スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
web拍手 by FC2

--/--/--(--)
スポンサー広告

陸奥湾を抱く街(2)

「弘前の第8師団は、後備に配されて辞命を待っているそうだから、今はまだ戦場には出ていないそうよ。前線で戦ってくれている兵隊さんには申し訳ないけれど、このまま何事もなく、帰って来てくれればいいなって思うのだけれど」

 晴子は自分の夫の戦場での様子を、新聞で見聞しているといった。実際、そのような理由で新聞を購読し始めた家が多くあると晴子はたえに聞いたという。桔華もちらりと承俊のことを思い出した。四月、まだ仙台にいた頃、留学生たちが意気を上げていたことを思い出す。『日本がロシアとの初戦に勝った!アジアの小国が欧米の大国を破った!』街道にばら撒かれる号外。国威高揚に熱狂する人々の明るい顔――。

「ごめんなさいね。銃後を守る務めの私が、こんなことを言ってはいけないわね」

 晴子が俯いた。そんなことはない、と桔華は言った。

「大切な人が無事に戻ってきて欲しいと願うのは自然なことです。大丈夫。日本は今、快進撃を続けているそうよ。私たちも頑張りましょう」

 気休めでしかない、と桔華は思ったが、晴子はにっこりと笑ってくれた。本当は心配でたまらないのだ。その笑顔が桔華には辛かった。 二人して手を合わせて「ごちそうさまでした」と言う。晴子がやはりにこにこしながら「ほんだの。私もがんばらねばの!」といいながら勢いよく腕まくりをして、二人分のお膳を下げた。



 それから一週間ほど、桔華は床の中で過ごした。
 起きるのは三度の飯時と風呂の時のみ。晴子がほぼ付きっ切りで桔華の世話を焼いた。
 川内に唯一のひとという佐々木という医者が来て、「様態は落ち着いたようだ」と言った。桔華が頭を下げるより早く、晴子が「ありがとうございます、ああ、よかった、本当に」と佐々木医師の手を取ってぶんぶんと振った。
 
 晴子のこういう、人を拒まない雰囲気が、町の人々の好感につながっているようだった。
 
 実際、晴子の店には、絶えず人が足を運んだ。反物を買いに来るというよりは、晴子と世間話をしに来る。

「晴子さん、昨日な、旦那が裏の八幡宮で酔っ払ってな、石段に頭をぶつけて血まみれになって帰ってきたの」

 昨日見た変の形の雲のことでも、夫婦間の小さな諍いも、晴子に聞いてもらいたいと町のひとは思うのである。陳列棚の奥の、上がり場に腰掛けて、晴子もちっとも嫌な顔をせずに、「あらあ、まあまあ」と何度も深々と頷いている。

 日が傾き、横日が差し込んでくる。
 晴子の店は街道に面しているので、役場帰りの勤め人や、大工、畑帰りの男たちの、俯き加減の背中が往来する。
 街の中心から内陸に向かう街道があって、巨大な銀杏の木を境に西向かうと、安倍城というところがあって、炭鉱がある。
 この炭鉱は、江戸末期に発掘されて以来、尽きることなく炭を供給し続けている。夏も気温が上がらず、土地のやせた下北半島の西通り地区は農作に適さず、古来より狩猟と漁業とそれらを船の往来によって交易することで地域の経済を保ってきた。しかしこの炭鉱が発見されてから、石炭が主要な川内の産業になった。近隣の集落などから、三百人ほどが働きに来ている。
 彼らの中にも、檜山や蠣崎から通っている連中が居て、十人くらいの団体でがやがやと歩いてくる。煤だらけの顔に体格のいい偉丈夫が揃い踏んでいるので、その時刻の名物のようになっている。
 その偉丈夫の中に、体が一つ小さな、少年のような男が居る。
 菊池兵衛という。年は三十になる。年齢よりもずっと幼い顔に肌は赤焼けていて、煤に塗れて顔はいつも黒く、ぼろぼろの股引を履いている。出身は畑という山奥だが、二十歳のときに海沿いの宿野部という地区の女と結婚して移り住んだ。子供も、居る。

「いるかの」
「はあい」

 兵衛はいつも、炭鉱作業の帰り道に、偉丈夫の一団から離れて、晴子の店に立ち寄る。
 晴子もそれを分かって、濡らした手ぬぐいを用意している。「いるかの」とのんびりした声が聞こえると、「はあい」と手ぬぐいを片手に店先へぱたぱたと掛けていく。
 桔華は無粋と承知しつつ、この二人の会話に耳を欹てている。

「新聞見たかの」
「見ましたよ。川代さんとこのおじいさん、亡ぐなったって。通夜さいがねばの」
「行ぐんだば、寄るして」
「したばって、その日牛滝に仕入れに行がねばならなくて。香典お願いするがの」

 近隣住民の動静が大半である。
 それにしても毎日である。炭鉱は日曜日が休みだから、午前で終わる土曜日にも、帰り際に晴子に顔を見せている。
 とうとう、桔華は晴子に聞いてみた。

「あらいやだ、そんなんじゃありませんよ」

 あの人懐こい笑顔で桔華に手を振りながら、晴子は言った。兵衛は和葉の友人で、彼の出征以降、自分を気に掛けてくれているのだ、と。

「そんなに落ち込んでいるかしらね、私」

 あの人の目がそう言っているのよ、と晴子は俯いた。力無くうな垂れた彼女の首筋の健康そうな肌色が覗く。桔華は晴子の気持ちによりそうようにその手を取り、「無理しないで」と言った。晴子はやはり例の力ない笑顔で、「ありがとう」と言った。桔華はそれ以上何も言わなかった。


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
web拍手 by FC2

2011/03/02(水)
3、陸奥湾を抱く街

| ホーム |
Page Top↑
▲ Page Top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。