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祭りのあとに(10)


「桔華姉さん?」

 上着もなく、降り積もる雪を払いのけることも忘れ、いつしか意識すら薄らいでいるところへ、桔華の真上から細い糸の様な声がおりた。
 
 篠だった。

 桔華は声を出すこともできずに篠の顔を見上げた。振る雪に黒い和傘をさして、幼いゆゑの手を引いてきたようだった。篠は白い地面に膝をつくと、桔華を抱き起こし、その体に降り積もった雪を払った。そうして、桔華の頬に触れるとその冷たさに驚いたように身震いをして、立ち上がろうとした。
 最上の人間を呼ぼうということらしいことを察した桔華は、ようやく篠の袖を引き、小さく首を振った。それみた篠は状況を理解したのか、ゆゑに傘を預けると桔華の腕を自分の方に回して抱き起こす。

「ゆゑ、先に行って桜花様にお湯を用意してもらって。それから替えの着物。くれぐれも桜花様以外の北条の人に見つかってはいけません。さあ、行きなさい」

 ゆゑは小さな体いっぱいに頷いて、くるりと向きを変えて走り出した。
 篠は桔華の体を引きずるようにして、雪の中を歩きだした。




 北条の屋敷の裏口から入り、正面を経ないで桜花の部屋に回った。夜半九時を過ぎているので屋敷の中はひっそりとしており、桔華の来訪に気がついたふうもない。この屋敷には篠とゆゑ、そして祖母である桜花の他に、桜花の二男夫妻とその息子、つまり古月の次兄が暮らしているが、桜花の母屋は二男夫婦とは棟を別にしていて、こちらがわには古月と篠、そしてゆゑの世帯が暮らしている。といっても、古月は結婚してからもほとんど家にはおらず、篠が桜花の身の回りの世話を行っていて、別棟の本家とはほとんど生活を異にしている。

 それにしても、いまや北条家の稼ぎ頭となっている古月と桔華の不義の話題が、かれらの蚊帳の外にあるわけがない。最上の義母や八重は「近所の評判になっている」と言っていたし、ならば北条の家が知らないはずもない。無論、桜花や篠が知らないわけはないのだが、それならばなぜ、と桔華は考えている。その小さい体で必死に桔華を桜花の母屋まで運び、ゆゑが先立って桜花に用意させた手ぬぐいをお湯でしぼり、冷え切った桔華の腕を、首を、体を、丁寧に拭いてくれた。部屋の中は灯芯のろうそくが揺らめいている。その暗がりに、篠の小さな丸い顔だけが、ぼんやりと浮かんでいた。

「最上の家も酷いですね、外套も持たせずに追い出すなんて」

 篠の細い手から、体温以上の熱が伝わってくるような、そんな感じだった。外はまだ雪が降り続いているのかもしれない。音もない薄暗闇の部屋に、女が二人。男の妻と、その情婦。桔華は篠になんと言って切り出せばいいのか、奥歯を噛み切りそうな面持ちで言葉を探していた。最上の家を追い出され、雪の中立ちすくむ桔華に、声をかける隣人はいなかった。唯一手を引いてくれたのは、愛した人の妻、そして大切な妹だった。

「姉さん?」

 桔華の体が小刻みに震えていること、そして?がれた腕を握り返す手に力が入り始めたことに気がついた篠は、そうしていつもとなにも変わらない、穏やかな顔を桔華に向けていた。桔華は何も言えぬまま、ぼろぼろと泣きだした。泣きだした自分にも腹立たしかった。言い訳の一つでも漏らせばいい、そうすれば、自分は篠にとって、最低な女として認識されるのに。
 わかっていて、出来なかった。古月との思い出に蹴りをつけることも、篠に憎まれて生きることも、今の桔華には決断できなかった。
 篠はしばらく桔華を見つめていたが、少しだけさみしそうな顔をした後に、やはりふわりと笑った。

「姉さん、私は、姉さんに感謝してるんです。三年前にここに嫁いできて、家事も、妻としての務めも、お付き合いも何も知らない私に、姉さんはたくさんの事を教えて下さった。頼るべき人も見当たらない中で、姉さんは私に目をかけてくださいました。ですから私は、姉さんのことがとても大好きですし、どんなに素敵な方なのか、誰よりも存じ上げているつもりです。古月さんが、他の誰でも無い姉さんを選んだこと、私にはようく分かるのです」

 篠は震える桔華の手を、両手でそっと包んだ。

「幼い頃より、古月さんも桔華さんもそれぞれのお立場で御苦労を重ねてこられました。そうして、その御苦労を、お互いがいちばん近いところで見てきた。お互いがいちばんの理解者であり、そうしていつの日にか、かけがえのないものと思うようになった。それは人間の感情として当然のこと。それを誰が、見咎めることがありましょう。」

「篠さん、私は――」

「言わないで」

 桔華の言葉をさえぎるように、篠は懇願のまなざしを桔華に向けてそう言った。

「後悔しないで。古月さんのお気持ちに偽りがなかったこと、貴方がいちばんご存じのはず。誰に何と言われようとも、決してご自分の気持ちを恥じないでください。今の古月さんを支えているのは、貴方から愛されているという自負なのです。どうかそれを、忘れないで」

 そう言って、篠は少し小首をかしげて桔華を覗きこんだ。篠の目は本気だった。桔華を責めるでもなく、夫を咎めるでもなく、ただ眼前の事実は運命だったのだと、そう言って見せた。
 古月への募る気持ちを誰に咎められようとも構わない。謗られても、辱められても、かれと深く理解し合えた自分を後悔しない。ただこの儚げな妹が、そのことによって傷つくことが桔華には耐えられなかった。いっそ篠に、足腰が立たなくなるまで罵られたらよかったのに。そうすれば後腐れなくここを出て、生きるも死ぬも己の思うがままにできたのに。なのに篠はこの雪の中、身寄りのない桔華を拾い、こうしてあたたかく迎えてくれる。夫を支える妻として、そして姉を慕う妹として、かれらが何を望み、そうしてこれから大事を成すために何が必要なのかを提示してくれる。
 
 腕を伝う篠のひんやりとした手の柔らかさを感じながら、桔華は「いけない」と思った。いけない。このまま古月と関係を続けてはいけない。かれはこれから家族のために、会社のために、そしてこの日本のために、大きなことを成すのだろう。自分がその足枷になってはいけない。篠が許してくれたとしても、自分がこれ以上、古月に関わってはいけない。
 皮肉だった。篠の優しさが、却って桔華にそのことを強く自覚させた。桔華が顔を上げると、それを察したらしい篠が不安げな目を上げた。「行かないでください、姉さん」と篠は言った。

「京都を出なさい、桔華」

 すでに夢の中にいるゆゑを背負って、祖母の桜花が部屋に顔を見せた。桔華は涙をぬぐい、姿勢を正して、桜花に深く一礼をした。

「桜花様、それはあまりにも」
「篠さん、あなたは黙っていなさい」

 桜花はそうぴしゃりというと、ゆゑを起こさないように畳に降ろし、自分の上着をかけてやった。そうして自分の書棚から京縮緬の雑記帳を取り出すと、筆をとり、すらすらと書きつけ、桔華の眼の前に差し出した。

「篠さんが何と言おうとも、貴方は人として生きる上で、許されない過ちを犯しました。それは、感情の面で純粋な想いとされるのだとしても、人間社会というコミュニティの中で生きるものには決して越えてはならない一線だった。分かりますね」

 桔華は頷いた。無論だ。

「しかしだからこそ、あなたは何事に変えても大切にしなければならない想いを知った。この世の中の多くの女性が自分の望む道を歩むこともできぬまま、妙齢になり親の決めた相手と結婚し、家に入り家を守り、子を産み、育て、そして死んでいく。桔華、あなたはそれに捉われることなく生きなさい。たくさんのものを見て、多くの事を感じて、そうしてそれを大切になさい。あなたが信じた道を貫きなさい」

 桜花はまっすぐに桔華を見据えて、澱みなくそう言った。桔華は静かに頷いて差し出された雑記帳を手に取った。そこにはひとつ、歌が書き記されていた。



――秋雅 咲き狂いにし 世の果ての いざ立ち行かん 桜花往生



「あなたの帰る場所ならここにある。祖母がこうして待っていてあげますから、いつでも帰っていらっしゃい。ねえ、篠さん」

 篠は鼻を啜り、無言で頷いた。そうして桔華は、まだ夜も明けきらぬうちに北条の屋敷を辞した。





 明治三十四年、晩秋。
 こうして桔華は、女の身一つを携え全国放浪の旅に出た。


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2011/07/20(水)
4、祭りのあとに

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