桜花往生

kanayano版日本近代史。

2011/12/17(Sat)

吉岡輝也の憂鬱(7)

ざっと30人はいるだろうか。
 明日も早朝から講義があるというのに、よく見れば上級生も混じっていたりする。
放り出されるように道場の中央に進み出た輝也は、ようやくゆっくりと顔を上げた。雄一郎は周りの喧騒とはまた違う次元にいて、そこには己と輝也しかいないような気がしているのではないかと思われるほど、静かな目をこちらに向けている。


「始めましょうか」


 竹刀を手にすらりと立ち上がり、正眼に構えた。


「ちょ、ちょっと待て。本当にやるのか。日曜のことなら、ついかっとなってしまった自分にも否がある。謝るから、この場を収めよう、な?」

「日曜?」


 雄一郎は少し意外そうに目を丸くして、「ああ、あのことですか」と何か思い出したようにそう言った。


「それが何か」


 日曜のこととはなんだ!と場外から声が飛んでいる。雄一郎は相変わらず外野には耳を傾けていないらしいが、そこかしこで輝也と雄一郎の勝敗についてどちらに幾ら掛けるとか、詳細な戦力分析とか、二人の関係だとか、はたまたこの後の宴会の予定まで組まれているらしい。厳しい規律に縛られた軍宿舎でのイレギュラーとあって、連中は輝也の憂鬱を尻目にお祭り騒ぎであった。


「日曜のことではないなら、なぜこんなことを仕掛けた。おれは面倒事に巻き込まれるのは御免だ」

「私には恩師がいます」


 いきなり何の話を始めるのだ、と思ったのは輝也だけではなかったらしい。場内の喧騒が静まり、雄一郎の次の言葉を待っているようだった。


「その恩師に、私は『士官学校を首席で卒業する』と約束をしました。だけどこのままでは、私はあなたに勝てない。だから、あなたから何か一つでも勝ち星をもらっておきたい」

「まだ予科入校二カ月だぞ。先週も言ったが、お前は充分に優秀だ。これから奮励すれば主席なんて」

「あなたに何が分かるんです!」


 その科白には、確かな怒気が宿っていた。普段、感情を表にしない雄一郎が、周囲に見せた初めての想いだった。


「あなたは、きっとこれからも、その容姿端麗な姿と論理明快な頭脳を持って軍首脳への道を進むのでしょう。私などが、どれだけ努力をしてもあなたの生まれ持った才に勝てるはずもなく、私はあなたの生まれ持った素質にいつも歯ぎしりをしながらその背中を眺めながら生きていくのは御免なのです! 竹刀を取りなさい吉岡輝也! 守るべきものもないあなた如きに、私は負けるわけにはいかない!!」


 いつの間にか場が静まり返っている。雄一郎の偽りのない本心だと、皆が認めたからであろう。
 だが、何がそこまで雄一郎を追い詰めているのか、この場で理解しているものが一人でもいたであろうか。それは輝也も同じことだった。恩師とはおそらく、輝也にとっても日本でも庇護者である白河川修のことだろう。守りたいものとは言うまでもなく、「彼女」の弟、拓真。そこまで知る輝也ですら、雄一郎の真意を推し量ることはできない。何がそこまで「彼女」を追い詰めているのだろう。


「舎人」

「はい」

「お前の、守るべきものが何なのかおれには見当もつかないが」


 真意。そう、真意が知りたいのだ、と輝也は思った。
 あのとき、勝呂の病院ですれ違った「俺」に、「彼女」は、「逆らえない時流のなかで与えられた人生を歩む他無い」と言った。ならばなぜ、今お前は、自らの性を偽り、こうして自らの身を危険に晒してまで陸軍の士官になりたいと願ったのだ。しかもただ願うのではなく、最優等にこだわる理由はなんなのだ。
 命に代えても守りたいはずだったお前の弟は、もうお前のことを何も覚えていないのだぞ。


「例えばそれが本当に大切なものだというのなら、こんなところで、こんなバカげたことをするよりも、少しでも長い時間、それの近くにいてやる道もあるのではないか?」


 輝也は、何も知らぬことになっている。無論、雄一郎も輝也の来歴を知るはずもない。そうだ、俺は白河川から伝え聞いて、知っているつもりだった。「彼女」がどんな人生を歩んできたのかということ。女というもの。拓真を何よりも大切に思っているということ。しかし、拓真の状態や命を狙われる可能性を否定しえぬという理由から姉弟は引き離され、拓真は輝也の新しい弟となったのだ。その弟が、どんな人間にも愛される器であることは、今や拓真の一番近い存在である輝也が、よく理解している。


「その返答は、この勝負に関係ありません」

「お前が勝手に仕掛けてきたんだろう。勝負を受けるも受けないもおれの心積もりにある。納得のいく答えをもらえないのなら、おれもこの勝負を引き受ける理由は無い」


 雄一郎は少しだけ押し黙った。


「強くならねばならないのです。大切なものを守るために。私は、あの子が士官になるというのなら、あの子の分まで軍の力にならねばならない。あの子を前線に出すわけにはいかない。そのために、私は軍の中央に意見できるだけの根拠を、今から持ちえていなくてはならない」

 
 輝也は竹刀を同期から受け取ると、雄一郎に向き直り、一礼をして正眼に構えた。
 外野連中はうまく事態が呑み込めていないらしい。だが輝也には、それが「彼女」の真意なのだとようやく得心がいったのだ。


 おれに家族を教えてくれたのは拓真だ。
 あれが人殺しをするところを見たくないということだけは、俺にも心当たりがある。



「一本だ」


 そう言って、輝也は審判役の同期に目配せをした。
 上げられた右手が、「始め!」の声とともに振り下ろされる。
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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。