桜花往生

kanayano版日本近代史。

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2011/03/09(Wed)

陸奥湾を抱く街(3)

 八月上旬。和泉家の裏山ではセミがじわじわと鳴いている。
 
 時折、開け放した店の玄関から吹き込む風が風鈴を揺らす。体を起こすことを許された桔華は、晴子とともに店番をするようになった。
 桔華さんが店にいてくれて助かるわあ、これで家中の大掃除が出来るわね、と晴子は奥でばたばたと作業をしている。桔華は、最上の家では掃除洗濯炊事をこなしていたため、得意分野なのであるが、血の疼くままに晴子に手伝いを願い出ると、「お店番、しっかりとお願いしますよ!」と笑顔で断られる。そういうことをもう一ヵ月も繰り返したので、座敷の奥からどたどたと聞こえる物音に少し気をやりつつ、桔華は店の上がり場に腰掛けて、ぱたぱたと団扇で扇いでいる。

 上がり場に雑記帳を広げて、壁に背を預ける。打ち水、夏袴、うみねこ、海岸沿いの干し烏賊と、思いつく詞をつらつらと雑記帳に書き連ねた。店の影は外の日向とくっきりと明暗を分けており、道行く往来の人々の額に汗が滲んでいる。りりんと風鈴が鳴り、ぱらぱらと雑記帳の新しいページがめくられた。桔華は物憂げに外に顔を向けている。

「桔華さん、少し休憩しましょう」

 晴子が剥いた桃を盆に乗せてきた。暑さと気だるさで食欲のない桔華には、とても魅力的な白さと冷たさ、そしてやわらかさだった。
 桃は、晴子の実家から送られてきたものだと言う。実家は三戸の名川の農家だと晴子は言った。

「ここは浜所(ハマドコ)でからっとしてるんだけど、京都の夏はきっともっと暑いのでしょうね」

 晴子も店の上がり場に腰掛けて桃をひとかけら、口に入れた。桔華は笑って頷いた。行く人がこちらに気がついて会釈し、通り過ぎた。晴子は大きく首を振って応え、桔華もそれに倣って頭を下げた。

「ああそうだ。私、明後日から二日ほど家を空けるんですよ。脇野沢に仕入れさ行がねばならなくて。お食事などは河野のたえさんにお願いしていきますから、お店番だけお願いしてもいいかしら」
「ええ、構いません。泊りがけなんですね」
「行くだけで半日掛かりますからね。あと、主人のご両親にもごあいさつしてこなければ」

 晴子は感情を上下させることもなくそう言い、また一つ桃を口に運んだ。江戸時代でいう西廻りの航路は、京都から陸路、小浜に至り、輪島、佐渡、秋田、鯵ヶ沢、青森から脇野沢に寄港する。青森から太平洋を南下する東廻り航路が出る。瓦解を経て、明治の代に至っては、その航路を三井や三菱、そして北条の商船が引き継いでいた。

「北条?」
「ええ、そうです。大阪の問屋なんだけど、社長さんが京都の方だとかで、上方の方の品物が欲しいときはそちらにお願いするの。京都の職人さんは、一見さんに品物を卸したりしないところも多いから、『北条』の顔の広さには本当に助かっているのよ」

 古月のあの人懐こい顔を見るような思いがした。そういえば、篠の出産は七月だと言っていた。四月に仙台を出て以来、心身ともにばたばたしてしまい、顔を出すどころか、文も出せずにいる。
 
 桔華は、自分の腹をさすった。まだ腹は膨らんできておらず、体がだるいと言う自覚症状以外は母親になると言う実感もない。旦那になる人間が近くにいて、こどもを授かったことをともに喜び合えば面持ちは違うのだろうかとちょっと考えてみたりしたけれど、いろいろ理由を考えあぐねなければ人一人を産むのだという自覚をもつこともままならない自分の母親としての甲斐性の無さに、ため息が出た。
 こんな自分を、母親と呼べるのだろうか。

「こんな自分が、母親になるのかしらと考えていらっしゃる?」

 晴子は桔華の顔を覗きこんだ。桔華は言い当てられてどぎまぎし、その顔色を見た晴子が「心配よねえ」と続けた。

「誰だって初めは不安なものよ。でも時がたつと、おなかの子供が語りかけてきてくれるの。『はじめましてお母さん。ぼくもこどもがはじめて不安です。だから一緒に頑張ろうね』って。それが聞こえた瞬間にね、ああそうよね、お互い初めてなのよね、でも私のほうが人間としては経験があるのだから、しっかり守ってあげなくちゃって自然に思えてくるの。母親としての自覚なんて、そんなだいぞれたものではなくて、子を愛おしいと思う気持ちが、自然とあなたを母親にしてくれるものよ」

 だから心配しないで、と晴子は言った。晴子は辛巳の生まれなので桔華より三つ年下であるが、その語り口も物腰も、桔華のそれよりもずっと含蓄のあるもののように思えるのだ。一ヵ月ともに過ごしてきたが、晴子に子どもがいるという話を聞いたことが無い。母体に無理をかけまいと桔華を気遣う様子は、実家で見聞したものなのだろうと思っていたが、やはり核心を晴子に聞けないままでいる。

 ごめんください、と尋ねてきたのは、三十歳をすぎたあたりの書生風の男だった。暑かったと見え、顎から首筋にかけて汗をかいており、開襟シャツの胸元がびっしょりと濡れている。黒いスラックス、裸足に草履。首元をハンカチで拭うような素振りをし、晴子を見て頭を下げた。

「東奥日報の加藤といいます。最上桔華さんはご在宅でしょうか」


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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本文中で中国語、ハングル、英語等の表現がありますが、作者の過小な語学力で作成しているため、ネイティブのものとは大きく異なる場合があります。ご了承ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。


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