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裏切りの祖国(5)


 ***


 一週間はあっという間に過ぎた。
 桔華はふと、発句のために向かっていた筆を止めた。夜半過ぎ。俊承が帰ってきたらしい。

 才人との面会の後、俊承と留学生仲間たちは、彼とそれに連座したものたちの釈放を求め、方々へと走りまわっているようだった。「ようだった」というのは、彼らが日本人に対する感情に濁りを持ち始めているのを感じ始めていた桔華は、それらに同行することを憚っていたためだった。留学生が女将や桔華に向ける笑顔は以前と変わることは無かったし、女将や桔華も以前となんら感情の変化が無いことは事実だったのだ。しかしかれらの「日本」という国そのものへの感情は、才人の一件以来、確実に悪化しているようだった。

 日露間の戦争が勃発した当初、日本はその戦争経費を集めることに非常に苦慮した。
 10年前の清国との戦争の時は、臨時国債を大量発行し、戦後の平和条約で相手国から大量の賠償金を勝ち取ることができた。しかし今回は、大国清を倒した経験があるとはいえ、それをしのぐ大国、ロシアとの戦いである。ほんの数十年前まで鎖国をし、急ごしらえの近代兵器で大戦に望んでいるという風評の極東の小国に、外債を望むのはほとんど神頼みに近いものがあった。
 
 それを担当したのが、後首相ともなる高橋是清である。ただいまより約半年前、彼はイギリスにいた。アメリカをはじめとする各国に日本への援助を断られ続け、八方ふさがりとなっているところに、かれの秘書である深井という男が、ある日本人商人を連れてきた。この男が、現北条商会会長、北条古月である。古月はイギリスへの販路を広げるための人脈をつくっていたのだが、その途上でユダヤ人の富豪・ロナルド=シフという男と知り合った。この男が大のロシア嫌いで、ロシア国内のレジスタンスらにも裏口援助をしているという話で、古月はそこに目をつけた。日本はロシアを交戦している。極東で善戦すればモスクワの警備は手薄となり、革命派も運動が効くようになるのではないか。

 シフはその話に乗ってきた。古月は深井を通じて日本側の特使である高橋にシフを合わせた。高橋の人柄もあって交渉は成立した。結果的に、日本の戦費のうち6割を外債に頼ったが、その8割をシフが出資した。

 明治37年5月の段階で、日露の戦況は、均衡から日本有利に進み始めている。こうしてはじめて、各国がロシアの内部事情等を考慮しつつ、少しずつ日本に出資を始めたのだった。

 清国はその主戦場として満州の領土を侵されながら、あくまで局外中立の立場を貫いている。北京政府は外国の攻防よりも、内部の思想統制に政局の重きを置いていた。00年の戊戌の政変以降、西太后は自国の軍備を増強することで、国内の不安分子を排除しようとしたのだ。よって、彼女のやり方に異を唱える者は、例え皇帝であろうと排除した。

「おかえりなさい。晩御飯ご用意しましょうか」

 俊承は帰ってくるなりどかりと机に向かい、書物を広げた。あの日以来、俊承は才人の読んでいた書物を片っぱしから目を通しているようだった。
 朝も、医専の学生たちよりも早く、宿を出ていく。疲れているはずなのに、桔華はこの1週間、俊承の休んでいる姿を見たことがない。

「ありがとうございます。握り飯にしてくれますか」

 桔華は梅の握り飯に沢庵とあつものをしつらえて、俊承の部屋に持ってきた。かれの傍らに置くと、俊承は「ありがとう」と言い、書物から目を放すことなく、握り飯を口に運んだ。桔華はそこに座ったまま。俊承の部屋の周りは、読み散らかした新聞や書物で溢れかえっていた。

「気持ちは分かりますけれど、少しはお休みにならないと。このままでは体がもちませんよ」

 書は中国語で書かれており、『革命軍』という表紙以外、どんな内容なのかまで桔華には分からなかった。恐らく、俊承もこれらの書物の意図しているところを理解するのが本意ではないのだろう。かれが知りたいのは、才人が何を見ていたのかということであり、何を考えていたのかということだった。

「わたしは大丈夫です。桔華さんも早く休んでください。起こしてしまい、ごめんなさい」

 俊承は書物から目を離さなかった。桔華は、揺らめくロウソクの灯りに照らされた俊承の横顔を眺めながら、胸の奥が疼くのを感じた。才人のこと、桔華にとってもショックであった。半年といえど、寝食を共にした仲間だと思っていた。幼いころから一緒に育ったという俊承なら尚更だろう。才人はこのような結果になることを分かっていて、同郷の知人らの代弁者となったに違いない。そうして、幼いころから共に学んだ俊承は、恩人の息子であり、自分の唯一残された家族を任せられる唯一の存在であったに違いない。だからこそこのようなことに巻き込みたくなかったのであり、それを貫こうとしているのだろう。

 染み入るほど才人の気持ちは理解できた。だけど、と桔華は思う。幼いころから共に学んだ才人に「仲間はずれ」にされた俊承の気持ちは、おそらく才人や桔華には分かるまい。才人が俊承に望んだもの、そのために選ばざるを得なかった現実。それが理解できて尚、俊承のくやしさを、桔華に推し量る術は無い。

 部屋中に散らばった才人の書物を拾いながら、いつまでも書物から顔を上げない俊承の後ろ姿が儚く見えた。同時に、今までの彼に無かったなにかが、そこに影を見せていた。才人だけではない、俊承もどこか遠くへ行ってしまうのだろうか。そんなことを考えて、桔華は小さくため息を付き、そうしてまた、書物を拾い始めた。


 夜更け、時計の針は二時を過ぎたあたりだった。

 1階の裏口をけたたましく叩く者があった。女将が不審そうに声をかけると、外から潜めた声がした。

「黒澤と申します。最上さんか柳君に至急取り次いでもらいたいのですが」



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2011/08/22(月)
5、裏切りの祖国

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