桜花往生

kanayano版日本近代史。

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2011/08/09(Tue)

祭りのあとに(12)



「たえさんから聞いたのね」

そう言って晴子はやはり笑った。
いつからかその顔を、桔華は「悲しい」と思うようになっていた。

「辛かったわ。自分が死ぬよりもずっとずっと辛かった。何よりも、彼らを産んであげられない自分を許せなかった。和葉さんの子を産めない自分が憎かった。でもね、ある時思ったの。彼らは人間としてこの世に生れ出ることは無かったけれど、その魂は私と和葉さんの間に確かに産まれたわ。二人いるのよ。お兄ちゃんと、妹なの」

 『辛かった』という晴子の言葉は、脇野沢での周囲からの風当たりなどではなくて、自分自身に向けられたものであった。自分が死ぬよりもつらい体験がどんなものか、今の桔華には想像もつかなかった。生まれた母が死んだときのことは、よく覚えていない。父や義母も、どこか親子以上の隔たりを感じているし、桜花も、年をとればいつかその日を迎える番になるだけだ。もし明日、古月や篠が死んでしまったら。そう思って、ようやく少し実感がわいた。胸の底がひゅうと冷たくなるような感じ。
 ならばそれが腹の子ならば。ぼんやりと感情にもやがかかり、消えた。俊承ならば?胸の奥で桔華は必至で首を振る。そんなの考えたくない。現実にありうるからこそ、考えられない。
 晴子はそんな桔華の心情を察してか、桔華の手をとり、それを腹にあてがった。晴子の手のぬくもりと、腹の子の鼓動が重なった。桔華はあっ、と思った。

「動いた」
「私にも伝わったわ。初めて?」

 桔華は何も言えなくなって、目を見張るようにして晴子に顔を向けた。晴子はやはり優しく微笑んで「元気そうね」と言った。そうして二、三度、桔華の腹を撫でた。

「生きている。それだけで十分じゃない、他に何を望むというの?」

 晴子は穏やかな顔をしていたが、その言葉が桔華にはあまりに重く、そして鋭く突き刺さる思いだった。流されるままに生き、窮地で人に助けられ、愛する人がいて、守りたいものがあった。そうして今、貫くべき道――歌を見つけた。どうしてこれが報われない人生といえよう。何が疲れただ。何が人生だ。自分はいつも諦めてばかりで、そうして誰かの手が差し伸べられるのを待っていただけではないか。

「ねえ晴子さん、もし和葉さんが浮気したら、あなた、どうしますか」

 不意に投げられた問いかけに晴子はあっと言って驚いて、「いやあねえ、あの人そんなに器用な人じゃないから」と前置きをして、こう言った。

「夫婦だもの。結婚するということはお互いがお互いの唯一のパートナーだという約束をするわけだから、それを破ったことに対してまず聞きますわ。そうして、それが単なる浮気心なのか、それとも私ではないその女性を人生のパートナーとして本当に愛しているのか、それを見極める。前者ならそれを含めて彼なのだから受け止めてあげるのが妻としての役目。後者ならばわたしは身を引くわ。かりそめであるなら、共に長い人生を送る意味がまるでないのだもの」

「単なる浮気心なのか本物の愛か、それが分かる?」

「分かるわ。あの人のことだもの」

 晴子はそう言って桔華の顔を見はしたが、それ以上深く追求することは無かった。古月とのことは、晴子には話していない。祖母が同じ従兄なのだという話をしたが、今の問いかけが果たして晴子に何を感付かせたのか、桔華に推し量るすべはなかった。ただ、篠があのとき自分を庇ったのは、晴子のいう「それを含めてかれのすべてを受け入れる」という意思表示だったのだろうか。篠は古月の一番が桔華であるといった。それを知って尚、篠は別れ話を切り出さなかったとすれば、悠長な男女の感情にされるがままに過ごしてきた古月や桔華より、自分の輿入れが何を意味するのかを自覚し、かつ彼の妻たらんとする桔華より5つも年下の彼女が、冷静に現実を見つめていたのだということになる。
 篠の事はとても大切に思っていた。儚げな彼女は、桔華にとって妹であり、自分が守ってやるべき相手でもあった。
 それを裏切って尚、妹は姉を庇ったのだ。夫と姉がどういう人生を歩み、惹かれあったのかを死ぬような思いで理解し、そうして古月の本質を知っていたからこそ桔華を引きとめたのだ。もし桔華から古月に別れを切り出せば、かれはその感情を引きづり、仕事や家庭にも影響を及ぼすのだろう。何百という社員を預かる社長だからこそ、個人の損得でものを考えてはいけない。だから何事もなくいままでのように暮らすためには、現状を維持することが最も望まれることであると。

 愚かなのは自分だった。大切に思ってきた妹は、自分よりも遥かに立派な女性であり、妻であり、母であった。
 桔華は消え入りたいほど打ちのめされていた。それすら自覚することもなく、いままでのうのうと生きてきたのかと。古月への気持ちを貫けと、舌を噛み切るような思いで宣った篠をまたしても裏切り、また流されるままに守りたいものと出会ってしまった。腹の中にいる子どもは、自分が母親である限り、父親を知ることは無いのだろうと桔華は思う。いちばん大切な人は古月。それ以外にはありえないから。絶対に、あり得ないから。


――わたしは、桔華さんが好きです。


 俊承の逞しい顔がこちらを見ていた。出会った当初の、純粋で優しいだけの彼ではない、民族の使命を自覚した、一人の男の顔だった。

 もう何年も昔、遥か長い年月がたったようにも思う。

 しかし実際、それはわずか四カ月前の話。

 目を閉じ、俯いていた桔華は腹の底の鼓動を感じつつ顔を上げた。ほかでもない晴子に聞いてもらいたい、そしてこれはおそらく、桔華の人生で初めて己が選択した道なのだということを、確かめたかった。



「この子の父親の名前は柳俊承(ユ・スンジョン)、朝鮮半島出身の北京からの留学生でした」

 訥々と語り始めた桔華の顔を見つめて、晴子はじっと、桔華の話す言葉の一つ一つを噛みしめているようだった。

「どうしようもない力が、名も無き多くの市民の命を奪い、そうしてそれに呼応するように立ち上がった若者たちがいます。晴子さん、聞いてください。私は、彼らの力になりたいと思った。そうしてそれは、今私が生きるための、とても大切なものになりつつあるのです」



 祭りの囃子と男衆の声が、遠くなりつつある。
 
 思えばあの夜も満月だった。
 月明かりの下に女が二人。夜風が過ぎ、庭の薄がさらさらと鳴っている。


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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。


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