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祭りのあとに(8)

 明治34年、晩秋。
 障子戸の外は未明からちらほらと雪が降り始めたようで、しんと暗闇が落ちていた。

 桔華は隣で寝息を立てている古月を起こさぬよう、そっと身を起して着物を羽織った。障子戸に手をかければ、夜分の熱情をはらんだ四畳半に細い空気が流れ込んだ。

 かれとの逢瀬は、祇園社の夜から絶えることなく、あれから三年が経過しようとしている。
 相変わらずあちこちに飛びまわっている古月は、実家への帰京の知らせよりも1日早く、こうして桔華にたよりを寄こしてくる。そしてこの祇園裏地の小さな茶屋で、人知れず互いの心身を交わらせ、翌朝には何知らぬ顔で従兄妹に戻る。桔華はこの逢瀬の度に、最上に見止められることが無いよう、夜半過ぎに家を出、そうして家の者が起きだす前に帰宅して朝餉の支度をする。今日もそのつもりで、太陽が地平線に顔を出すよりも少し早いこの時間に起きだしている。

 古月の妻である篠や最上、北条、桜花にも、当然この関係は他言していないのであるが、桔華は、いつかはこの関係を終わらせなければならないのだということ、そしてそれは自分が古月に言いださねばならぬのだろうということを強く自覚するようになっていた。幼いころより知る愛しい人。最上の四姉妹の中で腹違いの身である桔華と、傾いた北条家を必死で支え抜いてきた末弟の古月。家内に身寄りのない二人が、自然と心を寄せあって触れあいたいという気持ちは、誰にも咎めることのできない節理であったろう。せめて、近いところで血がつながっていなければよかったのか。古月が、会社再建のために嫁をとらねばよかったのか。邂逅する思考に反抗するように、それは否、と桔華は結論付ける。

 守りたいものがある、それを大切にしているあなたのことが、愛しいの。

 差し込む朝日が細く、床の間に落ち始める。桔華は古月の着物を胸に抱き、強く握りしめる。

「そないなもん大切にせんと、眼の前におれはしゃんと居るやないか」

 ほとんど囁くような声に、桔華が振り向くよりも早く、古月が後ろから桔華の肩を抱いた。肩筋から耳の後ろまでをかれの吐息がなぞり、桔華はひとつ、身震いをした。上着を身につけていない古月の上半身の熱が、襦袢の背中から伝わってくる。桔華は軽く抵抗したが、こうなってはいつものこと、かれの気が済むまで解放してはもらえない。

「せめて、上着だけでも」
「かまへん。このままがええよ」

 桔華の肩を抱いたまま、古月はぴったりと顔を桔華の肩に預けて、小さくゆらゆらと揺れ始める。小さな子供のように、甘えている。まるで鼻歌でも歌いだすかのように、かれの穏やかな心情が桔華にも伝わってくる。
 ふと、古月が顔を上げた。拘束から解放された桔華はかれに、上着を掛けてやった。

「どうしたん」

 古月は桔華の顔を見据えて、不安げな声を上げた。

「そろそろ帰らねば。夜が明けてしまいます」
「そうやない。お前、何を考えとるん」
「今朝の朝食の事」
「桔華」

 普段は他人の都合などお構いなしに突き進んでいくかれが、こういうときだけは察しがいい。桔華はちょっと困った顔をしてはにかんで見せた。胸の内で「いつかは言わねばならぬこと」を反芻しながら、今はまだその時ではないという声を聞いた。三年前から、こうしていつも桔華に囁きかける本性の声。

「あいしてる」
「ありがとうございます」
「なあ桔華、おれはお前だけを愛しているよ。誰と結婚しても、どこにいても、何をしていても、お前のことがいちばんなんよ。お前も、おれにようしてくれる。会いたいいうことにも、こうして応えてくれる。でも、おれはまだ、たった一言を聞いていない。その一言が聞けないばっかりに、こうして手の届く場所にお前が居っても、心の蔵を今にも握りつぶしてしまいそうな、そんな不安定な気持ちになるんよ」

 あどけない少女の顔をした篠の姿が脳裏に浮かぶ。
 その背が振り向き、腕に赤ん坊を抱いたその「少女」の顔は、慈悲を帯びた母親のそれとなっていた。
 無邪気に慕ってくれる可愛い妹。寄せられる信頼は、自分が古月に寄せていたような、そんな安堵をもたらしてくれるのだ。

「今日も、応えてもらえんね」

 桔華はその言葉を聞かぬふりをして、身支度をし、部屋を出て小雪舞う小さな玄関をくぐった。
 差し込む太陽の光に、人影を見た。
 
 辺りに降りた静けさは、まるで彼女の息づかいを消すためのものだったのか。桔華は、息を呑んだまま金縛りにあったような心地でいた。


「……朔子」

 
 それは姉の朔子だった。彼女は桔華の姿を見止めるなりふ、と少し顎を上げて、その小さな唇をわずかに開いた。
 背中でガラガラと音がした。古月だった。
 はっとして桔華が振り返ると、そこは先ほどの静かな朝の粉雪があるだけだった。

「桔華?」

 古月の訝しむ声に、桔華は何でもないと応えるのが精一杯だった。
 桔華の胸は、音を立てて鼓動している。確かに、そこに姉、朔子がいた。


――哀れな女。


 小さく開いた彼女の唇は、桔華にそう告げていた。
 体の中のすべての力が抜けるような感覚だった。そこからどうやって最上の家まで戻ったのか、桔華はよく、覚えていない。


 事が表に出たのは、古月が上海に旅立ってから三日後のことだった。

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2011/07/11(月)
4、祭りのあとに

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