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祭りのあとに(12)



「たえさんから聞いたのね」

そう言って晴子はやはり笑った。
いつからかその顔を、桔華は「悲しい」と思うようになっていた。

「辛かったわ。自分が死ぬよりもずっとずっと辛かった。何よりも、彼らを産んであげられない自分を許せなかった。和葉さんの子を産めない自分が憎かった。でもね、ある時思ったの。彼らは人間としてこの世に生れ出ることは無かったけれど、その魂は私と和葉さんの間に確かに産まれたわ。二人いるのよ。お兄ちゃんと、妹なの」

 『辛かった』という晴子の言葉は、脇野沢での周囲からの風当たりなどではなくて、自分自身に向けられたものであった。自分が死ぬよりもつらい体験がどんなものか、今の桔華には想像もつかなかった。生まれた母が死んだときのことは、よく覚えていない。父や義母も、どこか親子以上の隔たりを感じているし、桜花も、年をとればいつかその日を迎える番になるだけだ。もし明日、古月や篠が死んでしまったら。そう思って、ようやく少し実感がわいた。胸の底がひゅうと冷たくなるような感じ。
 ならばそれが腹の子ならば。ぼんやりと感情にもやがかかり、消えた。俊承ならば?胸の奥で桔華は必至で首を振る。そんなの考えたくない。現実にありうるからこそ、考えられない。
 晴子はそんな桔華の心情を察してか、桔華の手をとり、それを腹にあてがった。晴子の手のぬくもりと、腹の子の鼓動が重なった。桔華はあっ、と思った。

「動いた」
「私にも伝わったわ。初めて?」

 桔華は何も言えなくなって、目を見張るようにして晴子に顔を向けた。晴子はやはり優しく微笑んで「元気そうね」と言った。そうして二、三度、桔華の腹を撫でた。

「生きている。それだけで十分じゃない、他に何を望むというの?」

 晴子は穏やかな顔をしていたが、その言葉が桔華にはあまりに重く、そして鋭く突き刺さる思いだった。流されるままに生き、窮地で人に助けられ、愛する人がいて、守りたいものがあった。そうして今、貫くべき道――歌を見つけた。どうしてこれが報われない人生といえよう。何が疲れただ。何が人生だ。自分はいつも諦めてばかりで、そうして誰かの手が差し伸べられるのを待っていただけではないか。

「ねえ晴子さん、もし和葉さんが浮気したら、あなた、どうしますか」

 不意に投げられた問いかけに晴子はあっと言って驚いて、「いやあねえ、あの人そんなに器用な人じゃないから」と前置きをして、こう言った。

「夫婦だもの。結婚するということはお互いがお互いの唯一のパートナーだという約束をするわけだから、それを破ったことに対してまず聞きますわ。そうして、それが単なる浮気心なのか、それとも私ではないその女性を人生のパートナーとして本当に愛しているのか、それを見極める。前者ならそれを含めて彼なのだから受け止めてあげるのが妻としての役目。後者ならばわたしは身を引くわ。かりそめであるなら、共に長い人生を送る意味がまるでないのだもの」

「単なる浮気心なのか本物の愛か、それが分かる?」

「分かるわ。あの人のことだもの」

 晴子はそう言って桔華の顔を見はしたが、それ以上深く追求することは無かった。古月とのことは、晴子には話していない。祖母が同じ従兄なのだという話をしたが、今の問いかけが果たして晴子に何を感付かせたのか、桔華に推し量るすべはなかった。ただ、篠があのとき自分を庇ったのは、晴子のいう「それを含めてかれのすべてを受け入れる」という意思表示だったのだろうか。篠は古月の一番が桔華であるといった。それを知って尚、篠は別れ話を切り出さなかったとすれば、悠長な男女の感情にされるがままに過ごしてきた古月や桔華より、自分の輿入れが何を意味するのかを自覚し、かつ彼の妻たらんとする桔華より5つも年下の彼女が、冷静に現実を見つめていたのだということになる。
 篠の事はとても大切に思っていた。儚げな彼女は、桔華にとって妹であり、自分が守ってやるべき相手でもあった。
 それを裏切って尚、妹は姉を庇ったのだ。夫と姉がどういう人生を歩み、惹かれあったのかを死ぬような思いで理解し、そうして古月の本質を知っていたからこそ桔華を引きとめたのだ。もし桔華から古月に別れを切り出せば、かれはその感情を引きづり、仕事や家庭にも影響を及ぼすのだろう。何百という社員を預かる社長だからこそ、個人の損得でものを考えてはいけない。だから何事もなくいままでのように暮らすためには、現状を維持することが最も望まれることであると。

 愚かなのは自分だった。大切に思ってきた妹は、自分よりも遥かに立派な女性であり、妻であり、母であった。
 桔華は消え入りたいほど打ちのめされていた。それすら自覚することもなく、いままでのうのうと生きてきたのかと。古月への気持ちを貫けと、舌を噛み切るような思いで宣った篠をまたしても裏切り、また流されるままに守りたいものと出会ってしまった。腹の中にいる子どもは、自分が母親である限り、父親を知ることは無いのだろうと桔華は思う。いちばん大切な人は古月。それ以外にはありえないから。絶対に、あり得ないから。


――わたしは、桔華さんが好きです。


 俊承の逞しい顔がこちらを見ていた。出会った当初の、純粋で優しいだけの彼ではない、民族の使命を自覚した、一人の男の顔だった。

 もう何年も昔、遥か長い年月がたったようにも思う。

 しかし実際、それはわずか四カ月前の話。

 目を閉じ、俯いていた桔華は腹の底の鼓動を感じつつ顔を上げた。ほかでもない晴子に聞いてもらいたい、そしてこれはおそらく、桔華の人生で初めて己が選択した道なのだということを、確かめたかった。



「この子の父親の名前は柳俊承(ユ・スンジョン)、朝鮮半島出身の北京からの留学生でした」

 訥々と語り始めた桔華の顔を見つめて、晴子はじっと、桔華の話す言葉の一つ一つを噛みしめているようだった。

「どうしようもない力が、名も無き多くの市民の命を奪い、そうしてそれに呼応するように立ち上がった若者たちがいます。晴子さん、聞いてください。私は、彼らの力になりたいと思った。そうしてそれは、今私が生きるための、とても大切なものになりつつあるのです」



 祭りの囃子と男衆の声が、遠くなりつつある。
 
 思えばあの夜も満月だった。
 月明かりの下に女が二人。夜風が過ぎ、庭の薄がさらさらと鳴っている。


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2011/08/09(火)
4、祭りのあとに

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