祭りのあとに(3)

「大きな交戦の前夜だというのに、おれはすっかり気持ちが萎えてしまった。外に出たときはもう一面が白く染まっていて、樹も草も無いのっぺらぼうの原野が一面塗りたくったような白さというような有様だった。野営のところどころはまだ明かりがついておった。消灯は2100。おれが勢い、外に出てきてしまったのは夜の八時を少し過ぎたぐらいの頃やった」

 見張りの年若い兵に「お疲れィ」と声を掛けたところで反応は無かった。特段意中にすることなく、古月は人目の無いところを探して小用をするつもりだった。外套一枚では寒さが骨の髄まで浸透してくる。決まりは悪いが、戻ってさっさと寝てしまえば、さっきの連中とも顔をあわせなくてもよい。

 商売。本当にそうだろうか。会社の利益のために、自分は明日、自分の命を危険に晒してまで戦場にあらんとするのだろうか。
 同行したところでどうとなる。兵力の一端を担うわけでもない自分を、どこの将校が面倒見てくれるというのだ。放尿した呆け頭にぼんやりとそんなことが浮かんだが、それ以上考えたところで最善の方法など思いつくはずも無かった。古月はいつも、自分がこれだと決めたことを貫くことで結果を出してきた。行動する前からその根拠など考えたことも無かったが、そのときはなぜかよく見知る一人の女の顔が脳裏を過ぎった。その瞬間に古月は「あっ」と口にして、頭を抱えた。

 そうか、そういうことやったんか。
 
 女の顔はいつも不安げに俯いていた。学校帰りに古月のところに豆腐を買いに来ては、その睫を少しだけ上向かせて、儚げに笑う。瞳に込められた鈍い光は、本当は最上のどの姉らにも決して劣らない器量と、そして明晰さを物語っていた。だから古月は彼女を、祖母、桜花に言って聞かせたのだ。

 桔華は、おもしろい女やよ。

 便箋は八枚目に入っている。
 桔華は刮目しつつ、彼の筆跡を追っている。なぜ自分の名前が出てきたのか。これはつまり、古月は何を言いたいのか。
 小さな胸が脈打つ鼓動を伝えてくる。便箋を持つ手が震える。

「急に目の前が開けたような妙な陽気と、湧き上がる溶岩のような衝動。今にも踊りだしたいような叫びたいような妙な心境になり、粉雪舞う中に男一人が闇の中でただひたすらに狂人だった。人気が無いことをいいことにおれは何度も何度もお前のことを頭の中に描きながら、交わした言葉の一つ一つを、その挙動の一投足を、そして首筋に覗く白い肌を夢想しては身震いをしておった。わかるか桔華。おれは自分という存在の、本当に生きる意味を見つけた。そしてそれが、どんなに喜ばしくて、素晴しいものか!!」

 狂乱した男の歓喜に水を刺したのが、例の若い将校だった。人目も無いを大の男が手足を振って夜空に吼えているところを、嘲笑することも無く、ただ石のようにその様子を見ていたということが、当人にとって最も屈辱ともいえる応対ではなかったか。古月は体中が火照っているものが急に醒めていくのを感じながら、若い将校の挙動に耳目を動かした。かれは古月の存在に気がつき、ちょっと視線を彼に投げただけで、ふいと古月の横を通り過ぎようとした。

「ゆ、雪になりはりましたなあ!」

 このままではいられない、いや何にあわてる必要は無かったのかもしれないが、古月はこの場を取り繕わなければならないような気がして、将校の背中に声を投げた。

「清国側も、いつ河を越えられるかとやきもきしている頃やろうなあ!」

 古月の乾いた笑いが夜空に木霊した。将校はちらりと振り返っただけで、後はすぐに進行方向に振り返り、すたすたを歩みを進めた。
 ここまでくれば、古月も引き下がるわけには行かない。すぐにその若い将校の後を追って、「舎人中尉殿、わい、あんたと話をしてみたいと思ってましたのん」と強引に食いついた。


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2011/04/03(日)
4、祭りのあとに

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