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「こつる」の太夫(4)


 門は潜るような低さだった。

 薄明りの玄関もこじんまりとした造り。石畳の上で軍靴を脱ぐと、下足番が頭を下げてそれをしまってくれた。仲居が輝也を案内した。人ひとりが通るのにやっとのような細い廊下だった。とはいえ、踏みしめる廊下の木の一つにも光沢がある。この建物を設計した人間は、その素材にも神経をすり減らしたのだろうことは、素人の輝也にも理解できた。

 ひとつ扉を越えた。
 すると途端に広い座敷が開けた。輝也は、湖南楼の広間を直接見たことはないのだが、体の感覚でその広さを認識している。それに近いものがあった。違うのは、その床が畳で覆われているということ。

 仲居はさらに、廊下を渡った。中庭もきれいに手が入れられている。松、池、さざ波に写る月。そのすべてが趣向に凝らされている。表口は質素なものであったが、この設備のレベルなら、華族や高級官僚が密かに通うことも可能であろう。芸妓もいるのか障子の向こうからひそやかな女の声が聞こえた。なるほど、久坂の好みそうな玄人向けの隠れ家だ。

 さらに奥、仲居に部屋を進められ、輝也は座敷に足を踏み入れた。

「早かったな」

 久坂は女に酌を受けながら輝也に呼びかけた。輝也は上から久坂を眺めて、

「どういうつもりだ」

 と言った。

「まあ、座りたまえ。せっかくいいものを揃えてもらったんだ」

 まだ腑に落ちないといったような輝也を尻目に、女たちは輝也の分も膳の用意を始めた。

「どういうつもりだと聞いているのだ」
「いったろう、もっとおもしろいものをみせてやると」

 輝也は目の前に設えられた膳を蹴り飛ばした。食い物が畳に散らばり、久坂の酌をしていた女の着物にも及んだ。女は「あれ」と驚いてみせたが、他の女たちも同様、大した動揺を見せずに、当たり前のようにそれを片づけ始めた。

「お前の趣味にいつまでも付き合ってやれるほどおれも心が広くないんでな。ただの女遊びならおれは帰る」

 輝也は腕時計を確認した。日付を少しこえた頃。今から蒲田に帰れば、朝までには白河川邸につけるか。友人と遊んできたなどと、いつものように適当に言い訳してやろうか。



『お待ちなさい』


 その声、輝也は久しぶりに、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
 金縛りにあったように動けなくなる。その艶めいた声、女としては低いトーン、そして、なによりもこの声とともに耳の底にこびりついているさまざまな心象風景。
 体が震えだしたのが分かった。しかし、背後の二人にそれを悟られたくない。輝也はそれを必死にこらえながら、ゆっくりと声の主に振り返った。

 小柄な体。相変わらず黒い着物を身に纏っている若い女。
 四年ぶりに見る輝也の母親、楽弥。

 ゆっくりを顔を上げる母。目が見えるようになってから見る母は、自分が描いていた母親像よりもずっと若く、そして美しかった。


「見違えたわね、輝也」


 たいして化粧気もないにも関わらず、母の白い肌にはくっきりと唇の輪郭が浮かんでいる。
 隣に座る久坂は、顔を僅かに伏せつつ、口元を密かに綻ばせている。
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2012/02/07(火)
3、吉岡輝也の憂鬱

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