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「こつる」の太夫(6)


 ***

 
 今日のところは返してほしいという輝也の願いは母、楽弥によって退けられた。


「あの男の元には、使いを出しているから」


 と言ったのは久坂だった。あの男とは、今の輝也の庇護者である白河川修のことである。
 いったい、何をどう説明したというのだろう。今や主戦派の最主流となっている久坂廣枝大佐の使いに、軍縮派筆頭と陰で目されている白河川修元帥がどう反応するか。大方の予想はつく。「そうか」といって、それきりだ。

 あのタヌキ親爺は、ことが動くまで、良しも悪しきも放任し、しかるべきところを見極めてから行動する。今回は、輝也をダシに久坂がどう動いてくるのか、見定めようと腹積もりをするに違いない。久坂もそれが分かって、わざわざ自ら白河川に使いを出したのであろう。まったく、輝也にはつまらない。今や陸軍内を分割する二つの主流の、そのど真ん中を任されて、そこでひとりで役目を演じて見せろというのだ。



 輝也は、緑子の後ろをついている。
 緑子の持つ蝋燭の明かりが、その肌の白さ、髪の毛の色の赤さを如実に照らし出した。

 奥の間を、すらりと彼女が開けた。後続する輝也が襖を閉めると、部屋は薄明りの間接照明の明かりで、ほのかに明るい。

 緑子は蝋燭を吹き消すと、輝也に向き直り、三つ指をついて一礼した。
 両耳の下で束ねられた豊かな髪が、ぱさりと畳に落ちた。

 女は、何も話そうとはしない。
 瞳を伏せがちに、輝也の反応を伺っているようだ。

 こうにも露骨に誘われると、かえって興醒めしてしまう。もとより、そういう欲求は一切ない。できれば早く今日の仕事を済ませて、一人になりたい。そう思って、輝也は口を開く。


「おれは、楽弥のいいつけだからこうして出向いたまでだ。変な気は使わなくていい」

「男でなければ、興味をもっていただけないのかしら」


 まるで感情のない西洋の人形のような女が、輝也の声に重ねるようにして言い放った。


「残念だわ。かの名高い『仙輝煌』の肌を味わってみたかった」


 そういって、女は目を細めた。にやりと口元を緩め、そうしてその銀色の瞳を輝也に向けた。


「噂に違わぬ美貌ですわね。楽しくなりそうだわ」

「なるほど、楽弥の好みそうな女だ。毛色ばかりでなく、その物言い。確かに、あんたが芸事を身につければ、ここの看板にもなれような」

「勘違いしないでくださいまし。わざなど無くとも、私はここでは一番になれますわ。私もあなたと同じ。楽弥がそうしろといったからここにいるのよ。もっとも、あなたと同じとはいっても、楽弥にとって私は、あなたと同じ価値ではないわ。あなたが楽弥とともに築いてきたもの、それを私が体得して、はじめて、楽弥の望む私が完成するのよ。あなたともあろう方ですもの。お気づきのことと思いますけれど、あなたはもうお役御免なの。だから、舞台から降りる前に、その身に纏った美しい衣装を私に譲っていただかなくては」

「次代のシテはお前か」

「そこまで思い上がってはいませんわ。それを決めるのは楽弥だもの」


 美しい日本語だった。緑子は輝也の言葉に一切、臆する様子も見せず、目を逸らすこともなく、輝也を侮辱するわけでもなく、淡々とその事実を並べたにすぎなかったのだが、緑子の言葉は、輝也の中の「輝煌」を呼び起こすのに十分だった。女の口元に浮かぶ笑みは、輝也の神経を高ぶらせ、五感が一斉に当時のそれに切り替わり、情動への理性も慎みもなく、輝也は本能のまま、右の手で女の首を床に叩き付けた。緑子の方は抵抗の暇なく輝也に距離を詰められ、輝也の腕を掴み返す。しかし、輝也に、女の首を絞めつけているという自覚は、一切ない。


 楽弥、おれはもう、本当にあんたの役に立てないのか。
 あんたも、おれを捨てるのか。


「……う」


 緑子が苦しそうに声をあげる。輝也を引き離そうとする手にも力がこもるが、緑子の目に映る輝也に、ためらいの様子は微塵もない。


「美しいわ。楽弥は、あなたのそういう、一途な感情を愛していたのね」


愛シテ、イタ。
輝也の中では、そう反芻された。それはもはや、高まった神経を逆撫でする以外の何物でもなかった。


「あなたにはわからないでしょうね、この気持ち。この愛しさ。男の、あなた、には」


がはっ、と緑子が咳き込んだ。輝也は尚も女を押さえつける腕の力を緩めない。緑子の方も苦しいが、それでもあくまで余裕を装い、輝也から目線を外さなかった。

 輝也が、通常の五感を取り戻したのはその時だった。
 自分の行為に吃驚するより早く、刀の柄が、輝也の鳩尾を襲った。一瞬の判断で即座に身を引き、直撃は免れたものの、使い手に体当たりをされたまま、輝也の身体は後方に吹っ飛んだ。

 したたかに打ちつけた背中が痛んだ。徐々に理性を取り戻し、今、自分が支配された情動を思い起こそうとする。しかし、記憶が断片的に途切れており、自分の行為を客観的に振り返ることができない。心の奥にある感情は、負のものだ。悔しい。悲しい。

 いや、寂しい――?

 緑子は、喉を抑えて何度も咳き込んでいた。それを見て、輝也も自分の行いを自覚し始めた。
 なんだ、これは。
 こんなことは、日本に来てからは一度だってなかった。大体、おれはもうあの時のおれではないのに……!

 ひとまず、感情に支配され、緑子に手を出してしまったことは、詫びねばならない。そう思って、顔を上げたところで、そこにいた人物の、顔を見た。

 そこには、ここにいるはずのない士官学校の同期の姿があった。
 抜かぬままの日本刀を脇に抱え直し、輝也から緑子を庇うように立ち上がった。そうして、驚きのあまり動けずにいる輝也の前に進み出る。


「お前、なんで」

「楽弥の命を聴けぬというのであれば、この場であなたを斬ります」


 感情を大きく揺り動かす様子もなく、輝也を見下げた舎人雄一郎が、容赦なくそう言い放つ。

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2012/02/29(水)
3、吉岡輝也の憂鬱

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