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「いのち」(5)

 

 実は先日、京都にいる祖母、北条桜花より文を受けた。

 桔華は、仙台での出来事や今はここ川内に滞在していることを桜花には告げており、腹に子が入ったことまでは報告している。秋口に手紙を出して、つい先日返信が来たのだ。桜花の文は、ことばが少ない。古月の筆まめがあるのも手伝って、桜花の文には便箋の空白がよく映える。


 用を申し付けたい。
 落ち着いたらこちらに顔を出しなさい。


 当然だが、古月や最上の人間に顔を出すつもりはない。しかし桜花の言いつけである以上、桔華はそれに従わねばならぬと思っている。
 
 ここを出るのは、新芽が息吹く時節になろうか。

 桔華はそう考えている。身体が落ち着いた頃、川内から海路青森へ向かい、そこから東北本線で上野まで向かう。東京で乗り換え、東海道線で京都まで行こう。桔華は、京都から青森まではほぼ徒歩で踏破した。それは自分の足でなければ感じることのできないものを感じたかったからであり、今回はそれに勘定しないことにした。桜花の用を申し付かったら、今度は進路を西に取るのもいい。何れにしても、京都にとどまるつもりはない。

 私は、歌を詠まねばならない。
 何事にもとらわれず、あるがままの事物を受け止めて。
 たくさんの人の想いを。
 果たせなかった夢を。

 そうしてわたしのこころを。

 赤ん坊は今朝も早朝に泣き出して、桔華がそれをあやしている。ぐずりつかれたらしい赤ん坊は、目のあたりを真っ赤にはらして、ようやく落ち着いたようだった。晴子がそのようにしてるのを見て、桔華もやさしく赤ん坊を揺らしてやる。すると赤ん坊も大人しくなるにつれて、母親の心もしんと静まってくる。互いに同調するようにあたりに落ちる空気の一部となり、やがて赤ん坊は寝息を立て始める。

 こうして、腕にずっしりと娘の体重を感じていると、遠く、海を隔てた満州で戦っている多くの日本人とロシア人のこととか、おそらくその様子をうかがっているであろうその他欧米列強の白人であるとか、イギリスにいるという古月や、同じく赤ん坊を抱いているであろう篠、京都の桜花、仙台の黒澤を一通り思い出して、かれらはかれらだ、と思った。連中と自分の相対的な位置取りをどこに求めればよいのかわからず、その距離感に苦しんだ日々。日本は開国して世界と連絡するようになったけれど、そうして自分はやはり世界と直接連絡する必要があるのではないかと自問した、仙台での出来事。清国からの留学生と交わりを持つことで、やがて祖国の一市民としての自分を自覚したこと。そしてそれは同時に、同じ祖国を持たぬものとは、決して相容れぬことのできぬ心の壁を見てしまったということ――。

 そうして俊承が意識に顔をもたげる。

 そんなことはない、桔華さん。あなたはこうして、わたしたちを受け入れてくれたではありませんか。
 わたしたちを憐れむことなく、さげすむことなく、異国民としてではなくて、ひとりの人間として迎えてくれた。
 だから祖国なんて関係ない。わたしにとって、世界のすべてが祖国なんです。

 ねえ俊承。あなたのこどもが生まれたのよ。
 私とあなたのこどもなの。
 とてもかわいらしい女の子。
 産んだことを、後悔なんてしていない。だけど不安なの。
 私とあなたがどんなに分かりあっていたとしても、この子は、周りの人にどんなふうに思われて育つのかしら。
 もしかしたら、あなたの「祖国」を恨むかもしれない。
 己の中に流れる二つの「血」を忌まわしく思うかもしれない。
 そうして己の生きる意味を見失った娘に、私はなんて弁明したらいい?
 あなたのことをなんといって聞かせればいい?

 あなたがまた、私を訪ねてきてくれること、いつまでも信じて待っています。
 だけどきっと、あなたのいう才人の理想の国家は、ずっとずっと遠い未来のお話。今よりも残酷な、今よりも非人道的なたくさんの「痛み」の向こうに見えるもの。あなたはそれでも、私を――それはあなたを苦しめる何者かと同じものかもしれない――を迎えに来てくれる?

 私と、あなたの娘を。

 健やかな寝息を立てている、桔華の腕の中の娘。
 その未来をはかなんで、ちくりと桔華の胸がうずく。
 
 この子に罪はない。
 俊承が悪いわけでもない。
 得体のしれぬ何か大きなものが、この小さな無垢の背中に黒くそびえ立つ。正体の定かでないおぼろげな何かを前に、桔華の心中は再びざわめき出す。すべての事実が、正しいとは限らない。この子は、何も知らぬ方が幸せなのではないのか。産んだ母のこと、その父のこと、何も知らず、何者でもないありふれたこどもとして生きる方が、この子のためになるのではないだろうか。



 ***



「晴子さん!!」


 その性急な声に桔華は振り向いた。まだちらほらと粉雪が舞っていて、防寒着もそこそこに兵衛が店の方から顔をのぞかせた。
 開けられた戸から、ちらちらと小雪が軒先に入ってくる。兵衛は桔華の顔を見るなり、「晴子さんは!?」とまくし立て、桔華が今朝はまだ姿を見ていないから寝ていると思うという曖昧な答えを返すより早く、その声に重ねるように桔華に強い視線を投げつけた。


「和葉が、和葉が……黒溝台で、戦死、したど……」


 兵衛が今朝の「東奥日報」を右手で力いっぱい握りしめていた。
 現状の把握に追いつけない桔華は、呆けた頭で上がり場に目をやった。
 
 晴子の履物はそこになかった。

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2011/11/04(金)
6、「いのち」

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