2012/03/07(水)
3、吉岡輝也の憂鬱

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