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陸奥湾を抱く街(9)

 朝早くから桟橋で座り続けて半日もたったころ、オヤジの舟が帰ってきた。
 和葉と兵衛は立ち上がった。船員たちが上陸の準備を始めている。オヤジは彼らに檄を飛ばしながら、桟橋の子ども二人に気が付いた。 兵衛はオヤジの視線に気が付いた。しかしオヤジは視線を2人から外し、舟の作業に戻った。

 やがてオヤジたちの舟は桟橋につけられ、今日の漁獲とともに男たちが舟を降り始めた。男たちは和葉と兵衛とすれ違いざまに「お迎えかぃ~」「滑るどぅ、気ぃつけよぅ」と声を掛けてくれた。和葉はそれに一顧だにせずにオヤジの行動から目を離さない。

 男たちが陸に上がっても、オヤジは舟の中で作業をしていた。一人になったのを確認して、和葉と兵衛は船に近づく。兵衛が和葉の服をひっぱって、やっぱりやめようというのだけど、和葉はやはりそんなことはお構い無しに「川代のオヤジぃ!」と舟に向かって叫んだ。

 オヤジは和葉の声を聞いてか聞かずか、船内での作業を一通り終えてからのっそりと桟橋に上がってきた。太陽を背に背負って大柄の身体をゆっさりと動かすその様は、兵衛がマタギの祖父から聞いた、森の主ともいう巨大なヒグマのようにも見えた。

「おめど、なあしてこったどごにいるんず」
「オヤジさ会いにきたして」
「この桟橋さばわらすだげで近づけばなんねって言われながったがして」

 オヤジの細い目がぎらりとこちらを向いた。兵衛はいいようのない恐ろしさに駆られたが、和葉が何も言わずにオヤジを見上げていたので、彼にしがみついて辛うじてその場に踏みとどまった。

「聞こえながったが!こごさばわらすだげで来ればなんね!足場悪ィして滑って海さおじれば、こごだば深度があるして、自分どだげだば上がれねのよ!わがんねえが!」

 兵衛は縮み上がってしまった。オヤジの前に飛び出し、「すいませんもうしません」と三回もお辞儀をして、和葉を引っつかんで走り出した。気が付くと桟橋から遠く離れて、学校の近くまで来ていた。ようやく立ち止まって、二人で肩で息をした。

「今でも、あの時のじいさまの声を思い出すだけで、おっかなくて縮こまってしまいそうになるんですよ。でもこのときに和葉が言ったことが忘れられない。こいつは大物になるんだろうなって思ったのす」

――オヤジは間違ったこと、言ってながった。おらどが悪いごどしたがら、怒ったんだ。

「それからね、オラと和葉はオヤジのところに通うようになりました。ああもちろん、桟橋には近づかないようにして、浜辺からオヤジの帰りを待つんだけんども。オヤジは寡黙で口下手でしたが、今日獲れた魚の種類だとか見分け方、いい釣り場の探し方だとか、海のことをさまざまと教えてくれました。そうしているうぢに、オヤジは天気がいい日を見計らって、オラと和葉を海へ連れ出してけだ。オヤジの息子ど仲間だぢが漕ぐ舟コさ乗ってせ、きらきらど光る陸奥湾さ出だのせ……」

 兵衛はまるでそれが今、自分の目の前にあるように、あるがままにゆったりと語っている。穏やかな抑揚の下北の言葉が、兵衛の物語る「きらきらど光る陸奥湾」を、桔華の目の前にも提示してくれる。 
 刺すような太陽の日差しも心地いい。青く澄んだ海は時折白い波をひるがえして、小さな来客を歓迎してくれる。オヤジを船頭に、海の男たちが威勢のいい声を上げながら櫂を漕ぐ。海を行く船の先頭には少年が二人、船から身を乗り出している。

「陸奥湾はこの痩せた下北の大地にたくさんの恵みをもたらしました。マグロにタラ、イワシ、ホタテ、昆布、ナマコ、それだげでないして、海の道を通って上方の物産やら蝦夷地の交易品がやってきた。下北の木材を切り出して、銭コ(ジェンコ)さもしてけだ。オヤジが海を教えてくれたから、オラも和葉も漁師さなった。何度か怖い目にもあったけど、オラは今でも、この内海が大好きなんだァ、この真っ青な広がりを見ていると、海端さ生まれでいがったなど思うんだ」

 この朴訥な青年は、心の底から海を愛しているのだろう。現在は安部城で炭鉱堀りをしているが、心のどこかでまだ海に対する情熱を捨てきれずにいる。

「海には戻らないのですか」
「戻らないと思います。和葉が、もう海は嫌だって」

 先ほどのたえの話を思い出した。晴子が海に身を投げようとした話。

「そうですか」
「いやね、情けない話ではあります、友人が舟を降りるというから自分も降りただなんて。オラは、昔っから意気地が無いんです。何をするにも和葉の尻ばっかり追いかけてきたというのに、あれが兵隊に行くと言ったときばっかりはオラは行がれねって。晴子さん一人残して何が御国のためだって言っても、結局は自分が兵隊に行きたぐねがっただけのごどかと思うと、情けなくて情けなくて……」
「兵衛さんは、晴子さんのことを大切に思っていらっしゃるのですね」

 兵衛が驚いたように顔を上げた。

「と、と、と、とんでもねぇす!オラさは妻も子どももいるして!ただ和葉が、兵隊さ行ぐ前に、晴子さんのこと宜しぐ頼むってへったして、様子ッコば見に」
「晴子さんは、そうして気に掛けてくださる兵衛さんをとてもありがたいと思っていらっしゃいますよ」

 桔華はそう言って微笑んで見せた。兵衛は照れながら頭をかいて、日に焼けた顔をくしゃりと綻ばせた。そうこうしているうちにたえがやってきて、「兵衛さん、今日の葬式さ行がないのえ!」といって尻を叩いた。兵衛は「桔華さん、このことば、誰さも言わないでけろ」とこっそりと耳打ちをして帰っていった。桔華は苦笑してその背中を見送り、たえが夕食の準備をしている間に、店を閉める準備を始めた。


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2011/03/25(金)
3、陸奥湾を抱く街

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