スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
web拍手 by FC2

--/--/--(--)
スポンサー広告

月下の惨劇

 ***


 ―――ああ、俺はこの光景を、知っている。
 血の海に足が浸かり、呆然と立ち尽くすしかない自分の姿を思い、翔はぽつねんそんなことをと考えていた。


 ***



 夜も深い月明かりに、その屋敷は惨状を極めていた。

 暖炉の中から見える視界は真四角に縁取られ、その縁取りの中に白目を向けたまま絶命している使用人だった男の顔が見えた。満州に来てから現地で雇った、中国人苦力(クーリー)だ。何しろ死体というものを見るのが初めてだったので、怖いという感情よりも血液を失った人間の体が黒く茶色っぽくなっていくことや、助けを求めるためであろう、横たわった体の腕だけを残して手のひらを上に上げたまま死後硬直というものが始まって、生きていたら重力に逆らえずに落ちてしまうだろうという角度でとどまっていた。そしてもう一人、女がうつ伏せで死んでいる。薄紫の花ちりめんの美しい着物が、赤く血がこびりついて赤茶色に変色している。左背中を剣で一刺し。即死だろう。それは、自分を生んでくれた母だった。
 翔を頭ごと抱えている、義姉はガタガタと震えているようだった。「どうか助けてください」「どうか」と、微かな声で呟いているのが、触れたその肌から聞こえくる。

 悲鳴が聞こえた。直後に鈍い音が聞こえた。また誰かが死んだのだろうと思った。

 暖炉の外では、絶命している二人を窓側に移動させ、唯一の出入り口を部屋のソファーや机で封鎖し、バリケードを形成している、兄の姿がある。バリケードは時間稼ぎに他ならない。それでも外からこのバリケードを破り、侵入してくるには力が要るだろう。これを破った瞬間の、一瞬の気の緩みこそ、どうやら兄の狙いのようだ。

 翔の父、伊藤喜代治も長春で外交官をしており、翔は5歳のときから長春に住んでいる。父、母、兄、兄嫁、翔、そして常時5人程度、現地で雇ったお手伝いがいた。翔には3つ違いの妹がいるが、妹は日本の親戚の下へ預けられている。昨日は、北京の日本公使館へ武官として赴任することが決まった兄の祝いのパーティが伊藤家で催された。父の知り合いの筋で、政財界からも著名人がたくさん集まった。彼らの中には、今夜伊藤家に宿泊しているものもいるはずだ。もしかしたら、もう殺されているのかもしれない。

 異変は、夜半に起こった。2階に寝ていた兄夫婦と翔は、銃弾とばたばたと家を駆ける男たちの足音に気がついた。直後から聞こえ始めた奇声、ガラスの割れる音。兄は妻と弟を自分の後ろに下がらせ、2回の廊下を確認した。携帯していた、護身用の短銃の安全バーをはずして、銃弾を装填する。翔たちの部屋のドアノブに、暴漢の手が触れたのが分かった。兄は短銃を下方に構えたまま、ドアごと男に体当たりをし、その額に一発で命中させた。ぐしゃっと音がして、男は壁に落ちた。

 兄は注意深く周囲を確認しながら、2人を下階へと誘った。義姉に手を引かれ、追っ手がいないかと心配しているその瞬間にも、奥の部屋では散弾銃の甲高い轟音が鳴り響き、人間の声のようなものが聞こえていた。もうすぐ出口だというところで2人の男に見つかり、銃口を向けられた。兄はとっさの判断で妻と弟を一番近くの部屋へ押し込み、応戦して一人を倒し、もう一人を上段蹴りで後ろに吹き飛ばした。その瞬間に自分も部屋の中に入る。

 先に部屋に入った義姉と翔は、見知った苦力と、母の変わり果てた姿を目撃した。感情を躍動させる暇もなく、続いて兄が部屋に入り、扉に鍵を閉める。飛び散った血液とガラス破片の中に動かない2人を見て、兄は若干眼を逸らしたが、窓から外の様子を確認し、騎乗の男たち6名を確認すると、妻と弟に暖炉の中に身を隠すように命じた。同時に死体を窓際に移し、バリケードを形成しているのである。

 直後、数名のどかどかという足音が聞こえ、ものすごい力で、ドアを蹴破ろうとする力が働いた。兄は壁を背に、銃弾を再装填して様子を伺っている。数回のドアを蹴る音の後、金具が割れ、ドアが外れた。今度は机やいすを押そうと、男の腕が見えた。兄に気がついたもう一人が兄に銃口を向けたが、机を押していた男は兄に撃たれて絶命した。兄を狙った男は机を乗り換えて兄に飛び掛ってくる。その様子を音だけできいていた義姉が、さっきよりもガタガタと震えだした。声を出さないように、必死で口を押さえている。

 床に叩きつけられた兄は、銃をもぎ取られ、男に小型のナイフを突きつけられている。辛うじてそれを右手で抑えているが、どちらの体力が勝るか。それは時間の問題だった。

「等着」

 若い男の声がして、兄を襲っていた男が力を緩めた。兄はそれをなぎ払うと後方へ引いた。肩で息をしているようだった。
 部屋に入ってきたのは、年のころ30歳前後の、長身の男だった。5つ釦の軍服に、黒いロングコート。軍帽。背には長い銃。でも清軍では無い。
 その男は口を開いた。

「2,3お聞きしたいことがある。正直に答えてくれれば、命まではとらない」

 日本語だった。その言葉に、義姉が反応したのが分かった。

「東北の有力な軍閥な幹部とお見受けするが、人の家族をここまで惨殺しておいて、ずいぶんと都合のいいものだな」 

「買いかぶりすぎです。貴方たちの言葉を借りるなら、われわれは自分の村を他軍の侵略から防衛するいわゆる『馬賊』。弱体化した清朝の次期政権を狙う、権力主義の連中と一緒にしないでいただきたい」

 兄は突破の瞬間を探しているようだったが、そうこうしている間に長身の男を2人の仲間が脇を固め、兄に銃口を向けた。

「あんたが首領か」

「いえ、当家はわが父、梁続山」

 梁続山。兄はどこかで聞いたことがある、と思った。

「どうやら、日露開戦以後、日本はここ、大陸の東北部に足場を築きたいらしい。それにしても、併合していない国に、ずいぶんと移住者を送り込んでいるようですね。しかし秩序をいうものは守っていただかなければならない。満州の広大な大地を勝手に入植地にされては困る」

「われわれは見せしめか」

「応える気は無いのですね」

「無論だ。貴様らを相手にする理由が無い」

 長身の男に、短銃の銃口を向けた兄。それよりも早く、長身の男の脇の2人の男が、暖炉に銃口を向けた。驚いた翔は、義姉だけでも守れないかと暖炉の外に出、仁王立ちになった。容赦なく発砲される銃弾。兄が翔を庇い、絶命した。
 足元に広がる血だまり。裸足の翔の足に、ぬめぬめと纏わりついてくる。

「いや、お願い、助けてください!この子だけでも!」

 暖炉から這い出てきた義姉が、一層ガタガタと震えながら、翔を抱きかかえる。「お願いします」「お願いします」…まるで届かぬ神への祈りのようにも見えた。義姉は無力だった。

 翔は長身の男と目が合った。透き通るような、きれいな目だと思った。これから自分が死ぬのなら、この人の手にかかって死ねたらいいのに、と翔は麻痺した心でそう思った。

「帯去」

 くるりと振り返った長身の男は、それだけ言い残して部屋を出て行った。
 義姉と翔は、2人の男に縄で自由を奪われ、その場から連れ去られた。


スポンサーサイト
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
web拍手 by FC2

2010/09/20(月)
5、月下の惨劇

| ホーム |
Page Top↑
▲ Page Top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。