桜花往生

kanayano版日本近代史。

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2011/05/25(Wed)

祭りのあとに(6)

 大通りから小さな路地に入ったこみちに面している茶屋の出窓からは、大通りの賑々しさと対照的な小路の暗がりがはっきりと見て取れた。22時を回る頃になっても桔華の視線の先を大山車が通り、太鼓の音、若衆の掛け声とともに歓声が沸く。一方で、祭りで逢い引いたらしい男女が、身を寄せ合いながら小路の暗がりに消えていく。
この祭りを契機に見知った仲なのだろうか。もしかしたら今夜限りかもしれぬその縁を、彼らは今宵、如何様にして紡ぐのだろう。

 それを見送って、どうして自分は来てしまったのだろうかと自問してみる。古月の手紙は、自分への熱情を押し隠すことなく伝えてきたとはいえ、当の桔華はそれを古月本人の口から聞かされたわけではない。かれの書き送ってきたものを、自分は自分の都合のいいように解釈をして、えもいえぬ夢想などをして、自分を慰めていただけに過ぎないのかもしれない。

 廊下にあるらしい時計が22時を告げた。今朝方から地に叩きつけられるような絶望にさいなまれ、夕方に差し伸べられた不意な希望に桔華の感情は押し乱れ、もはや疲れ切っているようだった。時計の音に転寝を覚醒させられて、桔華はあらためて懐中時計を取り出し、そして小さくため息をついた。何を期待していたのだろう。思えば最上の家でも妾腹の自分は、器量が特別よいわけでも聡明というわけでもない自分が、古月より好意を寄せられることがあろうはずも無かった。すべて妄想の中の話だったのだ。

 桔華はストールを掴むなり立ち上がった。勢い襖を開けようと手を掛けるところで、襖のほうが先に開いた。
 古月が肩で息をしていた。驚いた桔華がその場を動けずにいると、少し息を整えた古月が桔華の顔を覗きこんでにっと笑った。

「よかった、待っていてくれたんやな」

 相変わらず桔華は返す言葉が見つからない。これも自分の妄想の中の出来事なのだろうか、そんなことを考えるより早く、「めっちゃ走ったわぁ、今夜も暑いのう」などと言いながら古月は部屋に入り、襖を閉めた。かれは勝手に窓際に陣取ると、帽子と着ていたスーツの上着を脱ぎ、シャツのボタンをいくつか外した。桔華は古月の上着と帽子を受け取ると、それを立屏風へ掛け置いた。
 
「お疲れ様です」
「祇園さんやなあ。今夜のことが無ければ、お前と山鉾、見に行きたかったんや」

 桔華は、古月に体面するように膝を折っているが、どうにもかれの顔を見ることが出来ない。古月も相変わらず手扇のまま、視線は大通りの山車に向けているようだった。

「嫁さんに会ってきたんよ」
「『居ず奈』の篠さんですね」
「ええ子やった。しかし、わいにはちょっと、若すぎるんやないか。こないな根無し草、篠さんがかわいそうや」

 桔華は微笑した。まるで他人事だ。あいかわらず自分に頓着しない2こ上の従兄弟が、桔華にはたまらなく愛しかった。
 女将が水と酒を持ってきた。古月が昇りがけに声を掛けてきたらしい。控えめな声で「失礼します」と聞こえて、相変わらず愛想も無く去っていった。「無粋はしない」とその顔に書いてあった。
 古月が水を一気に飲み干すをの待って、桔華は銚子をかれに勧めた。グラスを杯に持ち替えた古月はそれを受け、ひとのみで干した。

「一年ぶりか」
「そうですね」
「変わりはあらへんか」
「変わりありません」
「そうか、そら、ええことやな」

 半分夢心地でかれの声を聞きながら、「らしくない」古月とのなんともいえぬ微妙な距離が、以前とは異なることをもどかしく思っていた。
 自己慢心かもしれない。そう思う気持ちが半分。幼い頃より、貧しい北条の家計を支えるべく一人、豆腐屋で懸命に働く古月を覚えている。かれのあどけない笑顔も、裏表の無いその言動も、いつしか心の支えとして桔華の目に映っていたのだった。それをおのずと胸に抱くより早く、かれが自分に向けた気持ちを明かしてくれた。己が誰かに必要とされることのこの満たされた気持ちを、幸せといわず何とよぼう。この打ち寄せる穏やかな波間のような至福感を、桔華は今、この瞬間まで覚えたことは無かったのだ。
 銚子を差し出した桔華の細い腕を、古月が掴む。二人が視線を合わせるより早く、桔華は古月に腕を引かれ、銚子が音を立てて床に転がった。背中に回された腕はガラスでも抱くように柔らかく、そして恐れるようにそっと触れた。古月のワイシャツの上に耳をつける格好で桔華は彼の心音を聞いた。遠くでは微かに、祇園のお囃子が鳴っていた。

「いいわけ、いろいろ考えたんや。せやけど、なんにも思いつかへんかった。あのな、おれは、お前のことを考えていると、心がふわっと、軽くなるんよ。耕三郎に出会ったあの夜、お前がふとおれの目の前に現れて、悲しげな顔で、笑うたんや。おれはな、このことが、どんなに幸せで、どんなに大切なものなのか、あの時ようやく分かった。なあ桔華、おれはいつだって、お前のことを考えているんだよ。お前に触れたい、この腕に抱きたい。ああ、どうしたらお前に分かってもらえるやろか。おれは今、どうしようもなく幸せなんやということを」

 桔華の髪に触れる手が、優しく撫ぜながらも次第に力が入っていく。息も出来ないような鼓動の高鳴りと古月の強い抱擁に桔華は身も心も窒息してしまいそうな心地だった。

「桔華」

 桔華は返事をしなかった。

「なあ、桔華」

 嗚咽を飲み込むことで、桔華はかれへのさまざまな責めの言葉を飲み込もうとした。飲み込めば飲み込むほど、ぼろぼろと涙が溢れてきた。

 二人の影が、鷹揚の伸縮を遂げるうちに、一つとなった。

 

 遠くで、トントンチキチキと、祇園囃子が聞こえている――。



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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。


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