桜花往生

kanayano版日本近代史。

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2011/03/23(Wed)

陸奥湾を抱く街(8)

 声の主は菊池兵衛だった。
 
 もうそんな時間かと桔華は時計を振り返り、下駄をつっかけて表に出ると、日焼けた顔が炭鉱の炭で真っ黒になった、あどけない顔が一つ、そこにあった。

「おかえりなさいまし、いま晴子さんからの頼まれものをお持ちしますから、どうぞ中へ」

 兵衛は愛想いい顔で頭を下げると、背中の荷物を降ろし、店の中に入った。
 桔華は冷たい麦茶と、晴子がいつもそうするように水で濡らした手ぬぐいを持って、上がり場に腰掛けている兵衛の隣に座った。桔華が手ぬぐいを渡すと兵衛は照れくさそうにはにかみながら、礼を言い、顔と首、それから手と足の裏などを拭いた。よく日焼けした肌だったが、華奢な体つきである。晴子に妻子持ちといわれなければ、少年と見間違うほど、歳を取らない顔をしていた。

「これ、晴子さんから川代のおじいさんのところのお香典です」

 兵衛は「確かに受け取りました」と言って、桔華から香典を受け取った。水引の下には「和泉 和葉」と流麗な文字。晴子の手によるものだ。

「先方にくれぐれもよろしくと申しておりました」
「ご丁寧にありがとうございます。川代のじいさまには、オラも和葉も、ずっぱど叱られだものでした」

 脇野沢村のの小沢という地区に住んでいた兵衛は、幼い頃から身体が弱く、よく近所の子どもらに苛められていた。和葉は、脇野沢の尋常小学校に田名部から転校してきたばかりで友達も居らず、学級のなかでも身なりも小奇麗で本ばかり読んでいるような優等生。なかなか友達も出来なかった。
 ある日、兵衛が浜で子どもら五、六人に囲まれ、木の棒で殴るだの蹴るだのされていると、そこに和葉が通りかかった。相変わらず本など読みながら歩いているので、兵衛らの取り巻きに気が付かなかったのか、その中の一人にぶつかってしまった。大将格は激怒した。和葉をやっちまえ、ということになった。

「本を置いてくる。待っていてくれ」

 といって和葉は本当に本を置いてきた。本人はさあやれと声を上げるのだが、悪ガキ連中はどうにも納得がいかないというような顔で、それぞれ悪態をつきながら帰っていった。残された兵衛は何がなにやらわからないままぽかんとしていたし、和葉は「なんだ、やらないのか」とこちらも納得がいかないような有様であった。
 
 お互いにはぐれものという共通項があったからだろうか、その日を境に二人で行動することが多くなった。和葉は田名部から来た『都会もの』であり、その読書量もあってものをよく知っていたが、なんでも自分の目で確かめないと気がすまない性分のようだった。あるとき、近所でおっかないと評判の川代のオヤジが、どれだけおっかないのか確かめに行こうということになった。川代のオヤジは、その父親も祖父も漁師で、本人も十三歳になる頃から海に出て漁を手伝うようになった。そのころは一つの漁協を仕切るようになっていたから、歳の頃は五十を少し出たくらいの、脂の乗り切った男盛りだった。三十年以上の長きにわたって陸奥湾に晒した肌は頭皮から足の裏まで赤黒く日焼けており、愛飲した煙草のやにが白い歯に黄色くこびりついていた。  
 悪ガキ連中が、陸に干されているオヤジの舟を遊び場にしていたらしく、天地が割れんばかりの怒号で叱りつけられ、丁寧にそれぞれに大きな拳骨もいただいてしまった。それ以来、脇野沢の子どもたちの間では川代のオヤジはおっかないということで知れ広がった。子どもたちが喧嘩すると「したら、川代のオヤジさ言いつけるど!」という具合に。 
 
 怖いものとは知りながらも、怖いものを知らない和葉はどんどんとオヤジのいる小浜の浜辺へ向かう。兵衛は何度も、「やめようよ」と止めるのだけれど、和葉は「ならばおれ一人で行く」「オヤジがどんなものか確かめたら、お前にも知らせてやるから」と言って聞かない。和葉は言い出したらそれを曲げることも止めることもしない。転ぼうが邪魔が入ろうが真直ぐに突き進んで行って、後はなるようにしかならないのだ、と子どもながらにそう言ってのけるようなところがあった。
 浜辺には漁船や商船が船着場として利用している河口があって、そこは大人の介添え無しで子どもだけでは近づいてはならないという事になっている。しかし、そこを通り抜けて船着場でオヤジが漁から帰ってくるのを待っていないと、今度はいつオヤジを捕まえられるか分からない。

「和葉ちゃん、ここは危ないよ、オヤジの家の近くで待ってようよ」
「いやだめだ。ここで捕まえないと、オヤジはいつも大人たちに囲まれていて話しかける機会が無くなってしまう」

 すっかりその気の和葉に、取り付くしまも無い。兵衛はおっかないのと心細いので何度も心が折れそうになりながら、ただひたすらに海を見据え、オヤジの舟の帰りをまつ、和葉の強い瞳をじっと見入っていた。


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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。


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