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裏切りの祖国(12)

 


 違う、自分は純粋に俊承の力になりたいと思っているのだ、そう思う心に必死で抗おうとしている自らの思念に気が付き、桔華はその場で絶句してしまった。心の隅に引っかかっているものがあった。自分は日本人で、かれは半島出身者。才人の怒りも、俊承の悲しみも、分かったようなふりをして、その実、心の中では日本人である自分がかれらの理解者であることにどこか拠り所を求めてしまっていたのではないのか。黒澤の言うとおり、本当はそうあろうとしている自分に酔いしれ、俊承を自己満足の道具にしてしまっているのではないのか。

 俊承の力になりたい。
 俊承の近くにいたい。

 これは同情や自己満足なんかじゃない、これが私の本当の気持ちなんだ。

 それはつまりどういうことだろう。

 天涯孤独となったかれを支え、ずっとそばにいたいということは。

「……違う」

「どう違う」

 黒澤は間髪入れずに返してきた。

「同情や憐憫ではないとどうして言い切れる」

「私は、一生愛していくと決めた方がいます。でもそれは俊承ではないの。今でもその気持ちは変わらない。私の心はずっと彼のものよ。でもこれと俊承のこととはわけが違う。たった半年だけれども、一緒に寝起きした仲間なの。私にとっても大切な友人であった才人が、最後まで守りたかった男なの。それが自己満足だというのならそれで構わない。俊承が私の力を必要としてくれるなら、私はどこまでもかれについていく。そう決めたのよ」 

「女心とはつまり理屈だな。男には理解できん」

 そういうと黒澤は何かに気が付いたようにばっ、と立ち上がり、がらりと戸を開けた。
 驚いた桔華がその後ろに従う。玄関には風呂の湯桶と手ぬぐいがあるばかりだった。

「まさか俊承」

「官憲の目もある。探しに行った方がよさそうだな」

 

 ***



 仙台駅から電車で松島まで約三十分。市内中を駆け回った末に桔華が思いついたのは、俊承が常々言っていた、「太平洋を見てみたい」という言葉だった。
 先日の花見の際に、行きたいと思いつつまだ行けていないということを桔華に漏らしていた俊承に、才人は「近いうちにな」と返した。思えば新聞の日付はあの日よりも前のことであったから、才人はすでに祖国で何が起こっていたかを知っていたはずであったのだが、俊承を思ってか、かれは存命中、そういうところを一切俊承に見せなかった。俊承の父は、北京でも高名な学者だったいうから、他の留学生の口から彼にその旨を伝えられることも考えられたが、ほとんど影のように俊承につき従っていた才人がそのようなことを許すはずがなかった。

 終電に間に合い、桔華は松島の駅で降りた。観光客用の土産屋が何軒かあるがそこも締まっており、街灯もなく、あたりはいやに静かだった。電車が行ってしまったのを見てから、遠くにざざんと波の音がした。桔華は音の方に足を向けた。

 月の明るい夜だった。
 照らされた離れ小島だけが、ネイビィブルーの夜空に黒く縁どられている。穏やかな波が打ち寄せる白浜に、人影を見つけた。

「俊承!」

 下駄が砂に飲まれるので、裸足になった。砂は昼間の太陽の熱を少し残していて、なまぬるかった。海風が熱を持ち始めた空気に心地よかった。

「俊承」

 桔華の呼ぶ声に、俊承は二度とも応えなかった。ただ膝を抱いて海の向こうをずっと見ている。
 俊承のすぐそばまで来たが、桔華は俊承の隣に座ることができなかった。さっきの黒澤の言葉が、おおきく頭をもたげていた。


――自己満足でないと、なぜ言い切れる。


「この向こうに」

 俊承はすっと海を指差した。桔華の視線もそれに従った。

「この向こうに、ハワイがあってアメリカがあって、そうしてずっとずっとまっすぐ行けば、イギリス、フランス、インド、そうして北京、朝鮮」

 俊承はぱっと後ろを振り返って、桔華に笑いかけた。

「そして、桔華さん」

 いったい何の話だ、と桔華は一瞬わけがわからなくなったが、俊承がそう言って一人で笑い出すので、桔華も吹き出してしまった。そうしてしばらく、わけがわからぬまま二人で笑いこけた。静かな波の音に、二人の笑い声だけが響いた。
 そうして一通り笑い終えて、桔華は俊承の横で手足を投げ出して大の字になって寝ころんだ。俊承はまだ余韻が残っているらしく、相変わらずくすくすと笑っていた。桔華はそうして波の音を聞きながら、天の星を見上げていた。無数に広がった天の海は果てしなく広く、そして途方もない時間を抱いて、そこに有った。

「本当は知っていたんです。北京の家族のことは」

 桔華はばっと起き上がった。
 さっきの黒澤との話もどこまで聞いていたのだろうか。心地恥ずかしいような気もしながら、桔華も膝を抱き、俊承のことばに耳を傾ける。

「才人がわたしになにも言おうとしなかったから、わたしも何も知らないつもりでいました。才人はやさしいひとだから、わたしがそれを知って悲しむ姿をみたら、かれも辛いだろうと思ったからです。わたしたちは、とても小さなころから一緒にいました。いつもいちばん近くにいました。でもだから、もしかしたらいちばん遠いひとになっていたのかもしれなかった。言わなくてもわかっているからこそ、言わなくちゃわからないことがあるんです。わたしは、才人の本当の痛みを、分かってやれなかった」

 俊承は泣いてなかった。いつものあの穏やかなで儚げな微笑を湛えて、才人よりも少しおぼろげな日本語で。

「才人はきっと、痛いなんて思っていなかった。ずっと悲しいと思っていた。自分の国を少しでも良くしようと思って、皇帝と一緒に事を起こそうとした両親を殺されたこと、誰のせいだとも言わなかった。それが正しいとされる国が悲しい、だから自分で変えていかなくちゃって思っていた。才人は本当は、孫中山老師たちと一緒に、国を変えるために働きたかったのに、わたしが日本にいくと言い出したから、心配してここまでついてきてくれたんです。いつも自分のしたいことは後回し。だから、才人が自分のしたいことを始めてくれたんだって、わたしはよろこんだのです。でも、ほんとうのほんとうは、心の底では、才人が遠くに行ってしまったようで寂しかった。才人が変革のための行動にわたしを巻き込みたくないのだってわかっていたから、わたしはそれ以上才人に何も言えなかった。でももしかしたら、わたしが寂しいっておもっている気持ちを才人は理解してくれるんじゃないかって思って期待をしていた」

 海がざざんとなった。

「わかってくれていたんです。だからあのとき、わたしを納得させるための理由に春陽の名前を出した。才人はわたしのことをすべてわかってたんです。わかってやれなかったのは、わたしです」

 そこで俊承の言葉が途切れた。俊承は膝に頭を埋めて、堪えきれない何かを必死になって抑え込もうとしているようだった。いつも自由で、無垢で、その笑顔に才人は救われていたに違いない。親を国に殺された悔恨を、本当にしたいことをあきらめてまで俊承とともに海を渡ったのも、すべて、この笑顔を絶やさないためであったに違いない。
 才人は最期、確かに桔華に言った。「俊承を頼む」と。
 それは才人が生きる上で最も大切にしていたことであり、俊承が才人を理解しきれないといったまさにその部分であったに違いない。

 誰かが誰かを想うという気持ちを内向きにとらえるならそれはただの自己満足なのだろう。黒澤の言うとおり、押しつけがましい恩情も、弱者に対する無意識な優越や憐憫も、大方自己満足の域を域を出るものは少ないに違いない。だが、それの何が悪いというのだ。才人の自己満足は、現にこうして一人の命を助けた。そうして、桔華をここまで動かした。才人の気持ちを、俊承や桔華が理解したことで、かれのそれは自己満足などではなくなったはずだ。たとえばそれを、事実才人が自覚していたとしても、他者に理解してもらうことで、それは単なる内なる感情から、誰かを敬い、慕う純粋な感情として認められるのだろう。

 桔華は、涙を堪える俊承を抱いた。突然の行動に俊承の方は驚いた様子であったが、それに大人しくしたがい、やがてぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。桔華はそれが落ち着くまでだまって胸を貸し、肩を抱く手に力を込めた。守ってやらねば、そう思っていた俊承の肩は、桔華が思っていたよりもずいぶん大きかった。

「ねえ桔華さん」

 俊承はまだ涙の線が残っている顔を上げ、桔華の名前を呼んだ。

「なに?」

「わたしは桔華さんが好きです」

 臆面も無くそう俊承に言われて、桔華は返す言葉を失った。言葉を探して口をぱくぱくさせているところに、

「女将さんと、下宿のみんなが好きです」

 と、やはり臆面も無くそう言った。それから、北京の家族と友人と、従妹の名前、医専の同級生、そして最後に黒澤の名前などを上げて、「みんな大好きです」と言った。

「だから、わたしは、才人がしようとしていたこと、実現しようと思います」

「それはつまり、清国に革命を起こそうということ?」

 桔華の胸に不安がよぎる。それはつまり、才人と同じ、今の北京政府や日本からも、ましてや朝鮮からも迫害を受けかねない。

「才人は、祖国を愛していました。そうして、日本のことも、父の出身である朝鮮のことも、憧憬の念を抱いていました。自分の国だけがよくなればいいってことじゃない。才人がしようとしていたことは、そのどれもが、お互いを尊敬しあい、理解しあっていけるということ。誰が優れているということでなく、誰もが優れていることを認め合っていけるような世界にしたい。だからわたしは、行きます」

 桔華から離れようとした俊承を、桔華はきつく抱きとめた。

「だめ、だめよ、あなたまで才人のようになってしまう。もう個人の力ではどうしようもない。あなたはここにいて。私があなたを守ります。だからここにいて。お願い」

 精悍な俊承の背中の温もりを感じながら、桔華はそう必死になって訴えた。応えて俊承。お願い、はいと言って――。
 気持ちが強まるほどに、俊承を抱く腕に力がこもった。しかし俊承はその問いに応えることはなく、そうしてふわりと、初めて桔華に手を伸ばした。かれの大きな手が、桔華の肩を抱いた。

「多谢、桔華」

 こみ上げる感情に、必死で抗おうとしている自身がいる。

 これは違う。私は俊承の力になりたいだけなの。
 私が心に決めたのは、古月さんだけ。
 私の気持ちに嘘をつかない、そう篠さんとも約束をした。
 だから、この気持ちは、きっと嘘。

 俊承を「愛している」なんて、嘘――。 

「ならば私を抱いて。あなたの『祖国』を裏切らないと私に誓って。お願い、私はあなたの傍にいたい――」

 月影が水面に揺らめいて、燦然と瞬く星々がふたりの仲を取り持った。
 


 それならばなぜ、私たちは出会ってしまったのだろう。
 いずれ辛い別れをせねばならぬとするならば。
 
 だけど私はこの夜を後悔することはないだろう。



 それがたとえ、誰に認められることがないのだとしても。



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2011/09/04(日)
5、裏切りの祖国

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