桜花往生

kanayano版日本近代史。

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2012/02/29(Wed)

「こつる」の太夫(6)


 ***

 
 今日のところは返してほしいという輝也の願いは母、楽弥によって退けられた。


「あの男の元には、使いを出しているから」


 と言ったのは久坂だった。あの男とは、今の輝也の庇護者である白河川修のことである。
 いったい、何をどう説明したというのだろう。今や主戦派の最主流となっている久坂廣枝大佐の使いに、軍縮派筆頭と陰で目されている白河川修元帥がどう反応するか。大方の予想はつく。「そうか」といって、それきりだ。

 あのタヌキ親爺は、ことが動くまで、良しも悪しきも放任し、しかるべきところを見極めてから行動する。今回は、輝也をダシに久坂がどう動いてくるのか、見定めようと腹積もりをするに違いない。久坂もそれが分かって、わざわざ自ら白河川に使いを出したのであろう。まったく、輝也にはつまらない。今や陸軍内を分割する二つの主流の、そのど真ん中を任されて、そこでひとりで役目を演じて見せろというのだ。



 輝也は、緑子の後ろをついている。
 緑子の持つ蝋燭の明かりが、その肌の白さ、髪の毛の色の赤さを如実に照らし出した。

 奥の間を、すらりと彼女が開けた。後続する輝也が襖を閉めると、部屋は薄明りの間接照明の明かりで、ほのかに明るい。

 緑子は蝋燭を吹き消すと、輝也に向き直り、三つ指をついて一礼した。
 両耳の下で束ねられた豊かな髪が、ぱさりと畳に落ちた。

 女は、何も話そうとはしない。
 瞳を伏せがちに、輝也の反応を伺っているようだ。

 こうにも露骨に誘われると、かえって興醒めしてしまう。もとより、そういう欲求は一切ない。できれば早く今日の仕事を済ませて、一人になりたい。そう思って、輝也は口を開く。


「おれは、楽弥のいいつけだからこうして出向いたまでだ。変な気は使わなくていい」

「男でなければ、興味をもっていただけないのかしら」


 まるで感情のない西洋の人形のような女が、輝也の声に重ねるようにして言い放った。


「残念だわ。かの名高い『仙輝煌』の肌を味わってみたかった」


 そういって、女は目を細めた。にやりと口元を緩め、そうしてその銀色の瞳を輝也に向けた。


「噂に違わぬ美貌ですわね。楽しくなりそうだわ」

「なるほど、楽弥の好みそうな女だ。毛色ばかりでなく、その物言い。確かに、あんたが芸事を身につければ、ここの看板にもなれような」

「勘違いしないでくださいまし。わざなど無くとも、私はここでは一番になれますわ。私もあなたと同じ。楽弥がそうしろといったからここにいるのよ。もっとも、あなたと同じとはいっても、楽弥にとって私は、あなたと同じ価値ではないわ。あなたが楽弥とともに築いてきたもの、それを私が体得して、はじめて、楽弥の望む私が完成するのよ。あなたともあろう方ですもの。お気づきのことと思いますけれど、あなたはもうお役御免なの。だから、舞台から降りる前に、その身に纏った美しい衣装を私に譲っていただかなくては」

「次代のシテはお前か」

「そこまで思い上がってはいませんわ。それを決めるのは楽弥だもの」


 美しい日本語だった。緑子は輝也の言葉に一切、臆する様子も見せず、目を逸らすこともなく、輝也を侮辱するわけでもなく、淡々とその事実を並べたにすぎなかったのだが、緑子の言葉は、輝也の中の「輝煌」を呼び起こすのに十分だった。女の口元に浮かぶ笑みは、輝也の神経を高ぶらせ、五感が一斉に当時のそれに切り替わり、情動への理性も慎みもなく、輝也は本能のまま、右の手で女の首を床に叩き付けた。緑子の方は抵抗の暇なく輝也に距離を詰められ、輝也の腕を掴み返す。しかし、輝也に、女の首を絞めつけているという自覚は、一切ない。


 楽弥、おれはもう、本当にあんたの役に立てないのか。
 あんたも、おれを捨てるのか。


「……う」


 緑子が苦しそうに声をあげる。輝也を引き離そうとする手にも力がこもるが、緑子の目に映る輝也に、ためらいの様子は微塵もない。


「美しいわ。楽弥は、あなたのそういう、一途な感情を愛していたのね」


愛シテ、イタ。
輝也の中では、そう反芻された。それはもはや、高まった神経を逆撫でする以外の何物でもなかった。


「あなたにはわからないでしょうね、この気持ち。この愛しさ。男の、あなた、には」


がはっ、と緑子が咳き込んだ。輝也は尚も女を押さえつける腕の力を緩めない。緑子の方も苦しいが、それでもあくまで余裕を装い、輝也から目線を外さなかった。

 輝也が、通常の五感を取り戻したのはその時だった。
 自分の行為に吃驚するより早く、刀の柄が、輝也の鳩尾を襲った。一瞬の判断で即座に身を引き、直撃は免れたものの、使い手に体当たりをされたまま、輝也の身体は後方に吹っ飛んだ。

 したたかに打ちつけた背中が痛んだ。徐々に理性を取り戻し、今、自分が支配された情動を思い起こそうとする。しかし、記憶が断片的に途切れており、自分の行為を客観的に振り返ることができない。心の奥にある感情は、負のものだ。悔しい。悲しい。

 いや、寂しい――?

 緑子は、喉を抑えて何度も咳き込んでいた。それを見て、輝也も自分の行いを自覚し始めた。
 なんだ、これは。
 こんなことは、日本に来てからは一度だってなかった。大体、おれはもうあの時のおれではないのに……!

 ひとまず、感情に支配され、緑子に手を出してしまったことは、詫びねばならない。そう思って、顔を上げたところで、そこにいた人物の、顔を見た。

 そこには、ここにいるはずのない士官学校の同期の姿があった。
 抜かぬままの日本刀を脇に抱え直し、輝也から緑子を庇うように立ち上がった。そうして、驚きのあまり動けずにいる輝也の前に進み出る。


「お前、なんで」

「楽弥の命を聴けぬというのであれば、この場であなたを斬ります」


 感情を大きく揺り動かす様子もなく、輝也を見下げた舎人雄一郎が、容赦なくそう言い放つ。

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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。


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