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陸奥湾を抱く街(4)

「最上は私ですが」

 桔華が名乗り出る。晴子が先立ち、男から名刺を貰った。「あらまあ青森から。わざわざご苦労様です」と言って、男を奥の座敷に通す。桔華もそれに従った。晴子は麦茶を用意するといって台所に立ち、加藤を上座に座らせ、桔華は向かい合って下座に膝を折る。加藤は桔華にも名刺を渡す。『東奥日報社 新聞記者 加藤 国和』。

「実は、文芸欄を新設することになりまして」

 その選者を探しているのだと言う。新聞代の集金に河野宅を訪ねたところ、桔華の話を聞いた。それでこちらまで足を伸ばしたとのこと。
 東奥日報は青森県内各地に配達されている。明治末期、遅くてもその日の午後までには当日の朝刊が配達されるよう手配されている。新聞の集金は各地の、本社から依託されたものが行い、その委託先に、本社の社員がまとめて集金に出向く。
 晴子が麦茶と羊羹を運んできた。「いやはや、ありがとうございます」といって加藤は麦茶に口をつけた。喉を鳴らすようにひと息で飲み干した。この炎天下を歩いてきたということだから、よほど水分が欲しかったのだろう。

「正岡子規や石川啄木の流行もあって、昨今は短歌・俳句の創作人口が増えつつあります。当社でも、青森懸の文化水準向上の一翼を担うべく、文芸欄を新設することとなりました。学問とは本来、男のするものというような風潮もありましたが、今は国民が平等に文字を読み書きできることが求められる時代。しかしそうとはいっても、青森の農村部では、家の手伝いなどで学校に通えないものも少なくない。そういうものたちにも気軽に親しんでもらえるよう、選者は、やわらかな語り口のできる女性にお願いしたいと考えていたのです。最上先生、いかがですか」
「先生なんてとんでもない、私はまだ修行中の身でして」
「日本は、遠く平安の御世から女性が文学の先端を担ってきています。紫式部、和泉式部、もっと源泉をたどれば、古事記の語り口は稗田阿礼という女性だったという。最近でも与謝野晶子がなんとも艶かしい歌集を発表して話題となりました。あとは北条桜花」

 晴子がこちらに目配せをしている。桔華は軽く咳払いをして加藤に向き直った。

「今、故あってこちらを仮の宿とさせていただいておりますが、いつまでこちらにいられるかわかりません。それでもよろしければ」
「もちろん構いません、それでは引き受けていただけるのですね」

 いやよかった。青森に縁のある女流歌人というのはなかなか見つからなかったんですよ。加藤はほっと胸を撫で下ろしたようで、先ほどまで緊張気味だった顔を綻ばせた。では、いただきますといって羊羹を一口で口の中に押し込むと、まだ飲み込むより前に携えたバッグから茶色い封筒を取り出して、桔華の前に出した。九月の上旬に取りに来るので、それまでに天地人評価で五首ほど選び、それに評を添えて欲しいと告げると、それでは船の時間がありますので、といってあわただしく去っていった。直ぐに立ち上がれない桔華に代わり、晴子が玄関までお見送りをした。

「もちろん、無理をしてはいけませんよ」

 戻ってきた晴子が桔華に釘を刺した。桔華は苦笑して頷いた。茶封筒の中から、読者からの力作を取り出す。しばらく人の作品に触れていなかったが、瑞々しい感性に自分の創作意欲が刺激され、歌を詠みたい思いが込み上げてきた。
 晴子が奥からどっさりと雑誌を持ってきた。彼女の腕に一抱えもあるようなその分量は、「ホトトギス」「白樺」「明星」に「のはら」。その中には「一握の砂」「みだれ髪」などの歌集も混じっている。

「主人のものですが、参考になるかしら」

 これだけの雑誌を目にするのは桔華も久しぶりだった。仙台の下宿を出て以来、北上してくるにしたがって、貸本屋にも最新の雑誌が無いことがほとんどだった。

「ご主人は、歌をお詠みになるのですか?」
「歌というよりも、学問が好きなのです。新聞も、主人が読んでいたものなのよ。なんでも知りたがりなの」

 こうして、大量の雑誌と、選歌の仕事を桔華に残し、翌々日、晴子は供とともに仕入れに出かけていった。
 桔華は店を開き、陳列物の埃を払うと、いつものように上がり場に腰掛け、たまに往来に目をやりつつ、雑誌と応募の句作を行ったり来たりしている。


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2011/03/11(金)
3、陸奥湾を抱く街

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