桜花往生

kanayano版日本近代史。

2011/08/31(Wed)

裏切りの祖国(9)



「誤解をさせてしまったようですね。そうではなく、これは単に、俺が柳君を見ていて感じたことと、その将来性についての話です」

「はあ」

「この男に惚れているといいましたね。最上さん、あなたはもし、この男との間にこどもが生まれたら、どうします」

「どうとは?」

「日本人として育てるのか、それとも中国人、いや、朝鮮人として育てるのかということです」

「先ほどからあなたの言っていることの意図がわからない。つまりあなたは、日本人と大陸出身者で恋愛をしてはいけないということ?それならば結構。先ほどのあなたのご高説の通り、私は俊承に確かに惚れているけれど、それは男としてというよりはその人間性に深く寄与する感情であって、大切な友人という意味よ。けれどもそれはそれとして、私は人を愛するという感情に国境なんてものは関係ないと思っているわ。言葉が通じないなら互いの言語を学べばいい。一緒にいたいという感情は、そういうものをいとも簡単に凌駕してしまうものだと思うもの。大切なのは、それがお互いの正直な気持ちであるかどうかということよ」

「理想論だ。あんたもさっき見ただろう。逼迫する国際情勢は、それに比例するように国民の心境を圧迫し、その歪は近隣の諸外国への優越感となって表れ始めている。本人同志が好きあって一緒になったとして、その間に生まれた子供はいったい、自分を何者だと思って生きていけばいい。日本人には混血と忌まれ、大陸出身者には僻まれ、そうして誇るべき自国も持たぬ力なき幼子が、どうやって自我を確立する。これはもはや、親の努力ではどうすることもできない領域の問題だ」

「あなた何を恐れているの。そんなこと、こどもが自分で考え、そうして自分で答えを見つけ出すわ。親ができることは、そのような時代に翻弄されることなく、自らの正義を貫き通す大人の背中を見せることよ。今が自分の力でどうしようもないような時代の力に押し流されている時期なのだとしたら猶更、それに異を唱え、行動しようとする姿を見せる時期ではないのかしら。たとえそのために」

 桔華はそこまで言ってはっとした。
 今から自分が言おうとしていることは、果たして正しいのだろうか。そう思ったからだ。

「そのために、こどもと、その家族を顧みることなく己の信じた道を突き進んでいくのだとしても」

 黒澤は相変わらずその感情が読み取れぬようなぼんやりとした眼をこちらに向けていて、一言「そうか」とだけ呟くと手酌で杯を満たし、桔華に差し出した。焼酎は苦手だったが、二度も断るわけにはいかぬと思い、それを受けて、一気に干した。喉の奥から燃えるように熱くなった。脳髄の先から染み渡るように痺れが走った。

「そうか……」

 そういったきり、黒澤は項垂れてだんまりしてしまった。桔華は感情の高ぶりと慣れないアルコールにもっと何か話をしていたいような気分だったが、黒澤にかける言葉も見つからず、なんとなくまた、気まずい空気が流れた。時の針の音だけ、こちこちと正確なリズムを刻んでいた。

 そうしているうちに、遠く、外から鼓笛隊の音楽が聞こえてきて、ざわっと人々が湧いた。皇族の行幸だろう。沿道に詰めかけた人。日章旗を振るこども。訓練された鼓笛兵が整然とラッパを構えながら先導し、その後ろを春日宮とその奥方を乗せた馬車が続いているのだろう。

「あなた士官でしょ。行かなくていいの?」

「今日は非番だ。久坂少佐が指揮を執る。上に自分のやり手ぶりをアピールする絶好の機会でしょう」

「こちらから聞いてもいいかしら」

「何でしょう」

「おいくつ?」

「25」

「驚いた。やっぱり私よりも若かったのね」

「女性に歳は聞けぬと思っておりましたが、おおよその見当は付きました」

「もう一つ。いやなことを聞いていいかしら」

「国家機密に関しない限り」

「あなた、陸軍のお偉いさんによく思われていないんじゃないの。今戦争の真っ最中だというのに、士官学校を出たあなたがこんな地方の憲兵のお目付け役だなんて。しかも皇族のご来訪にも顔を出させやしない。なにか悪いことでもしたの」

 桔華が見る限り、黒澤は軍人、いや、帝国陸軍の士官としての素質、態度、行動力をともに備え持つ優秀な将校であるように思われた。憲兵官舎での問答。思想偏向無く、その場の空気を読み、適切に処理しぬける決断力。どれをとっても申し分がない。その彼が、このような日陰の任務を負わされるのには、何か理由があるのではないか。あるのだとしたら、先ほどからやたらと突っ込んでくる自分と俊承との関係性、いや、日本人と大陸出身者との関係について。軍上層部が好ましくないと考える要素が何かしら彼には認められるということか。


「もしかして、出て行った奥さんって……」


 黒澤は答えなかった。
 桔華が覗き込むと、黒澤は酔いに任せてそのまま眠りについたらしく、あぐらのまま健やかな寝息を立てていた。

 俊承も黒澤も、穏やかな寝顔はまだ少年のあどけなさを残していて、その間に隔たる国家などという極めて人為的な抑制装置は、どこをみても見当たらない。

 桔華は自分が着ていた上着を黒澤に掛けてやると、静かにその部屋を出た。
 遠くで鼓笛隊のパレードの音が聞こえている。


――わたしに何かあったら、エンゲルス全集の裏表紙に挟んである手紙を、俊承に渡してください。


 脳裏によぎる才人との約束を胸に、桔華は自分たちの暮らしていた下宿へと走り出した。

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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。