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「いのち」(3)


 *****


 もうどれだけ時間が経過したのか、分からなかった。
 猛烈な吹雪は、視界どころか行く手そのものを強烈に阻んだ。こんなに荒々しい雪の中を歩くのは初めてだった。ほとんど道知れぬ土地で、そうして雪にすっぽりと頭まで浸かっているような今の川内村の、今どのあたりを歩いているのか桔華には見当もつかなかった。腰まである積雪を漕ぐようにして強引に歩を進めていた。外套も羽織らず、寝間着のままの桔華の皮膚は、極寒の境地を感じているはずであるのだが、当の本人は熱を持った思考回路が完全に麻痺してしまっており、現状を的確に判断できないような精神状態にある。

 海はだめ。海を越えれば、俊承や古月さんに見止められてしまうから。

 意味不明な結論が、方向感覚も完全に喪失したこの嵐の中の唯一の指針となっている。桔華の頭の中には、桜花や古月、篠、俊承、才人、そして晴子らへの、想像を絶するような懺悔と、強烈な自己嫌悪が渦巻いていた。体が埋まるような豪雪を一心不乱に漕ぎ進み、進めずとも進まねばならぬこの情動。自らを痛めつけることで、自分に深くかかわってくれたすべてのものに対する後ろめたさ、己への失望、そして自分がこの世に存在したということへの抑えることのできない嫌悪から、少しでも逃れられるのだと思ったのかもしれない。理性を失った桔華の身体は、そんな感情や思考すら肯定することをせず、自らを死中に追いやることのみを求め続けた。何度も雪の海の中に嵌まり込んだ。それでもなお、桔華の身体は道とも山とも知れぬ内陸――自分を取り囲むすべての何かから逃れること――へと進み続けた。

 もはや視界はほぼ、皆無だった。胸までもある積雪は地面もあぜ道も分け隔てなく、ただ木の幹と枝だけが寒風にその身を晒していた。差し込むような鋭い雪に、防寒もろくに身につけていない桔華の下半身は、すでに熱いだの寒いだの、そんなものを感じることも無くなっていた。


 ただ頭だけは熱が持っていた。


 噴出しそうなほど、感情が出ては消え、また噴出した別の感情に絡め撮られ、新たな感情を生み出していく。悲しいのか悔しいのか、泣きたいのか辛いのか、桔華にはもはや判断することも不可能だった。わんわんと大声で叫びながら、ずぶずぶと雪道を漕いでいた。右足を前に引っ張り出せず、そのまま転倒した。大きく出張った腹から落ちたが、柔らかい雪が緩衝材となった。火照りきったむき出しの顔が、冷たい雪に触れた。頭の中は相変わらず混乱していたが、一つだけ、確かに心に浮かんだことがあった。


 腹の子は、無事だろうか。


 桔華は、はっとした。人間として未熟な自分に、人の親など、まして母親など務まる訳が無いと思っていた、そんな弱弱しい自分とは裏腹に、「承俊の子を産まねばならぬ」「生まれてきた父無し子を守らねばならぬ」と固く心に決めて譲らぬ、強く、そして自らの足で地を踏みしめている自分が居る。体が半分雪に埋まった状態で、桔華はどこかあたたかい光の溢れる場所にいた。そこは無音で、遮るものがなくて、倒れた桔華の目の前に、誰か人がいるようだった。桔華は、ぼろぼろな顔を上げ、その女を見上げた。女は腕に幼子を抱いていて、そして桔華を見下ろしていた。強い意志を秘めた瞳。小さな迷いや、自らの煩悩をかなぐり捨て、「母親」としての自覚に溢れるその華奢な体。幼子は、彼女の腕の中で、たわいも無い声を上げていた。女が桔華を見下ろすその瞳とは対照的に、子は何者にも犯されぬ、自愛に満ちたその腕に抱かれ、女に手を伸ばしている。

 誰かに似ている。
 そうか、これは、おばあさま。

 強く、揺ぎ無い意思をその小さな体に満ち占めている、北条桜花。桔華の憧憬であり、そして人生の目標。
 しかし、桔華の脳が否定する。今まで認めてはいけないと思っていた、紛れのない事実。

 途端、桔華の熱を持った頭の中でなにかが爆発するような感覚が全身を覆った。淡い光の中、桔華は意識を覚醒させた。
 目の前にいる女は、よく見知った顔をしていた。
 
 その顔が大嫌いだった。
 いなくなってしまえばどんなにいいだろう、そうして何度もなんども、殺したいと思った。
 だけどできなかった。そんな勇気もなかった。

 大切な人が、こんな彼女をあいしていると言ってくれた。
 その気持ちが、ほんものだと知っているから。

 そうして桔華は覚醒した意識の中で、目の前の女に声をかけた。



 桔華。
 お前は、母親になったのだね。





 *****




 途端、体中の痛覚が悲鳴を上げた。
 猛吹雪は先ほどよりもさらに勢いをまし、呼吸することもままならない。
 雪の深みに前のめるようにして嵌まり込んだ身重の桔華は、そこから身動きを取ることができない。

 体中の皮膚という皮膚が感覚を麻痺させるか否かの混乱の中で、明らかに異質な下腹部の激痛を自覚している。
 それは新たな命が、自らの出生を桔華に願っている証だった。

 
「桔華さん!!!」


 遠くなり始めた意識の向こうに、晴子の声が響いた。
 藁で編んだ防寒着を身に纏った数名の男たちと、そのなかに乱れた髪をまとめることも無くそのまま防寒着をかぶっただけの晴子が、ほとんど視界のない吹雪の中に倒れこんでいる桔華を発見した。
 男たちが止めるのも聞かず、晴子は彼らも驚くような力で掻き分けるようにして桔華の元に辿り着くと、むんずと桔華の体を抱き起こして、何度も頬を叩いた。

「桔華さん、桔華さん、返事しへ!桔華!」

「……はるこ、さん」

 晴子の額に無造作に貼られたガーゼに血が滲んでいた。桔華はその傷に気が付きながらも、それを労わる声を出す力も失っていた。次の瞬間に再び下半身に激痛にが走り、悲痛な叫び声を上げた。
 
 晴子はハッとして桔華の腹を見た。体が硬直し、苦痛に顔を歪めながら歯を食いしばる桔華。
 晴子は自らも歯を食いしばって、桔華の頬を叩いた。何度も何度も、桔華の名を呼んで、意識を保たせようとした。


「あんだ、こったどごで寝ればわがんねえよ!家に帰るから、連れて帰るから、それまでしっかり気張っての!」


 桔華に声をかけ続ける晴子の後方で、村の男たちが声を掛け合い、集まり始める。
 桔華は、極寒と陣痛の激痛に意識を消失するところだった。
 晴子の声が聞こえた。
 

 桔華は晴子に何かを言いかけ、そうしてそこで、意識が途切れた――。


 
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2011/10/12(水)
6、「いのち」

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