スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
web拍手 by FC2

--/--/--(--)
スポンサー広告

吉岡輝也の憂鬱(1)

吉岡輝也は、いたって不機嫌である。


 季節は正月を迎えようとしていた。退屈な国語――それはかれにとって必ずしも母国語とは限らない――の授業を適当に聞き流しながら、教室の窓にちらちらと舞う雪を眺めている。
 陸軍の幼年学校は、この年に改編があり、元来全国に五つある地方幼年学校を経て、ここ東京の中央学校に至る流れになっていたが、いわゆる中央校は「陸軍士官学校予科」として再編されることとなった。輝也は東京の幼年学校を経て、先だって二か月前、晴れて予科の学徒となった。士官学校の生徒は、いわゆる地方のエリートが寄り集まっていることに加え、普通中学から抜きんでた人間がこちらに進路を変えてくるものもいる。要するに、この時代における日本の頭脳の中枢が集まっているのだ――と幹部連中は宣いたいところであろうが、東京の地方幼年学校在学中から卒業までを完璧なまでに「優等」を貫いた輝也に、幹部らが求める大日本帝国への忠義とか、士官たる心意気というものが微塵もないというのはなかなか面白い。そんなわけで周囲の期待はいざ知らず、白河川に「まあ、その辺は適当に」と仰せつかっている輝也としては、つかず離れず、人並みに物事をこなしているに過ぎないのではあるが。

 東京の地方幼年学校に入学するまで、輝也は目が見えなかった。ある日突然、光を得た。
 文字というものを掌の感触でしか知らなかった輝也はまず、弟、拓真とともに文字を視覚として覚えることから始めなければならなかった。仮名、カタカナ、算用数字に加えて小学卒業四年の間に覚えねばならぬ漢字の量は、およそ千。輝也はそれを、三カ月もすればあらかたをマスターした。それは彼自身の才能というより、盲目時代より外界の刺激を体内で映像化する技術にたけており、輝也にとって漢字は「絵」であり、文章は「風景」であったたことにも拠る。拓真が読み聞かせる古今東西の蔵書はあらかた頭に入っていたし、あとは輝也の中にあった心象風景と現実のズレをすり合わせる作業を行うのみであった。難儀したのは色であった。輝也が体内にイメージとして持っていたのは「黒」と「白」。物事はその濃淡で表現されていた。光を得てから、拓真が輝也の手を取り、「これがあか」「これがあお」と一つずつ指差して口にするのだが、当の拓真自身、一年以上前の記憶を失い、知識指数で言えば三歳児に等しい状態。二人してコガネムシの羽色の形容に困っていると、山城眞子が例のむっつりとした顔をぶら下げてやってきて、「それは黄金色です」と言って去っていく。そのままじゃないか、そんな色があるのかと拓真が騒ぎ出せば、すっかりかれの手垢で汚れた図録をひっぱり出してきて、輝也にこがねいろのなんたるかを語って聞かせるのだ。互いの足りぬ部分を補いあいながら、二人は世界を少しずつ広げていった。

 輝也が士官学校の予科に入学すると、拓真も東京の幼年学校に通い始めた。二人とも白河川の自宅のある蒲田から通っていたが、輝也が予科に入学すると同時に市ヶ谷に下宿をするようになり、拓真と離れて暮らすことになった。好奇心ばかり旺盛で、10年分の経験値がすっぽり抜けている拓真が学友と上手くやっていけているのか初めは心配したものだが、拓真の無垢な振る舞いは学友たちにも個性として好意的に捉えられているらしく、兄の心配も杞憂に終わった。父親代わりであるはずの、当の帝国元帥白河川修は陽の当たる部屋のソファーに深く腰掛けて穏やかに微笑んでおり、「まあ、その辺は適当に」と言っている。拓真はかれなりの「適当」にあっちこっち飛び回っているようで、週末に輝也が蒲田に顔を見せれば、飼い犬の様に飛びついてきては、一週間のありのままを口上する。カマキリの卵を見つけたのだとか、友達と川がどこまで続いているのかさかのぼってみたとか、昨日読み終わった「進化論」の話だとか。輝也はそれらを聞き流すような素振りをしつつ、脳内では拓真の目を通じた世界を透視していて、予科での退屈な国語や修身の授業よりもよっぽど充実した時間を過ごすのだった。帝国陸軍の士官たる者、常に天皇の忠臣であり、優秀な指導者であらねばならぬというのが一般の常。中でも幼年、中央を経て士官、陸大と進むことは、日本男児の誉れであるという時代の中に、「軍人勅諭というものがくだらなくて覚えられぬ」と、当の作成者に近い陸軍元帥、白河川にぐだを巻いているのが輝也という人物である。


 その輝也が、中央校入学以来不機嫌なのは、ある同期生(クラスメイト)の存在である。


「では舎人、45頁8行から精読せよ」


 はい、と慄然として立ち上がった青年は、成長期を迎えている17,8の他のクラスメイトの中では一際小さく、ほっそりとした体は頑強が理想とされる士官学校においてはいささか頼りなさげ。立襟からのぞく喉元から、刈り上げられた耳元のあたりにかけて妙に艶めいていて、こうして授業中に立ち上がった彼を見て、俄かにクラスの空気が弛む。それは教官にも同じことが言えるようで、この空気を叱咤しようものなら、彼の色気を教官も認めたということになるから、だれもその役を負おうとしないのだ。

 当然、本人がそれに気が付かないわけがない。
 その空気を打ち払うかの如く、まだ声変わりもしていないような細い声を懸命に張り上げて、堂々と一節を読み終える。教官が「よし」というと、雄一郎はぴしゃりと席に着いた。軍人勅諭を絵にかいたような立ち振る舞い。品性良好で礼儀正しく、清廉潔白、実直剛健、士官たる自覚を(この年で!)深々と胸に刻んでいるような人間、それが輝也の見る舎人雄一郎という同期であった。


 だがこの同期、輝也にすれば大分訳有りなのである。
 
 輝也の目に光が戻ったその瞬間、その瞳が初めて写した彼――舎人雄一郎は男ではなかった。

 記憶を無くした舎人 拓真の実の姉、それが舎人雄一郎の真実の姿、つまり彼は「彼女」なのだ。


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
web拍手 by FC2

2011/12/05(月)
3、吉岡輝也の憂鬱

| ホーム |
Page Top↑
▲ Page Top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。