桜花往生

kanayano版日本近代史。

2011/11/04(Fri)

「いのち」(5)

 

 実は先日、京都にいる祖母、北条桜花より文を受けた。

 桔華は、仙台での出来事や今はここ川内に滞在していることを桜花には告げており、腹に子が入ったことまでは報告している。秋口に手紙を出して、つい先日返信が来たのだ。桜花の文は、ことばが少ない。古月の筆まめがあるのも手伝って、桜花の文には便箋の空白がよく映える。


 用を申し付けたい。
 落ち着いたらこちらに顔を出しなさい。


 当然だが、古月や最上の人間に顔を出すつもりはない。しかし桜花の言いつけである以上、桔華はそれに従わねばならぬと思っている。
 
 ここを出るのは、新芽が息吹く時節になろうか。

 桔華はそう考えている。身体が落ち着いた頃、川内から海路青森へ向かい、そこから東北本線で上野まで向かう。東京で乗り換え、東海道線で京都まで行こう。桔華は、京都から青森まではほぼ徒歩で踏破した。それは自分の足でなければ感じることのできないものを感じたかったからであり、今回はそれに勘定しないことにした。桜花の用を申し付かったら、今度は進路を西に取るのもいい。何れにしても、京都にとどまるつもりはない。

 私は、歌を詠まねばならない。
 何事にもとらわれず、あるがままの事物を受け止めて。
 たくさんの人の想いを。
 果たせなかった夢を。

 そうしてわたしのこころを。

 赤ん坊は今朝も早朝に泣き出して、桔華がそれをあやしている。ぐずりつかれたらしい赤ん坊は、目のあたりを真っ赤にはらして、ようやく落ち着いたようだった。晴子がそのようにしてるのを見て、桔華もやさしく赤ん坊を揺らしてやる。すると赤ん坊も大人しくなるにつれて、母親の心もしんと静まってくる。互いに同調するようにあたりに落ちる空気の一部となり、やがて赤ん坊は寝息を立て始める。

 こうして、腕にずっしりと娘の体重を感じていると、遠く、海を隔てた満州で戦っている多くの日本人とロシア人のこととか、おそらくその様子をうかがっているであろうその他欧米列強の白人であるとか、イギリスにいるという古月や、同じく赤ん坊を抱いているであろう篠、京都の桜花、仙台の黒澤を一通り思い出して、かれらはかれらだ、と思った。連中と自分の相対的な位置取りをどこに求めればよいのかわからず、その距離感に苦しんだ日々。日本は開国して世界と連絡するようになったけれど、そうして自分はやはり世界と直接連絡する必要があるのではないかと自問した、仙台での出来事。清国からの留学生と交わりを持つことで、やがて祖国の一市民としての自分を自覚したこと。そしてそれは同時に、同じ祖国を持たぬものとは、決して相容れぬことのできぬ心の壁を見てしまったということ――。

 そうして俊承が意識に顔をもたげる。

 そんなことはない、桔華さん。あなたはこうして、わたしたちを受け入れてくれたではありませんか。
 わたしたちを憐れむことなく、さげすむことなく、異国民としてではなくて、ひとりの人間として迎えてくれた。
 だから祖国なんて関係ない。わたしにとって、世界のすべてが祖国なんです。

 ねえ俊承。あなたのこどもが生まれたのよ。
 私とあなたのこどもなの。
 とてもかわいらしい女の子。
 産んだことを、後悔なんてしていない。だけど不安なの。
 私とあなたがどんなに分かりあっていたとしても、この子は、周りの人にどんなふうに思われて育つのかしら。
 もしかしたら、あなたの「祖国」を恨むかもしれない。
 己の中に流れる二つの「血」を忌まわしく思うかもしれない。
 そうして己の生きる意味を見失った娘に、私はなんて弁明したらいい?
 あなたのことをなんといって聞かせればいい?

 あなたがまた、私を訪ねてきてくれること、いつまでも信じて待っています。
 だけどきっと、あなたのいう才人の理想の国家は、ずっとずっと遠い未来のお話。今よりも残酷な、今よりも非人道的なたくさんの「痛み」の向こうに見えるもの。あなたはそれでも、私を――それはあなたを苦しめる何者かと同じものかもしれない――を迎えに来てくれる?

 私と、あなたの娘を。

 健やかな寝息を立てている、桔華の腕の中の娘。
 その未来をはかなんで、ちくりと桔華の胸がうずく。
 
 この子に罪はない。
 俊承が悪いわけでもない。
 得体のしれぬ何か大きなものが、この小さな無垢の背中に黒くそびえ立つ。正体の定かでないおぼろげな何かを前に、桔華の心中は再びざわめき出す。すべての事実が、正しいとは限らない。この子は、何も知らぬ方が幸せなのではないのか。産んだ母のこと、その父のこと、何も知らず、何者でもないありふれたこどもとして生きる方が、この子のためになるのではないだろうか。



 ***



「晴子さん!!」


 その性急な声に桔華は振り向いた。まだちらほらと粉雪が舞っていて、防寒着もそこそこに兵衛が店の方から顔をのぞかせた。
 開けられた戸から、ちらちらと小雪が軒先に入ってくる。兵衛は桔華の顔を見るなり、「晴子さんは!?」とまくし立て、桔華が今朝はまだ姿を見ていないから寝ていると思うという曖昧な答えを返すより早く、その声に重ねるように桔華に強い視線を投げつけた。


「和葉が、和葉が……黒溝台で、戦死、したど……」


 兵衛が今朝の「東奥日報」を右手で力いっぱい握りしめていた。
 現状の把握に追いつけない桔華は、呆けた頭で上がり場に目をやった。
 
 晴子の履物はそこになかった。

web拍手 by FC2
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ

作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

※当ブログはリンクフリーですが、ご一報いただければこちらからもお伺いいたします。相互リンク大歓迎です(※アダルトサイトは除く)。

※拍手コメントをいただいた場合、同じ拍手内に返信をしております。ご確認をお願いします^^

皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。