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祭りのあとに(11)



 *****


 いつのまにかうとうとしていたらしい。
 桔華は、首の違和感に引き起こされるように眼を覚ました。雨戸に肩を預けるようにしてうたた寝をしていたため、身重の体重を預けられた肩がばきばきとなりそうだった。

 玄関先から晴子の元気な声が聞こえる。「はい、これ、お願いね。よろしくお願いします!」

 ようやく意識を覚醒させ、そちらに意識を向けると、今度は甲高い笛の音とともに子どもたちの元気な声が聞こえてきた。


 やーれっさやれさ。やーれっさやれさ。


 しゃんしゃんと鈴の音がして、太鼓の音が重なる。
 店先で子供たちが舞を報じているらしい。桔華は身を乗り出してそれらを眺めた。商売繁盛を祈念したあと、ぱらりと米が撒かれた。子供たちの元気なあいさつの後、「やーれっさやれさ」の声が遠くなった。

「あら桔華さん。起きていらっしゃったのなら、子供たちの『あいさつまわり』を見せてあげたかったわ」

 時節は九月二週。昨日から川内八幡社の例大祭である。普段仕事に熱心な街の衆も、明日までの三日間は襦袢に法被姿で神輿を引き、夜中まで街を練り歩く。

 桔華が店先の縁側に腰を下ろすと、晴子が台所からお茶と砂糖菓子を持ってやってくる。今日は深夜まで山車が運行されるとかで、このまま店を閉めずに、のんびりを眺めていようというのが晴子の提案だった。

 八月を過ぎると桔華の容体は安定してきた。町医者にも少しであれば動いてもいいというお墨付きをもらい、「晴子さんに感謝することだね」と桔華に言った。桔華の腹は少し膨らんできたが着物の上からではまだ見分けがつかない。子供の鼓動を感じることもあるからと医者は言ったが、それも今のところ、まだ経験が無い。
 京都の盆地の蒸し暑さを知っている桔華にとって、川内の夏はからっとしていて過ごしやすかった。それでなくとも、晴子にむやみに出歩くなと厳命されている桔華は、風通しのよい屋内で大半を過ごしていたし、正面に見える陸奥湾から絶えず潮風が吹きこんできた。店と中庭の雨戸を開け放てば風が通り抜けるにちょうど良く、夏の日差しの照りつける様を日陰で穏やかに眺めているうちに、暦の上は立秋を越え、処暑を過ぎた。

 満州の荒野では日露両国の攻防が続いている。
 三月までに清国旅順港では日本海軍による二度の閉塞作戦が行われたが失敗に終わった。国威が勢いを取り戻したのはその閉塞作戦が「失敗」として情報されず、部下を探して爆発に巻き込まれ戦死した、“杉野はいづこ”の広瀬大尉の武勇談であり、五月の鴨緑江での陸軍の勝利であった。緒戦の一勝といえど大国ロシアを相手に「対等に」戦争という殺し合いをしているというよりもむしろ、40年前までは恐怖の対象でしかなかった諸外国と「対等に」渡り合えるだけの武力と国力を日本は持ちえたのだという、「気持ち」なのだと桔華は思っていた。そこには、兵士ひとりの死という現実ではなく、血税をもって贖われた武器弾薬の漏音でもなく、ただ一等国民としての優越感のみがこうして国中を席巻しており、またそれらを顧みる己は恐らく、新聞雑誌で言うところの「国力減退の一助たる諸勢力」とでも形容されるのだろうか。近く、陸海軍合同による旅順総攻撃が実施されるという新聞記事を眺めながら、ぼんやりと仙台での出来事が頭をよぎるより前に、「初代左團次が亡くなったそうよ!『勧進帳』見てみたかったわあ」と晴子の声が飛んだ。

 そういえば京都にいた時に一度だけ、九代目団十郎の『三人吉三廓初買』を見たことを思い出して、たいして印象に残らなかった舞台よりも鮮明に、祖母、桜花の横で鼻ちょうちんを膨らませていた古月の横顔が蘇ったのだった。ふわりと明るい気分になり、読んでいた新聞を折りたたんでそばに置くと、ぴーひゃららと囃子の音がまた近くなった。そうしてまた、遠くなった。

 陽が落ちる。潮風が肌を掠めると、かすかに寒気を伴った。晴子はそれを当然のように見こしていて、「冷えてはいけないわ」といって絣の羽織を桔華の肩にかけた。桔華が「ちょっと若すぎやしませんか」と苦笑すると「あらあ、女子はいつまでも若くありたいもの。そうでしょう?」と真顔で返された。桔華はやはり苦笑した。

 折られた新聞の片隅に、桔華の選による地元青森の創作家らによる秀作が並ぶ。毎週日曜日、タブロイド紙の四面、全面広告の最上段が第二文芸欄。一面には政府広報と最近は満州の時局、青森の市政、そして郷土作家佐藤紅緑による新聞小説、その挿絵。
 桔華の選と短評は「女流歌人」の話題性も相まって評判は上々、撰者の名は「菊」と名乗った。これは、短歌の師でもある桜花がつけてくれたものだった。桔華は父方の最上に引き取られる前の名前を菊といったが、当人はそれをとうの昔に忘れており、「それではあなたは今しばらく『菊』を名乗りなさい」と桜花に言われた時も、師が桜なら弟子は菊。皇室の花名をもらうにはいささか役不足の感があるけれどと思った程度で、後々になってようやくそれを思い出したという有様であった。当の桜花はそれを見越したうえで桔華に「菊」名を授けており、彼女の同人誌「のはら」で名を挙げている桔華の姉、玉津は、「清梅」という名を世間に通じていたのだった。当の玉津は「そんな置屋の娘みたいな名前は嫌、それよりも『桜花』の名前が欲しい」と例の無邪気さで宣ったというが、果たして桜花も例の如くにこにこしながら「嫌です、私の名前が無くなってしまいます」と答えたのだそうで、玉津の方も躍起になって名実ともに『桜花』を継ぐべく研鑽を重ねていると、当の桜花からの手紙に記されていた。
 
 街道に面している和泉家の店先を、部落や船仲間たちの山車が流れていく。
 山車は桔華が京都で見知っている、祇園会の大山車によく似ている。四つ車の上に金襴の幕が張られ、見上げる上に稚児と囃子方が数人いる。川内の山車には大漁旗や帝国旗なども掲げられ、京都のものより一回り小さく、また数も多くはないが確かに似ている。

 やーれっさやれさ。
 やーれっさやれさ。

「この囲み幕と見返りはね、京都の問屋から買い入れているんです。例大祭は寛永のころからあったと聞いているから、きっと上方の商人さんから、祇園のお祭りのことを聞いたのではないかしら。そうして、見様見真似で山車などこさえているうちに、青森や弘前のようなねぶた人形でなくて、こういう高台のお山車になったのね」

 陽が落ちると、先導する囃子方の提灯や山車の町内会協賛の札に灯りが張られ、一台、また一台と山車が過ぎて行った。山車を引く男衆の日焼けた赤い顔や鼻筋に赤い墨を入れた子供たちが、威勢のいい声を残していった。

「驚いた。まるで祇園さんのお祭りのよう」
「嬉しい。川内の人はね、この例大祭を本当に楽しみにしているのよ。そうしてこのお祭りが終わると、長い冬が来るの。だから、その前の景気づけみたいなものなのよ」

 晴子はそう言って、笑った。いつものあの、見るものの心を穏やかにするあの顔だった。

「晴子さん」
「なあに?」
「聞いてもいいですか、お子さんのこと」

 囃子の音は遠ざかりつつあり、りいりいと虫の声が聞こえていた。
 今夜は満月。店の軒先の祭りのあとの静けさを、月明かりが照らしている。

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2011/08/08(月)
4、祭りのあとに

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