吉岡輝也の憂鬱(9)

*「貴様らあ――!!!こんな時間になにをやっちょる!!!」


 雄一郎の振るった柄尻が、輝也の首元すんででぴたりと止まった。雄一郎も輝也も、すぐさま何事が起ったのかを理解できず、やがて外野が「見つかった」「逃げろ」と騒ぎ始めるから、ようようと事態を理解した。消灯後の見回りに、上官殿がやってきたのだ。わっと外野は逃げ出したが、上官は三人の郎党連れで、輝也と雄一郎を含む十人程度が捕まった。一列に並べられ、小一時間ほど説教を食らったのち、竹刀で一撃ずつ鉄槌を食らってその場は解散。明日は朝一で始末書を提出する羽目になった。


 *****


 輝也にとってはただの災難である。
 何しろ、望んでもいない決闘を無理やり受ける羽目になり、揚句上官から「×(ペケ)」を一つ付けられてしまった。醜態を晒したくないがための雄一郎へのハッタリも、結局無駄骨に終わってしまった。上官に怒鳴られ、ケツに竹刀をぶち込まれる姿を、何人もの同期に見られてしまったのだから。

 部屋で始末書を書き終えて、輝也は先に布団に入った。いつも、輝也が先に布団に入る。着替えするところを見られたくないだろうと気を使っているのだ。
 「彼女」は――おそらく晒の意味合いもあるのだろうが――上半身を包帯でぐるぐる巻きにしている。その細身の体の、赤く焼け爛れた皮膚を隠しているのだろう。肌が一度溶け、再び凝固すると、常人のそれよりも薄く皮が乗ったところは赤く、熱く乗ったところは白くなる。唇と、腹の脂肪のような違いだと思えばいい。それが上半身右側から上腕部、首筋にかけていびつに皮が浸り付いており、思わず目を背けてしまうような状態なのだ。輝也が布団に入ると、雄一郎は晒をといて新しいものに変える。そうして寝間着を着て、布団に入るのだ。その間、二人に会話はない。無論、これ以外にも特に、無い。

 予科の制服を着ていても、首元からは晒が見えている。隠しきれない顎の下のあたりの火傷の後は、クラスの連中なら一度は目にしているだろう。それだけでもその凄惨さに息をのむ思いなのである。雄一郎は、裸体を人前にさらさない。それは女であることを隠しているというよりも、その上半身の火傷を衆目に晒さないための配慮なのだ、と皆思っているのだろう。もっとも、それにも気が付かぬ上級生や他のクラスの連中なんかが、「雄一郎は輝也にしか裸を見せないのだ」などと面白半分の噂を立てていることは、輝也も承知している。雄一郎はどうであろうか。おそらく「彼女」にとっては、それもどうでもいいことなのであろうが。


「なあ」


 と、この夜は珍しく、輝也が声をかけた。互いに、背を向けあって布団をかぶっている状況である。返事はない。輝也の声が届いているかどうかも微妙であった。


「お前、人を殺したこと、あるか」


 返事はなかった。輝也もあまり期待はしていなかった。「まあ、おれの独り言だと思ってくれ」と適当に自分をフォローした。


「おれはあるよ。人の膳に毒を盛ったこともある。口の中に薬を含ませて、おれの唇を吸わせたこともある。殺し損ねて、逆におれが殺されそうになったこともある。気が付いたらそんなことをやってきたから、自然、常に自分の身を守るために最善を尽くすようになった。おれにも、弟がいてな。その弟はそういうものとはどうやら無縁でこれまで生きてきたみたいだから、できれば、これからもそのままでいてもらいたいと思う。まあ、どういう生き方をするかは弟が決めることで、おれがどうこうというのもおかしな話ではあるんだがな。生きるとか死ぬとか、そういうものは案外単純にできている。だけど、存外にその一線を越えるのと越えないのとでは、雲泥の差があるとおれは思っている。舎人、お前の最後の一撃、あれは道場剣じゃない。人を殺すための技だった。お前も、そういうところで生きてきたのか」


 雄一郎が、白河川の秘書役をしている山城眞子のもとにいることは知っていた。眞子が女だてらに武道に長けているということ、武器火薬にも通じているということを輝也も耳にしている。それは彼女が女だてらに、維新を幕府軍として戦い抜いた勲功でもあるのだが、もしかしたら「彼女」も、眞子に何かしらの教えを受けたのかもしれない。実際、雄一郎と直接対峙して、それがただの型にはまった技でないことぐらいは分かる。あれは、人を殺す剣だ。輝也はそう、直感した。


「……勝てなかった」


 口早に、雄一郎は呟いた。それは輝也への解答というよりも、やはり独り言の類に等しかった。


「勝てなかった、勝てなかった。あなたに勝てなかった……」


 泣いているのだろうか。語尾が掠れていく。一度鼻をすする音がした。輝也は、何も言わずにその独り言に耳を傾けた。


「ブラフだと分かっていたのに。挑発だって分かっていたのに。悔しい、悔しい。自分の愚かさが、悔しい……」


 どうして、そんなにしてまで自分を追い詰めるのか。
 答えは拓真の存在にある。あれを軍人にしないため。雄一郎の行動原理はすべてそこに収束される。

 だがいつものお前なら、「士官の道こそ男児としての誉れ」とでもいうのではないのか?

 軍人を人殺しだと解釈するのは、この時代この日本でも俺を含めてほんのわずかなものであろう。
 
 自分に人殺しを許容してでも守りたいものがある。
 たとえそれが、自分のことを覚えてさえいなくても。

 拓真に、兵を率いて突撃を命令させるのが忍びないという気持ちを、今なら理解できる気がする。
 雄一郎が何を考えているか、そんなものは輝也の知るところではないが、こと拓真に関してだけは気持ちを共有してやれる、気がする。


「再戦ならいつでも受けてやる。ただし今度はあまり人目につかないよう、気を使ってほしいところなんだが」


 雄一郎は返事をしなかった。
 もとより輝也も、そんなものを期待していない。

 他人の心情になんて深入りするもんじゃない。
 期待するだけ、裏切られる。俺は俺に与えられた仕事を、適当に熟すだけだ。

 期待などしていない。

 俺だけは、おまえの心情を少しでも理解してやれるなんてこと。
 そんなこと、これまでもこれからも、あり得ないんだ。

 言い聞かせることで、己の気持ちを納得させようとしていることに、輝也は気が付いていない。
 寝て起きれば朝が来る。またいつもの明日が始まる。
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2011/12/21(水)
3、吉岡輝也の憂鬱

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