桜花往生

kanayano版日本近代史。

2011/02/26(Sat)

陸奥湾を抱く街(1)

 *****


 急に差し込んだ強い日差しに目が覚めた。
 ガラガラガラと雨戸が開けられた。「ああ、起こしてしまいました?おはようございます!」と、晴子の血色のいい顔があった。

「ああ、だめだめ、いま起こして上げますから」

 桔華が起き上がろうとすると、あわてて晴子がそれを制した。晴子は桔華の隣に膝をつくと、桔華の背中に手を添えて、上体を抱え起こした。自覚症状としてはそのくらいは自分で出来ると思うのだけれど、晴子は「油断は禁物。無理をしては駄目よ」と釘を刺した。

「今、朝ごはんをお持ちしますから」

 時計を見ると朝七時前。
 開け放たれた中庭から、七月の心地よい風が吹き込んできた。

「いるかのぉ」
 
 と玄関で声がした。年配の女性。桔華が声を掛けようかどうか迷っていると、台所から晴子が、「はぁい!」とワンテンポ遅い返事をした。どうやら朝刊が来たらしい。

 和泉家に届く新聞は『東奥日報』である。
 
 明治十年の北斗新聞に始まって、青森新聞、青森新報、と名称を変え、明治二十一年に『東奥日報』となった。青森の県紙。タブロイド版四頁で、五段に二十字。一面には青森県議会の様子や大陸での戦争の詳報が掲載されている。二面に生活情報、三面と四面は新聞広告と求人、葬儀広告。
 東奥日報はこの年、日露の戦役に斉藤武男記者を従軍させている。斉藤は弘前に陸軍第八師団が設置されたときから担当していてそこの初代師団長立見尚文中将と親交が深く、出征の際もそれに従ってついていった。御年五十四と壮健ではなかったが、本人は「行きたい」と本社にがんとして譲らなかった。実際、彼の戦報は郷土部隊の動静を的確に伝え、新聞発行部数の増大につなげている。この当時の発行部数は四千部。大部分が青森市内で発行されて、川内には陸奥湾を横断して青森から船で運ばれてきた。
 川内で新聞を扱っているのは、河野金右衛門という豆腐屋だった。この河野の家は代々大宅(おおやけ)で、青森―川内―大湊を就航する定期船の船主などをやっていたから、東奥日報の本社から新聞の配達を依託されている。朝五時前に青森を出航した船は、下北半島の左端、脇野沢村を経由して川内にいたる。そこで新聞を受け取り、購読者の自宅に新聞を届けた。

 晴子の家には、河野金右衛門の妻が東奥日報を持ってくる。
 名前をたえと言って、えらく晴子をかわいがっている。

「晴ちゃん、来たよ」

 どうやらここが配達の最後らしく、たえはそうして店のほうから晴子に声を掛けて、ちょんとそこで待っている。その声を聞いた晴子が、包丁を握る手を止めてぱたぱたと店のほうに出て行き、まだ半開きの扉をガラガラと開けた。「おはようございます!」「晴れたねえ」「よかったの!」といつもよりも甲高い晴子の元気な声が聞こえてくる。「今日もあっつぐなるよぉ」「んだの」「いつもごくろうさまです!」という晴子の声で二人は別れたらしい。店の残りの雨戸を開けると、今日の商売が始まる。陳列した反物の上の埃除けの布を払うと、とりどりの鮮やかな布地が陽の光を浴びてきらきらと輝く。

「たえさんに筑前煮を頂いたから、これを朝餉にしましょう」

 晴子は桔華に朝刊を手渡すと、そのまま台所に引っ込んだ。桔華は手伝うことを許されていないので、やはり床に入ったまま、東奥日報の一面を眺めている。

 筑前煮と白いご飯に、ごぼう汁、そして白菜の漬物という朝食だった。お膳を前にして女二人で向かい合って食べる食事は、なんともくすぐったいような照れくさいような気持ちだったが、当の晴子は「こうして誰かと一緒に朝餉を食べるのも久しぶり」といって終始にこにこしていた。煮物の蓮根は芯まで火が通っていて、旨い。白菜の甘辛さは白いご飯にとてもよく合った。
 晴子は釣鐘の鍋から汁物をお椀にすくい、桔華に差し出した。醤油ベースの出汁に、ごぼうや人参、こおり豆腐などが入っている。湯気のぼっていて、一口すすると胃に染込んだ。そういえば昨日も何も食べなかった。噛むたびにごぼうから出汁の味が染み出して、それらを噛み締めながら飲み込んだ。

「そうすると最上桔華さん、あなたはおばあさまの言いつけで、歌の研鑽を積むためにたった一人で日本全国を旅していると?」

 まだ具材を口の中に頬張っていたので、「そうだ」と首を縦に二回振った。

「そして、仙台で出会った男と恋に落ちて、その男と別れて、子どもを身ごもっていることも知らずにここまで流れてきた、と」

 ずずっ、と汁を飲み込んで、気持ちも満足でいっぱいになった。晴子が「お代わりありますよ」と言ったので、桔華はお椀を差し出した。二杯目をもやはり美味そうな湯気が上がっていた。

「ご迷惑をおかけします」
「それは気にしなくていいのよ。今は私一人だし。かえって世話を焼く人が居てくれたほうが私も楽しいわ」

 晴子の旦那は和泉和葉という。
 旧斗南藩士の次男坊で田名部に住んでいたが、晴子との結婚を機に川内に移り住んだ。

「今はね、戦争に行っているんですよ」

 日露戦争である。今年二月、ロシアに宣戦布告した。
 村でも何人かの男が徴発された。和葉は自ら志願して、青森の歩兵第五連隊に所属した。

「志願、ですか」
「ええ、お国の一大事に、自分だけ何もしないわけにはいかないからって」

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作者


Author:kanayano
16歳の時に書いた脚本のエチュードを書き連ねています。
かなやのぶ太名義、私生活ブログはこちら

最新記事

目次

※カテゴリは話数降順に並べておりますので、こちらから入っていただければスクロールでご覧いただけます。

■1、発芽―grow out― (65)
1、最後の恋人 (4)
2、北条古巻 (16)
3、少年と少女 (1)
4、はじまりの業火 (15)
5、月下の惨劇 (1)
6、「傾城傾国」 (28)
■2、着蕾―The bud― (54)
1、孝子、決別 (8)
2、青 (1)
3、吉岡輝也の憂鬱 (20)
4、田園都市、春 (18)
5、大陸の覇者※連載中 (7)
■ 番外『陸奥湾を抱く街』 (59)
1、明治37年、最上桔華 (8)
2、わたしの祖国 (11)
3、陸奥湾を抱く街 (9)
4、祭りのあとに (12)
5、裏切りの祖国 (13)
6、「いのち」 (6)
■番外『仮宿の楔』 (16)
1、奇人二人 (7)
2、「めらんこりあ」※連載中 (9)
読者様から頂いたイラスト (11)
from kanayano (9)

「本編」これまでのお話


<「5、大陸の覇者」登場人物>

伊藤 翔
21歳。幼いころに大陸に移住し、10歳の時に馬賊に家族を殺され、連れ去られた。18歳の時に家族の敵の一族を惨殺。現在は牢屋に投獄されている。支那名は梁文山(リャンウェンシャン)。
梁 生高(リャン シャンカオ)
38歳。父親は馬賊の統率者である「当家」梁続山。3年前、翔に父、母、弟を殺された。現在は周辺の「当家」を束ねる「攬把」。
李 爛華(リ ランホア)
23歳。村の青年。当家の一人。翔が村に連れてこられたころからの友人。
楊 和(ヤン フー)
18歳。字は子杏。爛華と同じく、翔を幼いころから知っており、獄中の彼の世話をしている。未亡人。

■「2、着蕾
大正4(1916)年。火事の中で記憶を失った弟・拓真の力になりたいと、自らも陸軍士官となることを決意した舎人孝子。日清両国の裏取引の対価として来日した吉岡輝也もまた、自らの庇護者である陸軍大将白河川修の計らいで、士官学校に入学する。奇しくも、士官学校予科では性別を偽って入学した孝子――雄一郎と名乗る――と同期であった。(1、孝子、決別
大陸進出を目論む帝国陸軍大佐久坂廣枝と、上海で裏を取り仕切る輝也の母親・仙楽弥が手を組んだ。楽弥の店で働く芸妓、宿禰緑子は、拓真と出会う。緑子は拓真に「また会いましょう」と告げて、その場を後にする。(3、吉岡輝也の憂鬱
大正9(1920)年。当代の人気歌人である最上桜花の下で暮らしている北条古巻。父親の愛人でもある桜花に、素直になれずとも平穏な日々を暮していた。身一つで転がり込んできた朝倉千鶴、桜花が朝鮮人街で助けた孫秀英。桜花と古巻の暮らしにも、新たな仲間が加わった。(4、田園都市、春

「番外」これまでのおはなし


2、「めらんこりあ」 登場人物>

舎人 耕三郎
陸軍大尉。27歳。
北条 古月
会社社長。26歳。会社の規模を大きくすべく、奔走している。
山方 明恵
16歳。美人だがめっぽう弁が立ち、家族から「奇人」と呼ばれている。そのせいで家を出た。
北条 篠
古月の妻。21歳。
北条 由枝
古月・篠の娘。4歳。

■「番外『仮宿の楔』
明治34年、東京。近衛師団に所属する舎人耕三郎大尉は、師団長・白河川修の来訪とともに、自分を訪ねる女の存在を知る。耕三郎を出せと叫ぶ女。そこに、耕三郎を知る商人、北条古月が通りかかる。女に帰れと宣う耕三郎。古月は女――山方朝重を連れて、一先ずその場を退いた。(1、奇人二人

おことわり

※当作品は物語のモチーフを実在の事件、人物に依拠していますが、事実関係は一切ございません。

※一部に暴力、流血、性的表現を伴う記事がございます。記事冒頭に注意書きを添えてありますので、閲覧の際にはご注意ください。

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皇国の黒鷲

黒澤修吾の孫であり、吉岡輝也の甥にあたる、黒澤一臣総理が担う平成日本のかたちとは。緒方順様と共同制作です。