陸奥湾を抱く街(1)

 *****


 急に差し込んだ強い日差しに目が覚めた。
 ガラガラガラと雨戸が開けられた。「ああ、起こしてしまいました?おはようございます!」と、晴子の血色のいい顔があった。

「ああ、だめだめ、いま起こして上げますから」

 桔華が起き上がろうとすると、あわてて晴子がそれを制した。晴子は桔華の隣に膝をつくと、桔華の背中に手を添えて、上体を抱え起こした。自覚症状としてはそのくらいは自分で出来ると思うのだけれど、晴子は「油断は禁物。無理をしては駄目よ」と釘を刺した。

「今、朝ごはんをお持ちしますから」

 時計を見ると朝七時前。
 開け放たれた中庭から、七月の心地よい風が吹き込んできた。

「いるかのぉ」
 
 と玄関で声がした。年配の女性。桔華が声を掛けようかどうか迷っていると、台所から晴子が、「はぁい!」とワンテンポ遅い返事をした。どうやら朝刊が来たらしい。

 和泉家に届く新聞は『東奥日報』である。
 
 明治十年の北斗新聞に始まって、青森新聞、青森新報、と名称を変え、明治二十一年に『東奥日報』となった。青森の県紙。タブロイド版四頁で、五段に二十字。一面には青森県議会の様子や大陸での戦争の詳報が掲載されている。二面に生活情報、三面と四面は新聞広告と求人、葬儀広告。
 東奥日報はこの年、日露の戦役に斉藤武男記者を従軍させている。斉藤は弘前に陸軍第八師団が設置されたときから担当していてそこの初代師団長立見尚文中将と親交が深く、出征の際もそれに従ってついていった。御年五十四と壮健ではなかったが、本人は「行きたい」と本社にがんとして譲らなかった。実際、彼の戦報は郷土部隊の動静を的確に伝え、新聞発行部数の増大につなげている。この当時の発行部数は四千部。大部分が青森市内で発行されて、川内には陸奥湾を横断して青森から船で運ばれてきた。
 川内で新聞を扱っているのは、河野金右衛門という豆腐屋だった。この河野の家は代々大宅(おおやけ)で、青森―川内―大湊を就航する定期船の船主などをやっていたから、東奥日報の本社から新聞の配達を依託されている。朝五時前に青森を出航した船は、下北半島の左端、脇野沢村を経由して川内にいたる。そこで新聞を受け取り、購読者の自宅に新聞を届けた。

 晴子の家には、河野金右衛門の妻が東奥日報を持ってくる。
 名前をたえと言って、えらく晴子をかわいがっている。

「晴ちゃん、来たよ」

 どうやらここが配達の最後らしく、たえはそうして店のほうから晴子に声を掛けて、ちょんとそこで待っている。その声を聞いた晴子が、包丁を握る手を止めてぱたぱたと店のほうに出て行き、まだ半開きの扉をガラガラと開けた。「おはようございます!」「晴れたねえ」「よかったの!」といつもよりも甲高い晴子の元気な声が聞こえてくる。「今日もあっつぐなるよぉ」「んだの」「いつもごくろうさまです!」という晴子の声で二人は別れたらしい。店の残りの雨戸を開けると、今日の商売が始まる。陳列した反物の上の埃除けの布を払うと、とりどりの鮮やかな布地が陽の光を浴びてきらきらと輝く。

「たえさんに筑前煮を頂いたから、これを朝餉にしましょう」

 晴子は桔華に朝刊を手渡すと、そのまま台所に引っ込んだ。桔華は手伝うことを許されていないので、やはり床に入ったまま、東奥日報の一面を眺めている。

 筑前煮と白いご飯に、ごぼう汁、そして白菜の漬物という朝食だった。お膳を前にして女二人で向かい合って食べる食事は、なんともくすぐったいような照れくさいような気持ちだったが、当の晴子は「こうして誰かと一緒に朝餉を食べるのも久しぶり」といって終始にこにこしていた。煮物の蓮根は芯まで火が通っていて、旨い。白菜の甘辛さは白いご飯にとてもよく合った。
 晴子は釣鐘の鍋から汁物をお椀にすくい、桔華に差し出した。醤油ベースの出汁に、ごぼうや人参、こおり豆腐などが入っている。湯気のぼっていて、一口すすると胃に染込んだ。そういえば昨日も何も食べなかった。噛むたびにごぼうから出汁の味が染み出して、それらを噛み締めながら飲み込んだ。

「そうすると最上桔華さん、あなたはおばあさまの言いつけで、歌の研鑽を積むためにたった一人で日本全国を旅していると?」

 まだ具材を口の中に頬張っていたので、「そうだ」と首を縦に二回振った。

「そして、仙台で出会った男と恋に落ちて、その男と別れて、子どもを身ごもっていることも知らずにここまで流れてきた、と」

 ずずっ、と汁を飲み込んで、気持ちも満足でいっぱいになった。晴子が「お代わりありますよ」と言ったので、桔華はお椀を差し出した。二杯目をもやはり美味そうな湯気が上がっていた。

「ご迷惑をおかけします」
「それは気にしなくていいのよ。今は私一人だし。かえって世話を焼く人が居てくれたほうが私も楽しいわ」

 晴子の旦那は和泉和葉という。
 旧斗南藩士の次男坊で田名部に住んでいたが、晴子との結婚を機に川内に移り住んだ。

「今はね、戦争に行っているんですよ」

 日露戦争である。今年二月、ロシアに宣戦布告した。
 村でも何人かの男が徴発された。和葉は自ら志願して、青森の歩兵第五連隊に所属した。

「志願、ですか」
「ええ、お国の一大事に、自分だけ何もしないわけにはいかないからって」

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2011/02/26(土)
3、陸奥湾を抱く街

陸奥湾を抱く街(2)

「弘前の第8師団は、後備に配されて辞命を待っているそうだから、今はまだ戦場には出ていないそうよ。前線で戦ってくれている兵隊さんには申し訳ないけれど、このまま何事もなく、帰って来てくれればいいなって思うのだけれど」

 晴子は自分の夫の戦場での様子を、新聞で見聞しているといった。実際、そのような理由で新聞を購読し始めた家が多くあると晴子はたえに聞いたという。桔華もちらりと承俊のことを思い出した。四月、まだ仙台にいた頃、留学生たちが意気を上げていたことを思い出す。『日本がロシアとの初戦に勝った!アジアの小国が欧米の大国を破った!』街道にばら撒かれる号外。国威高揚に熱狂する人々の明るい顔――。

「ごめんなさいね。銃後を守る務めの私が、こんなことを言ってはいけないわね」

 晴子が俯いた。そんなことはない、と桔華は言った。

「大切な人が無事に戻ってきて欲しいと願うのは自然なことです。大丈夫。日本は今、快進撃を続けているそうよ。私たちも頑張りましょう」

 気休めでしかない、と桔華は思ったが、晴子はにっこりと笑ってくれた。本当は心配でたまらないのだ。その笑顔が桔華には辛かった。 二人して手を合わせて「ごちそうさまでした」と言う。晴子がやはりにこにこしながら「ほんだの。私もがんばらねばの!」といいながら勢いよく腕まくりをして、二人分のお膳を下げた。



 それから一週間ほど、桔華は床の中で過ごした。
 起きるのは三度の飯時と風呂の時のみ。晴子がほぼ付きっ切りで桔華の世話を焼いた。
 川内に唯一のひとという佐々木という医者が来て、「様態は落ち着いたようだ」と言った。桔華が頭を下げるより早く、晴子が「ありがとうございます、ああ、よかった、本当に」と佐々木医師の手を取ってぶんぶんと振った。
 
 晴子のこういう、人を拒まない雰囲気が、町の人々の好感につながっているようだった。
 
 実際、晴子の店には、絶えず人が足を運んだ。反物を買いに来るというよりは、晴子と世間話をしに来る。

「晴子さん、昨日な、旦那が裏の八幡宮で酔っ払ってな、石段に頭をぶつけて血まみれになって帰ってきたの」

 昨日見た変の形の雲のことでも、夫婦間の小さな諍いも、晴子に聞いてもらいたいと町のひとは思うのである。陳列棚の奥の、上がり場に腰掛けて、晴子もちっとも嫌な顔をせずに、「あらあ、まあまあ」と何度も深々と頷いている。

 日が傾き、横日が差し込んでくる。
 晴子の店は街道に面しているので、役場帰りの勤め人や、大工、畑帰りの男たちの、俯き加減の背中が往来する。
 街の中心から内陸に向かう街道があって、巨大な銀杏の木を境に西向かうと、安倍城というところがあって、炭鉱がある。
 この炭鉱は、江戸末期に発掘されて以来、尽きることなく炭を供給し続けている。夏も気温が上がらず、土地のやせた下北半島の西通り地区は農作に適さず、古来より狩猟と漁業とそれらを船の往来によって交易することで地域の経済を保ってきた。しかしこの炭鉱が発見されてから、石炭が主要な川内の産業になった。近隣の集落などから、三百人ほどが働きに来ている。
 彼らの中にも、檜山や蠣崎から通っている連中が居て、十人くらいの団体でがやがやと歩いてくる。煤だらけの顔に体格のいい偉丈夫が揃い踏んでいるので、その時刻の名物のようになっている。
 その偉丈夫の中に、体が一つ小さな、少年のような男が居る。
 菊池兵衛という。年は三十になる。年齢よりもずっと幼い顔に肌は赤焼けていて、煤に塗れて顔はいつも黒く、ぼろぼろの股引を履いている。出身は畑という山奥だが、二十歳のときに海沿いの宿野部という地区の女と結婚して移り住んだ。子供も、居る。

「いるかの」
「はあい」

 兵衛はいつも、炭鉱作業の帰り道に、偉丈夫の一団から離れて、晴子の店に立ち寄る。
 晴子もそれを分かって、濡らした手ぬぐいを用意している。「いるかの」とのんびりした声が聞こえると、「はあい」と手ぬぐいを片手に店先へぱたぱたと掛けていく。
 桔華は無粋と承知しつつ、この二人の会話に耳を欹てている。

「新聞見たかの」
「見ましたよ。川代さんとこのおじいさん、亡ぐなったって。通夜さいがねばの」
「行ぐんだば、寄るして」
「したばって、その日牛滝に仕入れに行がねばならなくて。香典お願いするがの」

 近隣住民の動静が大半である。
 それにしても毎日である。炭鉱は日曜日が休みだから、午前で終わる土曜日にも、帰り際に晴子に顔を見せている。
 とうとう、桔華は晴子に聞いてみた。

「あらいやだ、そんなんじゃありませんよ」

 あの人懐こい笑顔で桔華に手を振りながら、晴子は言った。兵衛は和葉の友人で、彼の出征以降、自分を気に掛けてくれているのだ、と。

「そんなに落ち込んでいるかしらね、私」

 あの人の目がそう言っているのよ、と晴子は俯いた。力無くうな垂れた彼女の首筋の健康そうな肌色が覗く。桔華は晴子の気持ちによりそうようにその手を取り、「無理しないで」と言った。晴子はやはり例の力ない笑顔で、「ありがとう」と言った。桔華はそれ以上何も言わなかった。


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2011/03/02(水)
3、陸奥湾を抱く街

陸奥湾を抱く街(3)

 八月上旬。和泉家の裏山ではセミがじわじわと鳴いている。
 
 時折、開け放した店の玄関から吹き込む風が風鈴を揺らす。体を起こすことを許された桔華は、晴子とともに店番をするようになった。
 桔華さんが店にいてくれて助かるわあ、これで家中の大掃除が出来るわね、と晴子は奥でばたばたと作業をしている。桔華は、最上の家では掃除洗濯炊事をこなしていたため、得意分野なのであるが、血の疼くままに晴子に手伝いを願い出ると、「お店番、しっかりとお願いしますよ!」と笑顔で断られる。そういうことをもう一ヵ月も繰り返したので、座敷の奥からどたどたと聞こえる物音に少し気をやりつつ、桔華は店の上がり場に腰掛けて、ぱたぱたと団扇で扇いでいる。

 上がり場に雑記帳を広げて、壁に背を預ける。打ち水、夏袴、うみねこ、海岸沿いの干し烏賊と、思いつく詞をつらつらと雑記帳に書き連ねた。店の影は外の日向とくっきりと明暗を分けており、道行く往来の人々の額に汗が滲んでいる。りりんと風鈴が鳴り、ぱらぱらと雑記帳の新しいページがめくられた。桔華は物憂げに外に顔を向けている。

「桔華さん、少し休憩しましょう」

 晴子が剥いた桃を盆に乗せてきた。暑さと気だるさで食欲のない桔華には、とても魅力的な白さと冷たさ、そしてやわらかさだった。
 桃は、晴子の実家から送られてきたものだと言う。実家は三戸の名川の農家だと晴子は言った。

「ここは浜所(ハマドコ)でからっとしてるんだけど、京都の夏はきっともっと暑いのでしょうね」

 晴子も店の上がり場に腰掛けて桃をひとかけら、口に入れた。桔華は笑って頷いた。行く人がこちらに気がついて会釈し、通り過ぎた。晴子は大きく首を振って応え、桔華もそれに倣って頭を下げた。

「ああそうだ。私、明後日から二日ほど家を空けるんですよ。脇野沢に仕入れさ行がねばならなくて。お食事などは河野のたえさんにお願いしていきますから、お店番だけお願いしてもいいかしら」
「ええ、構いません。泊りがけなんですね」
「行くだけで半日掛かりますからね。あと、主人のご両親にもごあいさつしてこなければ」

 晴子は感情を上下させることもなくそう言い、また一つ桃を口に運んだ。江戸時代でいう西廻りの航路は、京都から陸路、小浜に至り、輪島、佐渡、秋田、鯵ヶ沢、青森から脇野沢に寄港する。青森から太平洋を南下する東廻り航路が出る。瓦解を経て、明治の代に至っては、その航路を三井や三菱、そして北条の商船が引き継いでいた。

「北条?」
「ええ、そうです。大阪の問屋なんだけど、社長さんが京都の方だとかで、上方の方の品物が欲しいときはそちらにお願いするの。京都の職人さんは、一見さんに品物を卸したりしないところも多いから、『北条』の顔の広さには本当に助かっているのよ」

 古月のあの人懐こい顔を見るような思いがした。そういえば、篠の出産は七月だと言っていた。四月に仙台を出て以来、心身ともにばたばたしてしまい、顔を出すどころか、文も出せずにいる。
 
 桔華は、自分の腹をさすった。まだ腹は膨らんできておらず、体がだるいと言う自覚症状以外は母親になると言う実感もない。旦那になる人間が近くにいて、こどもを授かったことをともに喜び合えば面持ちは違うのだろうかとちょっと考えてみたりしたけれど、いろいろ理由を考えあぐねなければ人一人を産むのだという自覚をもつこともままならない自分の母親としての甲斐性の無さに、ため息が出た。
 こんな自分を、母親と呼べるのだろうか。

「こんな自分が、母親になるのかしらと考えていらっしゃる?」

 晴子は桔華の顔を覗きこんだ。桔華は言い当てられてどぎまぎし、その顔色を見た晴子が「心配よねえ」と続けた。

「誰だって初めは不安なものよ。でも時がたつと、おなかの子供が語りかけてきてくれるの。『はじめましてお母さん。ぼくもこどもがはじめて不安です。だから一緒に頑張ろうね』って。それが聞こえた瞬間にね、ああそうよね、お互い初めてなのよね、でも私のほうが人間としては経験があるのだから、しっかり守ってあげなくちゃって自然に思えてくるの。母親としての自覚なんて、そんなだいぞれたものではなくて、子を愛おしいと思う気持ちが、自然とあなたを母親にしてくれるものよ」

 だから心配しないで、と晴子は言った。晴子は辛巳の生まれなので桔華より三つ年下であるが、その語り口も物腰も、桔華のそれよりもずっと含蓄のあるもののように思えるのだ。一ヵ月ともに過ごしてきたが、晴子に子どもがいるという話を聞いたことが無い。母体に無理をかけまいと桔華を気遣う様子は、実家で見聞したものなのだろうと思っていたが、やはり核心を晴子に聞けないままでいる。

 ごめんください、と尋ねてきたのは、三十歳をすぎたあたりの書生風の男だった。暑かったと見え、顎から首筋にかけて汗をかいており、開襟シャツの胸元がびっしょりと濡れている。黒いスラックス、裸足に草履。首元をハンカチで拭うような素振りをし、晴子を見て頭を下げた。

「東奥日報の加藤といいます。最上桔華さんはご在宅でしょうか」


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2011/03/09(水)
3、陸奥湾を抱く街

陸奥湾を抱く街(4)

「最上は私ですが」

 桔華が名乗り出る。晴子が先立ち、男から名刺を貰った。「あらまあ青森から。わざわざご苦労様です」と言って、男を奥の座敷に通す。桔華もそれに従った。晴子は麦茶を用意するといって台所に立ち、加藤を上座に座らせ、桔華は向かい合って下座に膝を折る。加藤は桔華にも名刺を渡す。『東奥日報社 新聞記者 加藤 国和』。

「実は、文芸欄を新設することになりまして」

 その選者を探しているのだと言う。新聞代の集金に河野宅を訪ねたところ、桔華の話を聞いた。それでこちらまで足を伸ばしたとのこと。
 東奥日報は青森県内各地に配達されている。明治末期、遅くてもその日の午後までには当日の朝刊が配達されるよう手配されている。新聞の集金は各地の、本社から依託されたものが行い、その委託先に、本社の社員がまとめて集金に出向く。
 晴子が麦茶と羊羹を運んできた。「いやはや、ありがとうございます」といって加藤は麦茶に口をつけた。喉を鳴らすようにひと息で飲み干した。この炎天下を歩いてきたということだから、よほど水分が欲しかったのだろう。

「正岡子規や石川啄木の流行もあって、昨今は短歌・俳句の創作人口が増えつつあります。当社でも、青森懸の文化水準向上の一翼を担うべく、文芸欄を新設することとなりました。学問とは本来、男のするものというような風潮もありましたが、今は国民が平等に文字を読み書きできることが求められる時代。しかしそうとはいっても、青森の農村部では、家の手伝いなどで学校に通えないものも少なくない。そういうものたちにも気軽に親しんでもらえるよう、選者は、やわらかな語り口のできる女性にお願いしたいと考えていたのです。最上先生、いかがですか」
「先生なんてとんでもない、私はまだ修行中の身でして」
「日本は、遠く平安の御世から女性が文学の先端を担ってきています。紫式部、和泉式部、もっと源泉をたどれば、古事記の語り口は稗田阿礼という女性だったという。最近でも与謝野晶子がなんとも艶かしい歌集を発表して話題となりました。あとは北条桜花」

 晴子がこちらに目配せをしている。桔華は軽く咳払いをして加藤に向き直った。

「今、故あってこちらを仮の宿とさせていただいておりますが、いつまでこちらにいられるかわかりません。それでもよろしければ」
「もちろん構いません、それでは引き受けていただけるのですね」

 いやよかった。青森に縁のある女流歌人というのはなかなか見つからなかったんですよ。加藤はほっと胸を撫で下ろしたようで、先ほどまで緊張気味だった顔を綻ばせた。では、いただきますといって羊羹を一口で口の中に押し込むと、まだ飲み込むより前に携えたバッグから茶色い封筒を取り出して、桔華の前に出した。九月の上旬に取りに来るので、それまでに天地人評価で五首ほど選び、それに評を添えて欲しいと告げると、それでは船の時間がありますので、といってあわただしく去っていった。直ぐに立ち上がれない桔華に代わり、晴子が玄関までお見送りをした。

「もちろん、無理をしてはいけませんよ」

 戻ってきた晴子が桔華に釘を刺した。桔華は苦笑して頷いた。茶封筒の中から、読者からの力作を取り出す。しばらく人の作品に触れていなかったが、瑞々しい感性に自分の創作意欲が刺激され、歌を詠みたい思いが込み上げてきた。
 晴子が奥からどっさりと雑誌を持ってきた。彼女の腕に一抱えもあるようなその分量は、「ホトトギス」「白樺」「明星」に「のはら」。その中には「一握の砂」「みだれ髪」などの歌集も混じっている。

「主人のものですが、参考になるかしら」

 これだけの雑誌を目にするのは桔華も久しぶりだった。仙台の下宿を出て以来、北上してくるにしたがって、貸本屋にも最新の雑誌が無いことがほとんどだった。

「ご主人は、歌をお詠みになるのですか?」
「歌というよりも、学問が好きなのです。新聞も、主人が読んでいたものなのよ。なんでも知りたがりなの」

 こうして、大量の雑誌と、選歌の仕事を桔華に残し、翌々日、晴子は供とともに仕入れに出かけていった。
 桔華は店を開き、陳列物の埃を払うと、いつものように上がり場に腰掛け、たまに往来に目をやりつつ、雑誌と応募の句作を行ったり来たりしている。


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2011/03/11(金)
3、陸奥湾を抱く街

陸奥湾を抱く街(5)

 晴子のいない家の中はやけに広く、静寂が落ちている。
 往来に目をやるも、心なしか人通りも少ないような気がする。照りつける太陽の強い日差しが行く人の額に汗を浮かばせている。

 午前中はまず、よそ行きの単を頼まれていたお得意様が品物を引き取りに来た。彼女は上質な悠然に見事な錦仕立ての帯を締めて、鬢を仕立ててビロードの髪飾りを挿しており、凛と立ち振る舞うその姿に、町内の名士の奥方かしらと桔華は思った。
 桔華は奥の座敷に奥方を上げた。仕立てた着物の袖口や裾の調子を見て欲しいと、晴子に言われていた。桔華が店側の引き戸を閉めて、彼女の着物を脱がせ、仕立てあがった新しい伽羅の着物に袖を通させた。肩口をそろえ、鏡台の前に立たせて袖を確かめた。親指の付け根のあたり。丁度いい。
 続いて帯を締めずにおはしょりをつくり、裾を確認する。こちらも問題ない。縫い口も見えぬように布地の裏側に細かく糸を取られている。桔華も自分の着物は自分で縫うが、ここまできれいに縫いこむことは出来ない。

「さすが晴子さんね、いい仕事をしてくれはる」

 語尾の微妙なアクセントに桔華は気が付いた。聞くと、やはり彼女は地元の名士の奥方で、二十年前に舞鶴の商家から川内に嫁いできたのだという。晴子が川内に来たのは八年前。織物屋を始めた晴子に、彼女が着物の修理を頼んだのが縁で、世話になるようになったのだそうだ。

「これ、晴子さんが仕立てたんですか?」
「あら、聞いていなかったの?ここは布地を売るだけではなくて、仕立てもしてくれるのよ」

 驚いた。そういえば晴子は気が付けば裁縫などしていることがあったが、桔華の目の付くところではめったに仕事をしているところを見せないし、自分の仕事部屋に、桔華を近づけさせない。今朝方、頼まれごとの確認をするときでさえ、必要な最低限以外のことは話さず、一人で店番をすることがはじめての桔華に、分かりやすく仕事の手順などを手ほどいた。
 奥方は満足した様子で試着を終え、桔華に頭を下げて帰宅の途に着いた。桔華も店先までお見送りをする。あれこれと思いを巡らせる間も無く、今度は買い物帰りの近所のお母さんにつかまった。

「晴子ちゃん脇野沢さ行ったのえ!仕入れだの」

 ええそうなんですよ、と桔華が応えると、母さんは日に焼けた顔にいっぱいの笑顔をつくって「大変だのこのあっついどこ!」といって大声で笑った。

「はあら、せえば川代さんのママぁの葬式さあ行がねどこしてるんだ」

 桔華は『川代』と『葬式』をようやく聞き取って、晴子が新聞の葬儀広告を切り取っていたのを思い出し、あれのことかと思い至った。

「知ってる人に、香典を預けると言っていましたよ!」
「んだのぉ。いっつもだば、脇野沢の仕入れさば、和葉さんが行ってるんだども、今だば兵隊さいってらんだして、仕方ないべの」

 意識をしているつもりは無いが、自然と話し声が大きくなる。桔華は母さんを「中にどうぞ」と勧めたが、「畑さ行ぐして!」と笑顔で断られた。母さんは「あんだどこの人(ふと)だの」と桔華に言い、「京都の三条です」と桔華が応えると、「わららぁは!」と言って大げさに驚き、失礼しました、と急に言葉の端を正して、やはり笑い、そして去っていった。
 そうこうしているうちに、昼になった。昼ドンが鳴るよりも早く、河野たえが「いるかのぉ」と尋ねてきて、自宅で作ったらしいごぼうの炒め物と汁物を台所で温め始めた。手伝いたいと桔華が言えば、晴ちゃんに桔華のことを頼まれているから、とやんわりと断られた。

 昼食はは白米と豆腐の味噌汁、ごぼうとにんじんの炒め物ときゅうりの和え物だった。味噌汁は晴子の作るそれよりも、三倍近くも大きい豆腐がごろりと入っているものだった。
 据え膳の前で手を合わせ、たえと二人でいただきますをする。はじめに口をつけた味噌汁が旨かった。にぼしのだしが効いており、味にメリハリがある。京都の薄口に慣れている桔華は、自分はこっちの赤味噌のほうが好みだな、とこちらに来てから気が付いた。

「おいしいです」
「本当?ありがとう」

 たえは相変わらずにこにこしながら箸を動かしている。味噌汁の豆腐が大きいのは、たえの家が豆腐屋だからだろうか、と桔華は考えている。


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2011/03/17(木)
3、陸奥湾を抱く街

陸奥湾を抱く街(6)

「ああそうだたえさん、東奥日報から公募短歌の選者のお話を頂きました。おかげさまでお受けすることにしました。ご紹介いただいてありがとうございました」
「あら、加藤さんもういらっしゃったの!よかったわねえ、本社のほうでも頼みにしていた中央の郷土人に断られたとかで、社告の期日まで時間が無いと泡を食っていたそうよ。桔華さんがいてくださってよかったわあ。顔なじみの方が紙面に名前が載るなんて、毎朝の楽しみも増えますね」
「私の祖母も、地元紙に歌が掲載されたところから始まっているんです。まさかこのようなご縁をいただけるとは思っておりませんでした」
「晴ちゃんがあなたを拾ってくれたからね、感謝しなくちゃ」

 本当にそう思う。社の前で力尽きたあの日に、晴子が自分を見つけてくれなければ、もしかしたらそのままあそこで果てていたかもしれない。

「晴子さんて、子どもさんはいらっしゃるのですか」

 ふと、たえの箸を動かす手が止まった。やはり触れてはいけないところなのだろうか。

「どうして?」
「見たところこの家に子どもさんはいないようなのですが、言葉の含蓄と言うか、私を気遣ってくださる行動の端々に、ご自信の経験を踏まえてらっしゃるのかなと思うところがあって」

 たえは無言のまま食べ終わった食器を片付け始めた。桔華も急いでご飯を口に運び、自分の食器を下げようとしたが、台所から戻ってきたたえに「あなたはだめ、今お茶を持ってくるして」と、先ほどよりも強い口調で止められた。たえは食器を片付け、お茶を用意して桔華の前に差し出すと、もう一度桔華の対面に座った。

「晴ちゃん、何も言っていないのね」
「私も、聞いてはいけないのかしらと思って、ずっと聞けずにいたもので」

 たえはずっ、と湯のみを口に運んだ。外からはじわじわと蝉の鳴き声が聞こえいる。

 晴子は、三戸郡名川の農家に生まれた。

 旧姓は梅内(うめない)。十二人いる兄弟の、下から三番目だ。

 名川は農家が多く、その中でも晴子の家は名川の大地主の家であったが、ご一新以降は地租改正による税も重く、小作人らからの納税をできるだけ少なくしようと尽力しても、懸への納めものに苦労している。梅内の家には子どもが十二人も居り、上の子は分家して家を出たり、女の子は中央へ奉公へ出したりしていたから、梅内の家には長男と三男が農業を手伝い、晴子、あとは末の妹が二人、いるばかりだった。

 明治二十八年、近年の不作に畳み掛けるように大冷害が発生する。太平洋から下北半島から八戸、久慈、宮古といった、太平洋に面する都市を掠るように吹きつける夏の冷風「やませ」がおこり、大飢饉となった。青森だけでも数百という人が餓死した。梅内の家も、蓄えた米や乾物を地元に開放したが、昨年からの清国との戦争のために国からの取り立ても容赦なく、ただ人が優しいだけが取り柄の晴子の父親は、梅内家の存続にかかわるところまで蓄財を身落ちさせてしまった。話し合いの結果、大部分の土地を売り払って借財を返し、家督を長男に譲渡。三男を出稼ぎに、末の女の子二人も青森と八戸に奉公へ出し、晴子は父親の知り合いの息子と結婚し、家を出されることになった。晴子の父親が若い頃に奉公に出ていた田名部の元会津藩士の息子、それが和泉和葉だった。

 会津和泉家は身分は御家人だが三十俵二人扶持程度で、会津の松平容大とともに斗南に転封されてからも、地元の子らに学問を教えながら貧しい生計を立てていた。和葉は十歳になるときに、田名部からさらに遠く、脇野沢村の千船という郷士の家に養子に出された。晴子の父親が若い頃に学びに来ていたのがこの和葉の父親の塾であった。それが縁で二人は結婚し、和葉とともに脇野沢の千船での生活が始まった。晴子が十五歳、和葉は二十二歳だった。

 千船の家は脇野沢でも有数の名士で、川沿いには大きな自分の蔵を持っていたし、自分の船を持っていて、それを漁師に貸して富を築いていた。上方との交易にも携わっていて、元禄以来、村の出荷物を一手に引き受けて、かかる関税を収入にしたりしていた。現在の千船の当主夫婦には子どもが無く、養子の和葉が跡取りとして期待をされた。そこに晴子が嫁入りしてきた。翌年、晴子は第一子を身篭った。和葉をはじめ、千船の両親は大層喜んだ。しかし臨月を待たずして、晴子は子どもを流産してしまった。

「本当に仲のいいご夫婦なのよ。和葉さんがね、本当に晴ちゃんを大切にしているの。一人目がだめだったときにも、晴ちゃんが本当に落ち込んでしまって、会話も難しくなってしまったことがあったのね。和葉さんは、自分も漁師の仕事があるのに、家に帰れば、布団から起き上がれない晴ちゃんに寄り添って、大丈夫、大丈夫って声を掛けてあげていたのよ」

 しかし、千船の両親は晴子に辛く当たった。

 子どもを産めないばかりか、病気で床に臥せり、家の手伝いもできない嫁が来たと、近所に吹聴して回るようになった。晴子はまだ万全でない身体を無理に起こして家事の手伝いなどをし、両親のために懸命に尽くそうとした。ようやく身辺が落ち着いてきた頃、晴子は二人目を妊娠した。今度こそはと意気込む周囲の期待に反して、晴子は二人目の子どもも流してしまった。


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2011/03/19(土)
3、陸奥湾を抱く街

陸奥湾を抱く町(7)

「無理をしたのね。追い詰められた晴子ちゃんは、海に身を投げようとした。間一髪、和葉さんが引き止めたのだけど、千船の家では、晴子ちゃんを離縁するという話になったわ」

 しかし、和葉はそれを許さなかった。自分は、一生を晴子とともに生きると決めて夫婦になった。彼女を家から出すのであれば、自分もこの千船を出て行く。
 千船の両親と和葉はさんざん揉めた挙句、和葉は晴子を連れて千船の家を出ることになった。晴子は、世話になった両親を見捨てることはできないからと随分和葉を引き止めたが、和葉の心は揺るがなかった。明治二十九年、二人は脇野沢を出て、川内に移り住んだ。上方貿易の関係で幼い頃から和葉を見知っていた河野金衛門が住むところを世話し、資金を与えて、各地の布地を扱う織物屋を始めさせた。

 「あれはね」と言って、神棚に並ぶ二つのこけしをたえは指示した。それは桔華がこの家に来たときから気になっていた、まあるい頭部に赤と黒の墨で顔を描かれた、こけしだった。

「二人が川内に移ってきて、このお店を始める前に、ゆっくり二人で旅にでも出て、温泉にでもいってらっしゃいって言って、そのときにおみやげで買って来たものなのよ。津軽の大鰐温泉で買ってきたものなのだとかで、古くは口減らしで殺した子どもを供養するためのよりしろなんですって。その帰りに、田名部の恐山に巡礼して、イタコに口寄せをしてもらったら、生まれてくるはずだったのは男の子と女の子だと言われたそうよ。それ以来晴子ちゃんはあのこけしを自分の子どものように大事にしていて、毎朝手ぬぐいで拭いてあげて、ご飯をとりかえてあげているの」

 笑顔を絶やさない晴子の健気で華奢な身体が桔華の中で揺らめいている。弱い自分を勇気付け、励ましてくれる晴子の半生を、いたわしいなどと思う資格など桔華にはない。彼女はおそらくそれすらも不幸と思わずに、その苦労を誰のせいにすることも無く、何を恨むのでなく、そのときに自分のできることを精一杯やろうとしてきたのだろう。

「じゃあ、脇野沢のご両親にあいさつをしてくるというのは」
「はぁら!そったごど言ってだの!」

 たえは大きくため息をついた。自分が知っていたら止めていたのに、とこぼした。

「脇野沢に商船が就航するときは、いつも和葉さんが仕入れに行っていたんですよ。もちろん、脇野沢の村ではよく思われていませんから、お仕事で行くだけ。もう千船の家ともほとんど関わりは無いはずですよ。でも晴ちゃんのことだから、向こうの両親とも上手くやっていきたいと思っているのでしょうね。わたしらに言えば反対されることが分かっているから、何も言わずに行ったのね」

 昨日、晴子と話をしているときにも、脇野沢の両親について、何か感情を異にするということも無かった。本当に自然に、千船の両親とも和解したいという思いでいるのだろう。胸が締め付けられるような思いがする。

 たえはそろそろ午後の仕込が始まるから、と言って出て行った。その背中を見送りながら桔華は思う。自分は、晴子と一ヵ月も一緒にいながら、彼女のことを何も知らないのだと。晴子はおそらく、桔華と桔華の腹の中にいる子どもを、桔華が思う以上に大切に思っているのだろう。自分が出来なかったことだからこそ、桔華には成し得てもらいたい、その為の手助けがしたい。今ならその気持ちが、辛いほどに分かる気がする。
 しかし同時に、桔華の胸中には疼くものがあり、それを払拭できずにいる。自分はこれからも歌道を続けるつもりだ。子連れで旅を続けられるのか。父無し子として生まれてくるこの子は幸せなのか。自分は母親として、この子を立派に育てることが出来るのか。子どもを待ち望んだはずの晴子ではなく、なぜ自分なのか――。

 悶々と思考を巡らしながら、公募の歌を眺めている。午後は数人と挨拶程度の会話を交わした以外はお客も来なかった。上がり場に腰掛け、肩肘をついて歌を眺めつつ、ぼんやりと晴子のことを考えている。なんとなく注意散漫で、今日はもうやめようと上がり場に広げてある応募作と雑誌を片付け始めた。ふとした一句が目に留まる。


 阿子を抱き やはらかき肌 伝わりし 生きる鼓動の 音ぞ逞し


 まだ若い母親の作だろうか。あたたかく柔らかで、儚い姿をした幼い我が子を抱くと、自分となんら変わらない命の鼓動を感じたのだ。ああこの子も、必死で生きようとしているのだ、そう作者は感じたのだろう。その短歌に目を奪われながらも、無意識に腹に手を当てる。まだ何も感じない。しかし、この中で命は確実に息づいているのだ。桔華の迷いとは裏腹に、自分の中の小さな命は、必死で生きようとしているのかもしれない。
 桔華の中に、この小さな奇跡をいとおしむ気持ちが生まれたことに気がつく。大切な人と、自分の子ども。自分の中の、もう一人の自分。それを守ってやれるのは自分だけなのだという使命感。幸福感。ゆるゆると打ち寄せる波が次第に大きくなり、これほどまでに大切なものがかつてあっただろうかというところにまで達する。しかしそれは一瞬で、同時に喪失に対する恐怖が助長する。生まれてこなかったらどうしよう。自分のせいでこの子を死なせてしまったら、どうしよう――。

「ごめんくださあい」

 桔華ははっと我に返った。ほんのわずかな時間であったと思うが、大きな浮遊感と強烈な絶望感に感情が押し乱れ、気がつくと肩で息をしていた。ようやく意識を現実に戻して、桔華は声の主に向かって「はあい」と返事をした。 


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2011/03/21(月)
3、陸奥湾を抱く街

陸奥湾を抱く街(8)

 声の主は菊池兵衛だった。
 
 もうそんな時間かと桔華は時計を振り返り、下駄をつっかけて表に出ると、日焼けた顔が炭鉱の炭で真っ黒になった、あどけない顔が一つ、そこにあった。

「おかえりなさいまし、いま晴子さんからの頼まれものをお持ちしますから、どうぞ中へ」

 兵衛は愛想いい顔で頭を下げると、背中の荷物を降ろし、店の中に入った。
 桔華は冷たい麦茶と、晴子がいつもそうするように水で濡らした手ぬぐいを持って、上がり場に腰掛けている兵衛の隣に座った。桔華が手ぬぐいを渡すと兵衛は照れくさそうにはにかみながら、礼を言い、顔と首、それから手と足の裏などを拭いた。よく日焼けした肌だったが、華奢な体つきである。晴子に妻子持ちといわれなければ、少年と見間違うほど、歳を取らない顔をしていた。

「これ、晴子さんから川代のおじいさんのところのお香典です」

 兵衛は「確かに受け取りました」と言って、桔華から香典を受け取った。水引の下には「和泉 和葉」と流麗な文字。晴子の手によるものだ。

「先方にくれぐれもよろしくと申しておりました」
「ご丁寧にありがとうございます。川代のじいさまには、オラも和葉も、ずっぱど叱られだものでした」

 脇野沢村のの小沢という地区に住んでいた兵衛は、幼い頃から身体が弱く、よく近所の子どもらに苛められていた。和葉は、脇野沢の尋常小学校に田名部から転校してきたばかりで友達も居らず、学級のなかでも身なりも小奇麗で本ばかり読んでいるような優等生。なかなか友達も出来なかった。
 ある日、兵衛が浜で子どもら五、六人に囲まれ、木の棒で殴るだの蹴るだのされていると、そこに和葉が通りかかった。相変わらず本など読みながら歩いているので、兵衛らの取り巻きに気が付かなかったのか、その中の一人にぶつかってしまった。大将格は激怒した。和葉をやっちまえ、ということになった。

「本を置いてくる。待っていてくれ」

 といって和葉は本当に本を置いてきた。本人はさあやれと声を上げるのだが、悪ガキ連中はどうにも納得がいかないというような顔で、それぞれ悪態をつきながら帰っていった。残された兵衛は何がなにやらわからないままぽかんとしていたし、和葉は「なんだ、やらないのか」とこちらも納得がいかないような有様であった。
 
 お互いにはぐれものという共通項があったからだろうか、その日を境に二人で行動することが多くなった。和葉は田名部から来た『都会もの』であり、その読書量もあってものをよく知っていたが、なんでも自分の目で確かめないと気がすまない性分のようだった。あるとき、近所でおっかないと評判の川代のオヤジが、どれだけおっかないのか確かめに行こうということになった。川代のオヤジは、その父親も祖父も漁師で、本人も十三歳になる頃から海に出て漁を手伝うようになった。そのころは一つの漁協を仕切るようになっていたから、歳の頃は五十を少し出たくらいの、脂の乗り切った男盛りだった。三十年以上の長きにわたって陸奥湾に晒した肌は頭皮から足の裏まで赤黒く日焼けており、愛飲した煙草のやにが白い歯に黄色くこびりついていた。  
 悪ガキ連中が、陸に干されているオヤジの舟を遊び場にしていたらしく、天地が割れんばかりの怒号で叱りつけられ、丁寧にそれぞれに大きな拳骨もいただいてしまった。それ以来、脇野沢の子どもたちの間では川代のオヤジはおっかないということで知れ広がった。子どもたちが喧嘩すると「したら、川代のオヤジさ言いつけるど!」という具合に。 
 
 怖いものとは知りながらも、怖いものを知らない和葉はどんどんとオヤジのいる小浜の浜辺へ向かう。兵衛は何度も、「やめようよ」と止めるのだけれど、和葉は「ならばおれ一人で行く」「オヤジがどんなものか確かめたら、お前にも知らせてやるから」と言って聞かない。和葉は言い出したらそれを曲げることも止めることもしない。転ぼうが邪魔が入ろうが真直ぐに突き進んで行って、後はなるようにしかならないのだ、と子どもながらにそう言ってのけるようなところがあった。
 浜辺には漁船や商船が船着場として利用している河口があって、そこは大人の介添え無しで子どもだけでは近づいてはならないという事になっている。しかし、そこを通り抜けて船着場でオヤジが漁から帰ってくるのを待っていないと、今度はいつオヤジを捕まえられるか分からない。

「和葉ちゃん、ここは危ないよ、オヤジの家の近くで待ってようよ」
「いやだめだ。ここで捕まえないと、オヤジはいつも大人たちに囲まれていて話しかける機会が無くなってしまう」

 すっかりその気の和葉に、取り付くしまも無い。兵衛はおっかないのと心細いので何度も心が折れそうになりながら、ただひたすらに海を見据え、オヤジの舟の帰りをまつ、和葉の強い瞳をじっと見入っていた。


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2011/03/23(水)
3、陸奥湾を抱く街

陸奥湾を抱く街(9)

 朝早くから桟橋で座り続けて半日もたったころ、オヤジの舟が帰ってきた。
 和葉と兵衛は立ち上がった。船員たちが上陸の準備を始めている。オヤジは彼らに檄を飛ばしながら、桟橋の子ども二人に気が付いた。 兵衛はオヤジの視線に気が付いた。しかしオヤジは視線を2人から外し、舟の作業に戻った。

 やがてオヤジたちの舟は桟橋につけられ、今日の漁獲とともに男たちが舟を降り始めた。男たちは和葉と兵衛とすれ違いざまに「お迎えかぃ~」「滑るどぅ、気ぃつけよぅ」と声を掛けてくれた。和葉はそれに一顧だにせずにオヤジの行動から目を離さない。

 男たちが陸に上がっても、オヤジは舟の中で作業をしていた。一人になったのを確認して、和葉と兵衛は船に近づく。兵衛が和葉の服をひっぱって、やっぱりやめようというのだけど、和葉はやはりそんなことはお構い無しに「川代のオヤジぃ!」と舟に向かって叫んだ。

 オヤジは和葉の声を聞いてか聞かずか、船内での作業を一通り終えてからのっそりと桟橋に上がってきた。太陽を背に背負って大柄の身体をゆっさりと動かすその様は、兵衛がマタギの祖父から聞いた、森の主ともいう巨大なヒグマのようにも見えた。

「おめど、なあしてこったどごにいるんず」
「オヤジさ会いにきたして」
「この桟橋さばわらすだげで近づけばなんねって言われながったがして」

 オヤジの細い目がぎらりとこちらを向いた。兵衛はいいようのない恐ろしさに駆られたが、和葉が何も言わずにオヤジを見上げていたので、彼にしがみついて辛うじてその場に踏みとどまった。

「聞こえながったが!こごさばわらすだげで来ればなんね!足場悪ィして滑って海さおじれば、こごだば深度があるして、自分どだげだば上がれねのよ!わがんねえが!」

 兵衛は縮み上がってしまった。オヤジの前に飛び出し、「すいませんもうしません」と三回もお辞儀をして、和葉を引っつかんで走り出した。気が付くと桟橋から遠く離れて、学校の近くまで来ていた。ようやく立ち止まって、二人で肩で息をした。

「今でも、あの時のじいさまの声を思い出すだけで、おっかなくて縮こまってしまいそうになるんですよ。でもこのときに和葉が言ったことが忘れられない。こいつは大物になるんだろうなって思ったのす」

――オヤジは間違ったこと、言ってながった。おらどが悪いごどしたがら、怒ったんだ。

「それからね、オラと和葉はオヤジのところに通うようになりました。ああもちろん、桟橋には近づかないようにして、浜辺からオヤジの帰りを待つんだけんども。オヤジは寡黙で口下手でしたが、今日獲れた魚の種類だとか見分け方、いい釣り場の探し方だとか、海のことをさまざまと教えてくれました。そうしているうぢに、オヤジは天気がいい日を見計らって、オラと和葉を海へ連れ出してけだ。オヤジの息子ど仲間だぢが漕ぐ舟コさ乗ってせ、きらきらど光る陸奥湾さ出だのせ……」

 兵衛はまるでそれが今、自分の目の前にあるように、あるがままにゆったりと語っている。穏やかな抑揚の下北の言葉が、兵衛の物語る「きらきらど光る陸奥湾」を、桔華の目の前にも提示してくれる。 
 刺すような太陽の日差しも心地いい。青く澄んだ海は時折白い波をひるがえして、小さな来客を歓迎してくれる。オヤジを船頭に、海の男たちが威勢のいい声を上げながら櫂を漕ぐ。海を行く船の先頭には少年が二人、船から身を乗り出している。

「陸奥湾はこの痩せた下北の大地にたくさんの恵みをもたらしました。マグロにタラ、イワシ、ホタテ、昆布、ナマコ、それだげでないして、海の道を通って上方の物産やら蝦夷地の交易品がやってきた。下北の木材を切り出して、銭コ(ジェンコ)さもしてけだ。オヤジが海を教えてくれたから、オラも和葉も漁師さなった。何度か怖い目にもあったけど、オラは今でも、この内海が大好きなんだァ、この真っ青な広がりを見ていると、海端さ生まれでいがったなど思うんだ」

 この朴訥な青年は、心の底から海を愛しているのだろう。現在は安部城で炭鉱堀りをしているが、心のどこかでまだ海に対する情熱を捨てきれずにいる。

「海には戻らないのですか」
「戻らないと思います。和葉が、もう海は嫌だって」

 先ほどのたえの話を思い出した。晴子が海に身を投げようとした話。

「そうですか」
「いやね、情けない話ではあります、友人が舟を降りるというから自分も降りただなんて。オラは、昔っから意気地が無いんです。何をするにも和葉の尻ばっかり追いかけてきたというのに、あれが兵隊に行くと言ったときばっかりはオラは行がれねって。晴子さん一人残して何が御国のためだって言っても、結局は自分が兵隊に行きたぐねがっただけのごどかと思うと、情けなくて情けなくて……」
「兵衛さんは、晴子さんのことを大切に思っていらっしゃるのですね」

 兵衛が驚いたように顔を上げた。

「と、と、と、とんでもねぇす!オラさは妻も子どももいるして!ただ和葉が、兵隊さ行ぐ前に、晴子さんのこと宜しぐ頼むってへったして、様子ッコば見に」
「晴子さんは、そうして気に掛けてくださる兵衛さんをとてもありがたいと思っていらっしゃいますよ」

 桔華はそう言って微笑んで見せた。兵衛は照れながら頭をかいて、日に焼けた顔をくしゃりと綻ばせた。そうこうしているうちにたえがやってきて、「兵衛さん、今日の葬式さ行がないのえ!」といって尻を叩いた。兵衛は「桔華さん、このことば、誰さも言わないでけろ」とこっそりと耳打ちをして帰っていった。桔華は苦笑してその背中を見送り、たえが夕食の準備をしている間に、店を閉める準備を始めた。


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2011/03/25(金)
3、陸奥湾を抱く街

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