祭りのあとに(7)

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 翌月、北条古月は葦屋篠と結婚した。

 結納を身内で済ませ、披露宴は執り行わない。古月と篠は礼装に身を固め、双方のごく身近な親類に取り囲まれながら、互いに杯を交わす。
 
 しゃんと伸びた古月の紋付袴姿を、桔華は座敷の下手から眺めていた。
 
 長い睫毛、細い腕。
 数日前に確かに手の届く場所にあったその背中。

 篠の白い手が、白無垢の袖口からのぞき、古月から杯を受け取った。
 鈴の鳴るようなしなやかさで、篠は杯を口元に運んだ。

 麗しい人だ、と桔華は思った。



 会社再建に奔走せねばならぬ古月は、篠を北条の本家に残し、相変わらず国内国外を駆け回っている。
 桔華の方も桜花の発句の手伝いなどしていたし、母屋に篠ひとりが寝食をともにし始めたという以外は、大きな変化もない。

 17歳になったばかりの篠は、まだ少女のような無縫さを残していて、白い肌に薄つきの化粧がまだその肌になじんでいないのか、妙な艶めかしさになっている。
 口数も少なく、いつもうつむき加減に肩をすぼめている。良家の箱入り娘であったはずの篠は、慣れない細腕の袖をたすきがけて、朝早くから夜遅くまで炊事、家事、そして桜花の元を訪れる門下生たちへのもてなしなどを懸命にこなしていた。古月を知る古い門人たちに「あれにはもったいない器量やな」とからかわれて、顔を真っ赤にしておずおずと退席する篠。彼らは桜花にぴしゃりとたしなめられるのが常であった。
 そんな篠は、桔華にだけはよく懐いた。

「桔華姉さん」

 ともすると消え入りそうな儚い少女の声が、ぴりりと桔華の呵責を刺激する。少女は葡萄のような漆黒の瞳を桔華に向けていて、桔華の視線に己へ関心を認めると、人知れず胸をなでおろしたような安堵の色を浮かべる。

「桜花様に竜胆の蒔絵の入った筆入れを持つよう言われたのですが、どこにあるのか教えていただけませんか」

 触れれば音を立てて割れてしまうのではないかと思うほどに健気な少女。頼るものもいない心細さの中に打ち震えるその姿にかつての自分を投影した自覚はなかったが、桔華はいつしか、北条の家の中でも篠を自分に近しい身内のようにいとしく感じるようになっていった。



 方々との折衝でほとんど家にいない古月だったが、三カ月に一度ほどの頻度で京都に帰っていた。
 休暇というよりも、いわば「質」として輿入れした豪商『居ず奈』の一人娘をいつまでもほおっておくなという――つまりは早く世継ぎを成せという――両親や義理の両親からの催促もあって、さすがの古月もそれを無下にできないというふうなものであった。彼が京都に帰ってくるというときには、古月は必ず、本家に帰るという時宜よりも早く、桔華に連絡を寄越してくる。そして古月は狂うばかりに桔華を抱き、そして桔華もまたそれを望んだ。かれの迸るような熱情はやがて桔華に罪の意識すら薄れさせ、古月もまた、何知らぬ顔で篠との順風な夫婦生活を世間に呈していた。 そうして二人の不義が誰に見咎められこともないまま、一年の月日が流れた。

 その春、篠は第一子となる長女を生んだ。

 名前をゆゑ。安らかな寝顔をたたえて眠る小さなゆゑを抱く篠の顔は、いつのまにか少女のそれから大人のものへと変化していた。ずっと軋み音を響かせていた北条家の久しぶりの朗報に、周囲は沸いた。

「中国語で『月』。おれの名前からとったんよ。仮名にしたのは、女の子らしゅうやわらかい印象にしたほうがええっちゅう篠の意見や」

 桜花のサロンで顔なじみにそう吹聴している古月の顔は、桔華の知るどのかれよりも眩しく、そしてそれは桔華の心に大きく響いていた。
 大人びた篠。その成長ぶりは、この一年身近にいた桔華が一番理解しており、なにより望まれた長女の誕生は心から嬉しかった。

 篠の知らない古月の顔。
 古月の知らない篠の顔。

 そして、桔華の知らない二人の顔――。


 

 収拾のつかない心境を押し隠そうとする桔華の背中を冷たい視線で見つめる、一つの影がある。 
 最上朔子。桔華と年の変わらない、腹違いの姉である。

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2011/06/12(日)
4、祭りのあとに

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