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裏切りの祖国(6)


 女将が返答するより早く、上着を羽織った桔華が二階から降りてきて錠を外し、扉を引いた。

「何かあったのですか」
「急を要します。柳君は……」
「わたしも行きます」

 桔華が振り向くと、そこに俊承がいた。二人は不安そうな顔を向けてきた女将に心配ない旨を告げ、黒澤に従った。暗い小道の闇に寒気が落ちていた。黒澤は人目につかないよう、かつ目的地までの最短の道をとっているようだった。かなり早く走っていたので桔華は何度も着物の裾をつっかけそうになった。

 嫌な予感がした。皇族の行幸は、たしか今日だ。
 皇族の旅先で、なんらかの不祥事があってはいけない。不安の種は、どんな小さなものでも摘み取らねばならない。
 おそらく、才人はその不安の種の一粒と看做されたのだ。才人だけではない、騒擾罪で捕まった留学生だけでなく、思想犯、殺人犯、犯罪予備軍の粛清に入ったのだろう。
 桔華の予測を裏付けるように、鈍くくぐもった銃声が聞こえた。

 どん。
 どん、どん。

 どん。

 規則的に聞こえる音。胸の奥を掻き毟られるような思いを噛み殺しながら、桔華は黒澤と俊承の後を追った。想いが辛すぎて俊承の背中が見えなかった。 

 黒澤が急に立ち止まり、桔華は俊承の背中にぶつかった。おもわず出た悲鳴の口をふさいで、こちらを振り向いた黒澤の声を聞きとるのに神経を集中した。

「すまないがおれはこれ以上案内できない。そこの角を曲がれば眼の前に大きな河川敷があるから、その下だ。行くも行かないもあんたたちの自由だ」
「黒澤さん、ありがとうございます。わたしは行きます」

 そう言うなり、俊承は走り出した。桔華は俊承を止めたかったが、意を決して自分も走りだす。とたん、黒澤に引きとめられた。
 桔華は驚いて振り返った。黒澤は以前と変わらぬ、表情の読み取れぬ顔をしていた。

「あんた、あの男に惚れているのか」

 こんなときになんて話を切り出すのだ、と桔華は半ばあきれ、開いた口がふさがらなかった。

「惚れていますが、何か!」

 桔華はそう言い捨てると、黒澤の手を振り払い、俊承の背中を追った。黒澤は追ってこなかった。


 ***


 目隠しされ、後ろでを縛られた罪人が布団のようなものを掛けられた小銃を後頭部に突き付けられ、鈍い音とともにその体が倒れると、二人の憲兵に体を支えられ、背骨にもう一撃入れられ、そうして橋下へ引きずられていった。桔華が確認できただけでも五人ほどの死体がそこには積み上がっていたし、刑殺されるのを待つだけの囚人らしき人間が三人ほど見えた。

 月明かりのシルエットだけが見えている状態ではあったが、その囚人の中に才人がいるのが分かった。俊承もそれを見つけたらしく大声を出そうとしたところを桔華が後ろから組みついて芝生の上に押し倒し、もがく俊承を抑えつけた。何人もの憲兵が、小銃を構えて見張りをしているようだった。その上で人目につかぬ場所を選び、人目につかぬ方法で罪人を処刑しているのだった。

 桔華はそれを直視するのが怖かった。そしてなんとも歯がゆかった。今自分たちが飛び出して行って、場を混乱させれば才人を逃してやれるだろうか。いやしかし、才人を逃したとしても俊承を無事にそこから逃してやれるとは限らない。もし自分が殺されて彼らが助かるのなら、よろこんでここから飛び出してやろう。そうしてさんざんに暴れて、何かがおかしい、何故気付かぬとのたうち回って、花筐のように憐れまれ、そうして死ぬのも悪くない。だがもし自分が才人の立場だったら。大切な友人の前途を不安にしてまで、自分を救出してほしいとは思わない。少なくとも桔華の知りうる才人は、俊承に対して肉親以上の、いや、自身の身以上に儚く、大切に思っている人間だった。

 またひとつ、動かなくなった体が運ばれていった。目隠しをされた才人がどんと背中を突き飛ばされ、膝をついた。頭をぐっと地面に押しつけられた。その頭に小銃が向けられ、厚い布が被せられた。

 俊承は桔華の下で必死になってもがいていた。俊承は桔華の腕をかじり、足をばたつかせて折れそうなほど腕に力を込めていた。桔華は腕に引きちぎられるような痛みを感じながら、自分の体の端々が、いや、古月との不倫を篠にひた隠しにしてきた辛さとは比べ物にならぬような、心の蔵を直接えぐり取られるような心持で俊承の抵抗に耐えていた。桔華の胸の下では、俊承は叫びにならない叫びを上げていた。それでも桔華は俊承の頭を抱えて、その場から動こうとしなかった。のどがひゅうひゅうと鳴った。終わるな、終わらないで、誰か助けて……!!桔華も声を噛み殺しながら、「その瞬間」を待った。

 先ほどまでの規則的な銃声から、一間があいた。
 桔華は縋るような想いで顔を上げた。

 目隠しが取れたらしい才人がこちらを見ていた。二人に気がついたらしかった。

 あっ、と桔華が思った瞬間に、銃弾は才人を貫いた。続いて例にもれず背中にもう一発撃ち込まれ、動かなくなった体は橋の下の残りの元に引きずられていった。

 桔華は全身から力が抜けた。彼が今、眼の前で訳も分からぬ罪を以って殺されたことがすぐに理解できず、どうして、どうしてが何度も桔華の頭の中を反芻した。俊承も抵抗を止めた。二人の影は闇にまぎれ、動かなかった。

 心に冷たいものが吹きこむのを感じながら、真っ白になった頭に、微かな嗚咽が聞こえてきた。まだ十分とは言えない働きしかしていない脳をわずかに動かせば、桔華が組み伏せた下で俊承が静かに涙を流していた。

「春陽」

 俊承は涙を必死でこらえながら、つらそうに眼を閉じて、微かに「チュニャン」と言った。

「请你……请你原谅…、我……、我是……」

 そこまで言って俊承の言葉は途切れた。俊承は顔を覆って泣き始めた。
 才人は、最後に二人の姿を見て驚いたような顔をしたが、そうしてふわりと表情を緩めたのだった。


『ありがとう。俊承のこと、頼む』


 無骨な彼の、日本語の発音にこだわる細やかな音韻。桔華や女将にもいつも礼を欠かさないその態度。彼の一番大切なものを託されたのだと桔華は思った。眼の前で子供のように泣きじゃくる俊承の頭を抱え、「大丈夫」「大丈夫」と何度も何度もつぶやいた。


「貴方の事は、わたしが守るから」


 そのときかっ、と、夜闇にまばゆい明かりが二人を照らした。
 桔華は反射的に俊承を庇うように起き上がると、着物の袂で顔を隠した。

「貴様ら、そこで何をしている!!」

 見張りの憲兵だった。その声を聞いた別の憲兵も、二人を取り囲むように集まり、小銃を構えた。


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2011/08/23(火)
5、裏切りの祖国

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